第36話 瞳妖術

 伝声師が、昼食後に珍しく振る舞いの指導を受けることになった茉莉を見に行った後で、水雲は幻月観の中にある書棚を眺める。すぐに、目当ての場所は見つかった。

 白泉国の資料は、書棚の最下段全体にあり、その中にあるはずの現物術に関する記述のある書物を探す。普段から、茉莉に午後の修練が入るたびに書物を読み漁っていたせいか、さらさらと早く読み進められたおかげで、すぐに目当ての項目が見つかった。

 白泉国の現物術は、他の国のみで存在していた、標的とした人がかつて目で見た記憶を操ることのできる瞳妖術どうようじゅつを基礎とし、そこに幻術を組み合わせることで術に変異が起きる。その結果、自らの記憶にあるものを本物にして、その場に出すことができるのだ。

 だが、瞳妖術は白泉国の初代国主統治期間にしか存在していなかったであるせいで、伝声国には使えるものが誰一人としていない。

 水雲が書棚の前で頭を抱えていたところで、伝声師が一人だけで戻ってきた。

「どう? 見つかった?」

 水雲は頷きながら、手に持っていた書物を伝声師に渡した。

「それによると、現物術には瞳妖術も必要なんだそうです。でも、その術について記載された書物は残っているのでしょうか? この棚にある白泉国の記載がある書物に関しては、もうほとんど読んだんです。でも、瞳妖術の記載だけは見かけなかったような気がして」

「さ、うん。それはそうだね。それは、私が持ってる。古い国の優れた術を何とか復活させようと思ってね。実は、私もその術を習得しようと思って、修練しているんだ。でも、いまだに習得できないままなんだけどね。できるかはわからないけれど、水雲も挑戦してみるかい?」

「はい!」

 伝声師は書棚からまっすぐ左側の壁と歩き、伝声師一族の寝床から、一冊の書物を取り出す。それから、再び書棚へ戻り、水雲へ渡した。

瞳妖術伝書どうようじゅつでんしょ

 と、表紙に書かれたその書物は、見るからに古い書物だとわかる。表紙はもうぼろぼろになり、中身は既に黄ばみを通り越して、土のように茶色くなっていた。

「この中に、瞳妖術の全てが記載されている。今の世でこの術を学ぶには、この書を師とするしかない。限界が来るまで練習してみなさい。だけど、無理は禁物だよ」

「はい!」

 水雲が満面の笑みでうなずいた時、幻堂での修練を終えたばかりの茉莉が戻ってきた。彼女はずいぶんと疲れ果てた様子で、幻月観の中に入ってくるやいなや、扉のすぐ右側にある、神人や神女専用の寝床に横たわった。少し離れたところから見ているだけだったが、水雲には彼女が泣いている、とすぐにわかってしまった。だが、その理由だけはいくら考えてもわからなかったが。

「水雲。ひとまず静かな環境で茉莉を休ませよう。だが、まずはこの散らかった書物を全て棚に戻しなさい。それから、外に出ておいで。片付けを終えるまで、私は待っているから」

「はい」

 伝声師が扉の外へ歩いて行くのを特に見送ることもなく、水雲は棚の近くの床に、彼が座っていた部分だけを避けてきれいに散らばった書物を棚に戻した。順番は取り出しているうちにわからなくなってしまったから、その点に関してだけは適当なのだが。

 水雲は、忍び足で幻月観の外に出ると、階段の最上部で父親が空を眺めていた。

「父上?」

 水雲が呼びかけると、伝声師はすぐに夢を彼に向けた。彼は伝声師に隣に座り、四六時中広がっている夜空を眺める。でも、面白い事象を示している星は特になかった。

「今日は平穏無事みたいだ」

 伝声師が『瞳妖術伝書』を水雲に渡しながら行った。

「さて、練習しようか」

「はい」

「うん。瞳妖術は、まず自分の中にあるすべての記憶を一時的に空っぽにしないといけないんだ。いわゆる、無の状態らしい。……できた? できたら、その状態から頭の中で一つのものだけを創造するんだ。例えば、私が今この場所で一度飛ぶ、とかね。うん。もしそこまでもできたら、普段頭を使うときに力を入れるだろう? その力、記載によると、全身に沸き起こっている力を全て術をかけたい人やものに向けるんだ」

 伝声師が言い終わった瞬間に、水雲は体内に沸き起こっていた力を全て、扉の正面にある香炉に向けた。彼の右手からは、黄金の光が飛び出し、頭をかけられた香炉は生ごみを混ぜたかのようにひどい悪臭を放っていた。

「父上……これ……」

「まさか」

 鼻を手で覆いながら、伝声師はただただ絶句していた。十年以上かけても自分は全く習得できなかった瞳妖術を、息子はたったの一度で習得してしまったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る