第8話

 俊野は水雲の言葉の意味がわからないまま、何とかそれを解してみようと試みてみる。そうしている間に、水雲は下山しようとしていた。

「おい、待てよ。もうちょっと話を聞かせろよ。俺、お前のことをほとんど知らないよ」

「君に私のことを伝える義理はない。君はやはり雁を捕まえることに精を出すんだな」

 水雲は俊野を一瞥することなく、すたすたと下山していった。

 ちっと舌打ちをしてから、俊野は再び崖で寝転がる。

(どうせこんなところまで文婢が監視に来るわけねえよな)

 再度瞼を閉じると、一瞬のうちに彼は居眠りしてしまった。

 しかし程なくして、ふと腹部に猛烈な痛みを感じて俊野は目を覚ました。

(よかった。寝てたところを他の奴らに見られてはいないようだ)

 近くで他の雑婢が雁と格闘している声を耳の隅で聞きながら、俊野は眼前、それも自分の腹部近くをうろついている鳥を凝視する。

(これは、雁じゃないか......?)

 試しに俊野が左腕を伸ばすと、警戒した様子を保ちつつ、それでいて親しげに雁は嘴を彼の左手になでつけた。その刹那、彼は雁の首を抑え、その場を離れた。

 捕まえた雁は、すぐに文婢のもとに届けなければならない。

 てっきり近くに文婢がいるかと思っていたのに、彼らの姿は一向に見えない。頭の中を疑問に包まれながら、ふもとまで下りてきてしまった。

「おい、お前何下りてきてんだ」

 下山して早々に、偶然そこにいた文婢に怒鳴られてしまった。俊野は口で言いこそしないものの、心は理不尽さに恨みにも似た怒りで充満していた。

「あの、雁を一羽捕まえたので報告しようと思って......」

 文婢はそこでようやく俊野の左手に収められた雁に目をやる。

「それはどこで捕まえたんだ?」

「頂上にある崖ですよ」

「ご苦労。戻って、引き続き雁を捕まえなさい」

 文婢は奪い取るかのように、俊野の手から雁を受け取る。俊野は苛立ちを倍増させながら再び山を登った。

(捕まえてやるのはこれで最後だろうけどな)


 三日間で、突如駆り出された雑婢が捕まえた雁は合計で五羽しかいなかった。捕獲側が計十人いるところから察するに、登山したほとんども雑婢は山に登るだけで、誰も雁を捕まえようとしていなかったのだろう。

「この三日間、ご苦労だった。今日はひとまず、お前たちは自分で捕まえた顔の世話をしなさい。何らかの事情で捕まえられなかった場合は、皇太子殿下が婚礼の儀でお乗りになる駿馬の世話をすること。少しでも怠れば、その末路はお前たちもわかっている通りだ」

 文婢は雁の入っている鳥籠を俊野たちの目の前に捨てるかのごとく投げ、それから雁を一羽も捕まえられなかった雑婢らを連れて厩舎へと向かって行った。

「こうなるなら、たまたまだけど雁を捕まえられてよかったのかもな」

 と、俊野は偶然隣にいた名前も知らない雑婢に話しかける。

「ああ、そうだな。お前もたまたまなのか」

「当たり前じゃないか。誰があんなクズみてえな皇太子の婚礼を祝うってんだよ。従順にしてるのも、あいつらの手で死にたくねえからに決まってんだろ」

 俊野らは鳥籠から自分で捕まえた雁を取る。とはいえ、それぞれに目印なんて付いていないから、皆適当に雁を捕まえているだけなのだが。

 俊野は懐に見事に収まった雁の毛並みを整えていると、さっき隣にいた雑婢に話しかけられた。

「なあ、お前なんて言うんだ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る