第2話 時代背景・宗教背景
サロメの物語の舞台は、イスラエルの、当時はペレアとよばれた地域のマカエラス要塞城の庭です。
領主であるヘロデ・アンティパス王(幼児虐殺を行ったヘロデ大王の息子で、兄を殺しその妻ヘロディアを略奪婚していた過去がある)の誕生日の夜の宴会中に起きた出来事の話です。
当時の宗教観は旧約聖書の教義です。(ユダヤ教の教義。モーゼのときのもの)
旧約聖書の内容をかいつまんでいうと以下のようになります。
まず、天地創造の神がイスラエル人に律法(ルール)を与えます。
神が与えた律法を守れば、人間は救われるのですが、人間はこれらを守ることができません。
そこで、彼らは苦難の歴史を歩むことになり、神は何度も預言者を使わして、人間にアドバイスをします。
それでも人間は、神のルールを守りきれません。そこで神はイスラエル人たちを繰り返しお仕置きします。 ルールを守らないと激しい神の怒りが下ります。
イスラエル人たちもあまりに神に怒られるものだから、ビクビクしてルールを完璧に守ろうと決意し始めます。
親の顔色をうかがいすぎて、こんどは完璧主義で潔癖症みたいになってしまったのです。これを「律法主義」といいます。
当時、ユダヤ教の宗派は、四学派としてサドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派、熱心党があり。富裕層の支持が多いサドカイ派と、貧困者に支持者の多いファリサイ派、ファリサイ派から派生した禁欲的コロニーを形成するエッセネ派。イレギュラーに、ユダヤ民族独立を切望する集団で暴力行為を以ってしてでも目的を遂行しようという抵抗組織の熱心党。
ヨハネは、ファリサイ派など当時の主流派が律法を守らない人びと(あるいは貧困などによって守りたくても守ることのできない人びと)を穢らわしいものとして差別し、蔑むのを問題視し、エッセネ派になりました。
エッセネ派と呼ばれる人たちは、一般の人たちから遠く離れて、死海の西側の、ユダの荒れ野のクムランと呼ばれる地域に集まって、禁欲的な共同生活をしていました。ヨハネは、ラクダの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べるという生活をしていたそうです(ちなみにエッセネ派の宗教家は妻帯はできません)。
しかしある時からヨハネは死海の共同生活を離れてソロ活動を始めます。それがヨルダン川での洗礼活動(悔い改めの洗礼を授ける運動)です。
ヨハネの洗礼は普通の洗礼ではありませんでした。
普通の洗礼は外国人がユダヤ教に改宗するときに行うものでしたが、ヨハネのやったのは自国のユダヤ人を回心させる洗礼でした。
エッセネ派は、一般の人に教義を浸透させることはあきらめて、限られた人間で生活し、教義を全うしようとしていましたが、ヨハネはその生活を飛び出して、独自解釈で貧しいひとや情報が到達していない人、律法主義ではふるいおとされる人に洗礼をしました。
「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」
「わたしはその履物のひもを解く資格もない」
「履物のひもを解く」というのは、当時は奴隷の仕事。ヨハネは、「その方」の、奴隷になる資格もない。それほど偉大なお方が、他でもない、あなた方の中におられる、という意味合いのことをサロメの作中で言っています。
その救い主は高尚で禁欲的な共同生活をしているエッセネ派の人たちの中にではなく、あなた方(洗礼を受けている人々)の中におられる、と言っていたわけで。
「誰だかわかんないけど市井の人や貧しい人の中から救世主が出てくるっぽい」ことを預言的に受信しており、ヨルダン川で布教しながらそれを待っていました。
ヨハネは偉い学者なのに宗教的にはじかれちゃう人たちにも手を差し伸べ「大丈夫ですよ」「救われますよ」等言ってユダヤ教の敷居を下げまくりました。
そして人気が出ました。ほかの宗教家からやべぇやつだと思われました。
考え方は新約聖書(キリスト教)の「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」など苦しむものへの慰めや、「復讐してはならない」「天に富を積みなさい」「人を裁くな」「悪口を言われたら喜べ」「欲情をもって人妻を見る者は、すでにその心のうちで姦淫(かんいん)している」みたいな赦しの考え方。
しかし、ユダヤ教の神様はきまりを守らないとお仕置きする神様、
キリスト教の神は赦しの神様、それが同一神であるという認識は、他の宗派からしたら、そもそも解釈違いである。
ちなみのキリストがヨハネから洗礼を受けるのが30歳くらいの時、ヨハネが斬首されるのがヨハネが36歳とも30歳ともいわれていますね。
サロメに描かれているヨハネの最後の1日は、ヨハネはすでにイエスに会って洗礼して、別々に布教活動している時期ということになります。
そしてサロメの作中、幽閉された理由となる「ヘロデの婚姻を批難した」ことに関して。ユダヤ教の律法ベースでは、ヘロデ王は、少なくとも4つの違反行為があったと考えられます。
1,モーセの律法は、配偶者以外との性的な関係、不倫関係を禁止しています。
2、モーセの律法は、正当な理由がない離婚を禁じています。
3、モーセの律法は、まだ生きている兄弟の配偶者と性的な関係を持ったり結婚したりすることを禁じています。
4、モーセの律法は、おじと姪の性的な関係や結婚を禁じています。
何はともあれヘロデ王的はヨハネを、井戸に監禁した。
共観福音書とヨセフス著『ユダヤ古代誌』第XVIII巻5章によると
それぞれ
「当時他の兄弟の妻であったヘロディアを妻にしてしまった事をヨハネに非難された」と
「ヨハネの評判が良すぎて彼が人々を扇動するのを危惧した」
と、動機の説明こそ違うものの、
当時の一般大衆は宗教的希望と政治的希望を区別していなかったので、いずれにせよ政治的混乱につながると感じたヘロデは、
ヨハネが自分の領地のペレアに来たところを狙って捕らえ(ヨハネの活動場所はヨルダン川の西岸のユダヤ地方が中心だったが東岸のペレアにも時々来ていた)、そこから南下して、ムカウィルの丘のマケラス要塞(戯曲『サロメ』の舞台)に一旦投獄したあとで処刑したそうです。
要塞には沐浴用のプールがあり、この時代、囚人はしばしば、貯水用のプールに閉じ込められていましたので、ヨハネが囚われていた場所はこのプールかもという説もあります。
乾燥地帯の岩だらけの地域、5から10月くらいはほぼ雨が降らない、水は貴重だったようですがプールがあるなんてすごい。さすが王様ですね。
ちなみにサロメ作中、預言者エリヤや救世主という言葉が出てきますが、いったん、それらについて説明
救世主(メシア)とは、
ユダヤの思想では,この世にあらわれて人々をすくう 指導者のこと。 救世主 。 ヘブライ語で「 聖油( せいゆ) をそそがれた者」を意味し,ギリシャ語に 訳 やくしてクリスト(キリスト)となった。
預言者エリヤとは、
マラキ書3章23節、24節で『見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。/彼は父の心を子に/この心を父に向けさせる。/わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように。』
ここで、預言者マラキは、終末における、神様の最後の審判の時に、その先駆者として、預言者エリヤが再び来る、と言っている。
つまり聖書的には、預言者エリヤが来ちゃうと最後の審判が来るシステム。
ヘロデは預言者を恐れていた、つまり、終末が来ちゃうこと、そして終末が来たら逃げ場がないくらい己が律法違反をしているという懸念もあったということかなと、
とかく、サロメの世界観は、ユダヤ教的な考え方、キリスト教的な考え方の境界にあり、ヨカナーンはその両方を反映したキャラクターである、という理解で第2話を締めたいと思います。
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