第2話

暗く静まりかえった隷処に戻ると、俊野はまず誰も起きていないことだけを確認する。それから自らの寝床に入り、床下に密かに隠しておいた「書物」を抜き取る。それを月夜に外で一刻の間読むのがここ数年の彼の習慣だった。

 もっとも、彼は読む「書物」とは宮中の者が捨てた、もう何の参考にもならない古い書物を内密に拾ってかき集めたものではあるが。

 しかしそれでも、彼の野心という名の欲を満たすには十分だった。


 朝日が昇るか昇らないかのうちに、俊野は起き出して宮中の鉄を管理している鉄署てつしょへと向かう。これくらいの時刻になると、全ての雑婢は起き出してそれぞれの持ち場へ向かう。そして到着したら、配られる家畜と大差ないような食事をとってから、丸一日の労働を始めるのだ。

 俊野もまた食事とは言えないような食事をとってから、いつも通り鉄を宮殿に運ぶ。

 あくびをしながら宮殿まで歩いているとき、彼の耳にたまたま誰かの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

「どうかお許しを!」

 その声の方向へ目を向けると、ぼろきれのような衣服を身に纏った女の雑婢が、威張り散らしている武婢ぶひにしがみついて許しを乞うている。彼女の足元には乾いた後宮の方が召すような衣服が転がっていた。

 もし、まだ洗われていないものであればもともと武官だった武婢がここまで問い詰めるわけもないし、こんな朝から宮殿へ向かうのも理にかなっていない。状況から察するに、あの女は宮中へ運ぶ予定だった服を途中で落としてしまったのだろう。

「許せだと? 俺がどうしてお前みたいな卑しい奴を許さなきゃならねえんだよ? お前が犯したのは大変な過ちだと気付いていねえのか!」

 武婢はあたかも自らが奴婢ではないかのように振る舞ってはいるが、宮殿の中に住む高位のお方からすると、彼らもまた一介の奴婢であることに変わりはない。

「ですが、どうかお願いいたします! 私にできることでしたらなんでもいたしますので......」

「ほう?」

 武婢の目が不気味に光る。その目つきを見た瞬間、俊野はまたか、と思わずにはいられなくなった。だが、その状況は彼にもどうすることもできない。

(ずっと立っているのも、あいつらに見られたら面倒だし、腕も痛くなるからそろそろ行くか)

 俊野は鉄塊を担ぎ直し、荒涼とした大地を歩き出した。

「なんでもするというのなら、俺を楽しませることくらいできるよな?」

 ちょうど俊野が彼らの横を通り過ぎようとしたとき、武婢の常闇のような笑い声が聞こえた。かと思うと、それが今度は女の悲鳴に取って代わられる。

 だがその場にいた全ての奴婢は耳に蓋をして、何事も起きていないかのようにただ黙々と歩き続けた。無闇に関わると、攻撃されるのは己になってしまう。それを知りながら人の助けに入るような奴婢など、地海国にはいない。

 いつものごとく鉄を置いてから鉄署へ戻る道中で、俊野はまたあくびをしながら歩いていた。すると、偶然後方から面白い噂話が彼の耳に入る。

「なあ、伝声師って聞いたことあるか?」

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