レッド・アイ

Frank Bullitt

第1話 ソーダ割り

 天気予報では寒冷前線が南下していると言っていた。今晩は寒くなる。寒いだけならまだ良いが、雪が降ってくると客足が鈍くなる。


 僕が勤めるバーは、福岡のとあるホテルのバー。二階のフロントの前を通った奥まった場所にバーの扉はある。奥まった所だから窓がなく、外の様子はまったくわからない。

 はたして、雪は降っているのだろうか。

 バーとは反対に位置する『ラウンジ』と呼ばれる喫茶コーナーには窓があり、外の様子がうかがえる。雪が降っているのか気になった僕は、ラウンジに電話をして

外の様子を聞いてみた。

 すると、電話の先でバイトの女の子が明るい声で答えた。

 「さっき、降り出しましたよ。でも積もるほど激しくはありません」

 「雪か」

 僕は心の中でそうつぶやいた。

 たしか、あの男性が初めてバーにいらっしゃったのも、雪が降る日だった。


 男性はお独りだったのでカウンターを薦めたが、店内を見回して奥の二人がけの

ボックスを指差された。

 『あのボックスに』と僕は心の中でつぶやいた。

 男性が指差されたボックスは店の隅。他のボックスに比べると暗く、お客様のお顔やテーブルの上もグラスの中身がはっきりと見えないやっかいな場所だ。

 マネージャーはボックスの上にちょっとした明かりを付けるか、テーブルにキャ

ンドルでも置こうか考えたらしいが、そうすると目立ってしまうのでやめたそうだ。

 男性が注文されたのはウィスキーのソーダ割り。

 ワイルドターキーを指定された。

 『ターキーのソーダ割かぁ』僕は心の中でそうつぶやいた。

 僕の親父もウィスキーを呑む時はソーダ割りだった。もちろん国産のウィスキー。しかし、たまに親父もワイルドターキーを飲んでいた。

ワイルドターキーは他のウィスキーに比べ、アルコール度数が少し高く、そのうえ外国産で親父にとっては高級品だった。

 親父はそんな高級品のワイルドターキーを機嫌が良い時か何かの記念に、「ターキー。ターキー」と言って喜んで飲んでいた。

 しかし、その親父も、この世にいない。


 男性は二杯のソーダ割りを、時間をかけて飲まれ、静かに帰って行かれた。

 僕は、男性はぶらりと寄った一見さんで、もういらっしゃることはないだろうと思っていたが、男性はそれからも度々いらっしゃった。いつも同じボックスで、ターキーのソーダ割を二杯飲まれて、帰られる。

 独りで、静かに。不思議な男性だ。


 僕は、男性があのボックスに座って何を考えているのか気になった。そこで、バーが閉店してから、僕はあのボックスに座ってみた。

 なんと、店内が良く見える。すべての席が見わたせる。暗い場所から見るから、すべての席が明るくはっきり見える。こうやって見るとカウンターの中で働く僕らは丸見えだ。

 男性はこの店の様子を偵察に来たライバル店のバーテンダーなのだろうか。いや、そんな風には見えない。顔のしわを見る限り四十歳を少し超えたくらい、短めの髪に、だれでも着てそうなスーツ。そして、きちっとネクタイを締めて、普通のサラリーマンと変わらない地味な男性だ。

 ただ気になるのは、体つき。身長はそんなに大きくない。ただ、厚い胸板と肩の筋肉。そして、引き締まった腰周り。このがっちりとした体つきは、まるで格闘家だ。それに、なんと言ってもグラスを持つ手、いや、手と言うよりは頑強な岩だ。

 男性はホテルのバーより、もっと男くさい店にいらっしゃるほうが似合っている。

 とても、どこかのバーテンダーとは思えない。

 まさか、ここから人を眺めて飲むのが好きだとでも言うのか。いや、そんな変な趣味を持っている人ではないだろう。

 ともかく、不思議な男性だ。


 ところで、このバーには『レセプタント』と呼ばれる女性が働いている。

 彼女はカクテルを作ったり、ウィスキーの水割りを作ったりはしない。ましてやお客様の膝の上に座ってお話をしたりするのではない。彼女はボックスのお客様にご注文をうかがい、カウンターの中の僕らに伝える。

 その彼女が、昨日、外であの男性を見た事を話してくれた。

 その晩、彼女はお客様から頼まれ物で一階のコンビニへ向かうため、エスカレーターに乗った。

 そのエスカレーターから、小雪が降る駐輪場に立つ男性の姿を見たそうだ。

 コートの襟を立て、片方の手をポケットに突っ込み、手袋もしていないもう片方の手には煙草を持たれていたそうだ。

 小雪の降る中、そんな所に何故、独りで立っていたのだろう。人を待つのなら、バーでもよかったろうに。

 相変わらず、不思議な男性だ。


 その話を聞いてから数日が経った晩のことだ。

 今晩は、レセプタントが風邪をひいてしまい休みを取った。僕はカウンターの中でカクテルを作り、彼女に代わってボックスでご注文をうかがった。

 そこへ、男性がいらっしゃった。男性がいつも座るボックスは空いている。いや、満員にでもならない限り使われる席ではない。

 僕はいつものように、男性をボックスに案内し、おしぼりを渡し、ちょっとばかし慣れた口調でこう言った。

 「いつものターキーのソーダ割り、されますか」

 すると、男性はまるで「何だ」と言わんばかりの目で僕を下から見上げた。しかし、すぐに口元が緩み「ああ」とおっしゃって人差し指を軽く上げられた。

 僕は「かしこまりました」の一言でカウンターに戻り、バックの棚からタンブラーとワイルドターキーを取り出した。

 タンブラーに氷を入れ、ターキーを注ぎ、ソーダを入れて軽くステアした。そのステアする僕の手は、震えた。

 『怖かった』

 僕がきやすく話をしたのがお気に召さなかったのだろうか。

 ともかく、下から見上げた目は鋭く、怖かった。

 僕はターキーのソーダ割りをトレイに乗せ、男性が座るボックスへと運んだ。

 「どうぞ」

 「ありがとう」

 男性は先程の事など何もなかったように、笑顔で人差し指を軽く上げでそうおっしゃっていただいた。

 

 「おお。カウンターが空いている」

 ふと、入口の方から陽気にしゃべる男性の声が聞こえた。

 その時、ボックスの男性は鋭く目を光らせていた。

 その目の鋭さは先程僕を見た時の鋭さなんてものじゃない。目だけで獲物をしとめる事ができる程だ。そして、その目は入口から陽気にしゃべりながら入ってきた男性二人を追っていた。

 僕は、男性が陽気な男性二人とお知り合いか、それとも陽気な男性二人をずっと待っていたのか。

 僕は怖かった。喉に何か引っかかったような気がしてつばを飲んだ。

 しかし、男性はしばらくしてバーを出ていかれた。

 僕は何かが起きるのではないか心配したが、何も起こらなかった。

 『良かった いつものバーだ・・・ いつもの・・・ いや違う』

 男性は二杯目を飲まれる事はなかった。今夜は一杯で帰られた。

 いつもと違っている。

 僕の心には何かが引っかかった。

 先程、喉に引っかかった何かのように。

 陽気な男性二人はいつものように高価なブランデーを水のように飲まれている。そういえば、この陽気な男性二人はしばらくぶりだ。以前はよくいらっしゃったが、

しばらくぶりだ。お二人がどんなお仕事をされているか僕は知らないが、いつも海外の話をしされているのを聞いた覚えがある。

 しばらく拝見しなかったのは、海外に行かれていたのだろうか。

 でも今晩は、僕はカウンターとフロアを行ったりきたりで、お二人の話を聞くことはできなかった。

 今夜は大忙しだった。


 日付は変わりお客様はみな様お帰りになった。僕はバーの扉を閉め、後片付けを始めた。ともかく、その晩は終わった。

 いや、実は終わってはいなかった。

 僕が家に帰った後で、ホテルに警察がやって来たそうで、バーにいらっしゃったお客様が警察に捕まったそうだ。

 捕まったお客様はあの陽気な男性二人で、このホテルを出た駐輪場のあたりで捕まったそうだ。

 

 そして、今晩で事件が起きてから二週間が経つ。

 ラウンジの話によれば、雪が降り出したと言っていた。雪が降ると男性の事を思い出す。

 しかし、事件以来、男性はいらっしゃらなくなった。

 雪が降ってもいらっしゃらなかった。

 僕はその後の話を聞かせてほしかったが、尋ねても話してくれるような方ではないだろうが。

 「こんばんは」

 「いらっしゃいませ・・」

 僕は一瞬、目を疑った。

 僕はカウンターの中から飛び出して、いつものボックスを案内しようとした。

 そう、男性が来た! 

 「今日はカウンターでいいよ」

 男性はそう言って、カウンターの左から三番目の席に座った。普段、僕がシェイカーを振るあたりだ。

 「あのぉ。初めてカウンターにお座りになりますね」

 「ああ。いやね。前から、あんたが作る白いカクテルを一度飲んでみたかったんだよ。あの日本酒を入れる奴だよ」

 「雪化粧ですか」

 「あれは雪化粧と言うのか」

 「はい」

 「今晩はやっとゆっくり飲めるよ。それに外で雪化粧を見ずにすむしな」

 男性はそう言って、優しい目で僕の方を見ながら人差し指を上げた。


 第一話  終わり

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