第35話 大根と豚骨付き肉の麺の幻

 少しした後に水雲が再び目を開けると、両手からは相変わらず藍色の光が出ているだけだった。彼は首をかしげながら、手の中の光を収める。

「水雲。どうして幻術げんじゅつを使っていたんだ? 誰に使うつもりだったんだ?」

 水雲が全く気づかない間に、その背後に立っていた伝声師が、彼の隣に座った。幻術は、伝声師のみが使える術の一つで、特定の人に幻をまるで本物であるかのように映し出すことができる。この術を使うときには、伝声師の手から藍色の光が、強弱はあれど放たれるようになっているのだ。

「誰でもありません。ただ、幻術を使えば、茉莉が満足するような食べ物を映し出せるのかもしれないと思って」

「なるほどなぁ。でも、幻術で食べ物を出したとしても、それは本物じゃないから、どのみち茉莉殿下は満足しないんじゃないかな。ちなみに、どういう風に想像していたんだ?」

「おいしい食べ物、って」

 水雲は、ありのままを言うと、その父親は慈愛に満ちたような苦笑を浮かべた。世の中にある食べ物は梨しか知らないんだから仕方がないか、とでも言いたげに。

「それじゃあ、何も出てこないよ。具体的に何を出したいのかがないんだから。でもまぁ、それ以前に我々の術から本物の物を取り出すこと自体が難しいんだけどな。私たちは幻を出したり、人々を思い通りに操るのは、簡単でも、実物を出したり、人と人間らしい会話をするのが難しいんだよな。そんなの、この幻月観の外に住んでいる人からしたら、ごく当たり前のことなのに」

「でも、父親は宮殿で国主とお話しされているじゃないですか」

「ああ、あれは、国主に聞かれたことを答えているだけだよ」

 言いながら、今度は伝声師の手に藍色の光が宿る。その一瞬の後に、水雲の前に大根と豚骨付き肉の麺がぷかぷかと浮かんでいた。

「父上、これは!?」

 初めて見るものに思わず興奮を抑えられないまま、水雲が面を指差しながら言う。興奮の息を余って、立ち上がったときに、階段から転げ落ちそうになる彼の手を伝声師が掴んだ瞬間に、現れたばかりの面は消えてしまった。

「それは、大根と豚骨付き肉の麺だよ。周海国に遠征へ行っていた時に、兵士たちが食べていたんだ。みんな美味しそうに食べていたから、印象に残っていてね。水雲もこれからはあの麺を思い浮かべながら修練したらいいんじゃないか?」

「でも、本物の面を出すにはどうしたらいいんでしょう。私には幻しか出せない」

「うん。そうだね。それは私も一緒だよ。でも、噂によると、その昔白泉国はくせんこくと言う古い国があったんだ。そこには、その国初代の時点でとうに廃れてしまった、現物術げんもつじゅつというのがあるらしい。これは、想像したものを本物にして、現実に表すことのできる術だ。その術の体は、白泉国の書物のどこかにあると思うから、後で書棚を見てみたらどうだい? それを使えば、本物の麺を出せるようになるかもしれない」

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