第2話 死ぬのは怖いか

 普段冗談ばかり言われているお客様。カウンターにお座りになっては、側のお客様を笑わせ、カウンターの中の僕やマネージャー、もちろんレセプタントの女性も笑わせてくれる。そんな冗談ばかり言われているお客様が、突然まじめな話をする。どこかで『冗談だよ』と言ってくれるだろうと思って聞いているが、なかなかその言葉が出てこない。

 そんな時の話は、ずっと心に残る。


 僕はそのお客様を『部長』と心の中で呼んでいる。

 部長は金曜日に来る事はない。

 何故かと言うと。

 金曜日の翌日の土曜日は、子供と遊びたいそうだ。部長は飲みすぎると翌日は半日だめになってしまうから、金曜日は飲みにいらっしゃらないそうだ。

 マネージャーの話によると、部長は古くからの常連さんで、僕がこのバーに勤める以前からいらっしゃったそうだ。独りでいらっしゃって、背が高いブランデーを四、五杯飲んでお帰りになる。仕事はどこかの商社にお勤めで、以前、珍しく部下の方と一緒にいらっしゃった時に、部下の方から「部長、部長」と呼ばれていたので、僕は心の中でいつも『部長』と呼んでいる。

 先日、部長がいらっしゃった時は、何か面白くない事でもあったように、うつむいて入ってこられた。

 部長はカウンターに座ってお絞りを受け取り、「いつもの」と一言だけだった。

 それは、とても珍しいことだ。

 普段は話から入り、途中で僕から「お飲み物は」と聞かれて、「いつもの」とおっしゃっていたのに。

 今晩は飲み物が先だった。

 僕は背が高いブランデーをバックの棚から取り出し、水割りを作り、部長の前にそっと置いた。部長は僕と手が触れるかと思うくらいの速さでグラスに手を伸ばされ、すぐに口に運ばれた。部長の口からグラスが離れ、ゴクリという音が聞こえたかと思うと、すぐにお話しが始まった。

 「あんたは、何かつくっているかい。もちろんカクテルをつくっているよな。ただし、そのつくるって文字が重要さ。」

 「はい?」

 そう返事をした僕は、部長の話しが冗談でないと判断した。もし、冗談であれば、少しの笑顔とやさしいい口調で話を始められる。時に真剣な顔をして話を始めるが、目はほんの少し笑ってられる。しかし、部長の事だ。最後は「冗談だよ」とおっしゃって、僕達を和ませてくれるのかもしれない。

 僕がそんな事を考えている間に、部長はもう一口水割りをお飲みになり、話を続けられた。

 「『つくる』と言う字だが、作文や工作の『作(さく)』って字がある。それに製造の『造(ぞう)』にあたる字。どちらも大体同じ意味だ。簡単に言うとだな。何か材料を使い、それに手を加えて形あるものに仕上げる事。これが『作(造)る』だ。あんたはカクテルを作る。レシピどおりに材料を入れて。マネージャーに教わったとおりに。なっ!」

 僕はうなずいた。

 「ところがだ。他にもつくるという字がある。天地創造とか創意工夫なんて言葉の『創(そう)』の部分だ。その創を使って、『創る』にするんだ。こりゃ辞書を見てもあんまり載っていない。常用外ってやつだ。

 この創るというのは、新しく物を考え出す事。新しい思いつきなんて事だ。創作な。創作意欲なんて言うだろう。

 そして天地創造は神が無から宇宙や地球を創った事だ。他にも創業や創案なんて言葉がある。なんとなく意味はわかったか」

 僕はしっかりとうなずいた。

 その時、ふと浮かんだ事を口に出そうかとしたが、その言葉を抑えるように部長が話を続けられた。

 「それで言いたいのはな。あんたはカクテルを創っているかって事だ」

 僕は少しショックだった。部長がおっしゃった事は僕の頭に浮かんだ事と一緒だった。

 「創っていない」

 日々の営業だけで、いっぱい、いっぱいだった。しかし、そんな事は言い訳にしかならない。

 「いいか。何も創らなくなったら人間は終わりだからな。俺はもう一度、俺自身を創ろうとしているよ」

 部長はそうおっしゃって、ブランデーを口に含みゆっくりと喉を通した。

 「俺自身を創る」というのはどういう事だ。やっぱり、これは冗談なのか。

 いや、そうではない。

 部長はその話を最後に、何も言わず黙って一杯だけブランデーを飲まれてチェックされた

 お釣りを渡した僕は、扉のところまで行って「お待ちします」とだけ挨拶をした。

 部長は歩きながら右手を上げられた。

 僕はそのまま扉のところに立ち、部長の背中をずっと見ていた。

 突然振り返って、「冗談だよ」とおっしゃってくれるのではないかと思って。


 それから、しばらく部長はいらっしゃらなかった。

 僕はあれから毎晩、バーを閉めた後でカクテル創りを始めた。しかし、納得がいくカクテルは一向にできなかった。

 新しいカクテルを思いつこうにも、既に世に出ているカクテルが浮かんでしまう。その頭に浮かぶ有名なカクテルのレシピを少し変えたりするのではなく、まったく新しいカクテルを考え出す事はまったくできない。僕がやっていたのは単なるカクテル作り。

 部長がおっしゃる『創る』というのは、僕が考えていた以上に大変な事だった。

 

 どれくらいぶりだろうか、部長がいらっしゃった。

 部長はまじめな顔をされ、カウンターに座るなり、会社で起きた大変な話を始められた。

それは、女性社員から『セクハラ』で訴えられると言う話だった。

 部長は休憩室でコーヒーを飲みながら、ある女性社員と立ち話をしたそうだ。最初は仕事の話をして、勤続年数を聞いて、結婚の話へと移り、そしてついには彼氏がいるのか、いないのかの話になった。

 ここでやめておけば良かったのに、彼氏とどこまでやったなど、下ネタへと話が移って行ったそうだ。そして、部長は女性社員を冷やかしていると、つい調子に乗って女性社員の肩を触ってしまったそうだ。すると、女性社員は怒って「セクハラで訴えます」と言って休憩室を出て行ったそうだ。

 部長はもし訴えられたら「俺は懲戒免職だ」と少し深刻な顔をされた。

 その話を聞いていた僕が心配そうな顔をすると、部長はすぐに「冗談だよ」っておっしゃてくれた。

 部長は僕が苦笑するのを見て「いつもの」を頼まれた。

 僕はいつものようにブランデーの水割りを作り、部長の前にそっと置いた。すると突然、思いもよらない言葉が部長の口から出てきた。

 「あんたは、死ぬのは怖いか」

 僕はなんと答えてよいのかわからなかった。いや、本当はびっくりして、声が出なかったと言ったほうが正しいかもしれない。そりゃ、怖いに決まっている。部長は何でそんな事をお尋ねになるのだろうか。部長は答えに躊躇している僕をご覧になって、話を続けられた。

 「俺は怖くないよ。生まれてきたのだからいつかは死ぬのさ。ただな、病気で死ぬ時はいろんな治療やって苦しかったり、痛かったりするだろう。あれがいやなんだよ。」

 部長はそうおっしゃってブランデーを一気に飲み干され、グラスを前に突き出された。

 僕は氷を変えて、新しい水割りを作った。

 ここは笑うところではない。

 僕はそう思った。

 すると、思わぬ言葉が飛び込んできた。

 「実はな。俺、ガンなんだって」

 僕は声が出なかった。ただ、首が前に出て、目を大きく開き、部長を見るのが精一杯だった。

 「死ぬのは怖くない。しかし、さっき言ったように治療はつらい。いや、それ以上につらいのは娘や息子とは二度と会えなくなるんじゃないかって。

 あいつらがやりたい事の手助けもしたいし、あいつらが悩んだ時の話し相手にでもなってやりたい。それにもっと一緒に遊んでやりたい。

 それができんのは死ぬよりもつらいぞぉ」

 僕はそれから何を話してよいかわからなくて黙っていた。

 先日、部長が言っていた「俺自身を創る」というのは、病気の事と関係があるのだろうか。今までと違った自分にでもなろうと言うのか。

 部長はその話を最後に、何も言わず黙って一杯だけブランデーを飲まれてチェックされた。

 お釣りを渡した僕は、扉のところまで行って「お待ちします」とだけ挨拶をした。

 部長は歩きながら右手を上げられた。

 僕はそのまま扉のところに立ち、部長の背中をずっと見ていた。

 突然振り返って、「冗談だよ」とおっしゃってくれるのではないかと思って。


 第二話  終わり

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