第10話

 水雲は鉄壁のような無表情で、雁の前を往復する。雑婢からするとこれらの雁にどのような違いがあるのか全くわからないと言うのに。

「これだな」

 しばらくの間ふらふらと歩いていた水雲は突然、俊野の前にいた雁を指差して言った。皇太子もそれに敏感に反応する。

「これか。どうしてこれを?」

「この雁が一番人に慣れそうだ」

「なるほど。じゃあ、これに。おい、文婢!これを伝声国送り届ける準備をしろ」

 皇太子の一言で遠くへ追いやられた文婢は、やはり皇太子の一言で戻ってくる。しかし今度は余計な口などは一切挟まず、ただ黙々と俊野の前にいた雁を持って行っただけだった。

「水雲殿。助かった。ところで、この後ご用事は?もしなければ、私と狩りにでも行かないか?」

「いいえ。結構。私はこの後ちょっとした用があるので」

 水雲は穏やかに首を横に振る。それを見た雑婢らはみんな皇太子の怒りに触れるのではないかと怯えていたが、その意に反して、皇太子は案外何でもない様子のままだ。

「そうか。わかった。では、私はこれで」

 とだけ言って、皇太子は庭園を出て行った。雑婢の誰か1人を蹴り飛ばしたりすることもなく。

「皆ご苦労だった。地海国の慣例では、選ばれなかった他の雁はどうするのだろうか?」

 水雲は雁捕獲隊一人一人の目を見ながら聞いた。そんな状況に慣れていない雑婢らはついしどろもどろになってしまう。ただ一言、自分たちは知らない、と言うだけなのに。

 すぐに状況を察した文婢がお得意の愛想笑いを浮かべて、水雲に説明する。

「これらの雁は全て厨房へ持っていくのですよ。宮殿の外にあるんですけどね」

「すべて食べるのか?」

「はい。わざわざ山へ放すのも面倒でしょう?それに、雁の肉の味は国主陛下もお好きですし」

 なぜか、顔を紅潮させている水雲に対し、文婢は一言話すたびに、茄子のような顔色になっていく。

「なるほど。では、好きにしろ。だが、くれぐれも我々使節の食事には雁を入れるなよ」

「もちろんですとも。お任せください」

 いよいよ大げさなまでに震え始めた文婢は逃げるかのように去っていく。

 それとほぼ同時に、水雲が俊野を一瞥する。かと思った次の瞬間に水雲は恭しく庭園の入り口に向かって拝礼をした。

「殿下」

 俊野は振り返り、水雲が頭を下げている方向に目をやる。そこには、背だけが竹のごとく高く、筋肉を一切感じさせない痩せた体つきの青年がいた。しかも、上質の絹を纏っている。

「国師、顔を上げて。我々は拝礼するような中ではないだろう?」

「恐れ入ります。」

 水雲は渋々といった様子で顔を上げる。水雲以外のほぼ全ての者が、突如現れた男が何者なのかを注意深く見定めている時、俊野だけは腕を組みながら、いつも以上にぶっきらぼうに言った。

「じゃあ、お前らは一体どんな仲なんだよ?」

「俊野。礼を失してはならない」

 いつになく厳しい表情で注意する。そんな水雲を竹男は左手だけで制した。

「国師。大丈夫。君は面白いね。俊野?君はどうして私と水雲国師の関係を知りたいんだ?」

「俺は水雲の身分を知ってる。伝声国のお偉いさんだろ?そんな奴が逆らえねえ相手ってどんな奴なのか気にならねえ奴がいるかよ」

「なるほど。そういうことなら教えよう。私と水雲国師は、とある契約を結んだ仲だ」

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