第4話
男の子の輪の中に入っていちばん驚いたのは、イヤらしい漫画とか画像とか動画とか、皆こっそり回し見ていること。山田は顔が四角っぽくて、面白いキャラなので女の子ともよくふざけ合っている。でも、いちばんエロ系好きで、女の子とふざけ合うとき、こんなこと想像しているのかと思うと愕然としてしまった。でも、真崎とは仲が良くて、いちばんくだけた間柄。
安藤はわりと成績もよくてクールな感じだったけど、彼も山田が回してくるエロの類はこっそり女の子にばれないように見ている。
真崎は彼らからは本心を隠している奴扱いされてるようだ。
だって、それはそうでしょ? 真崎は僕が好きなんだから。――と自分で思ってからはっとする。やっぱり真崎は、僕が男の子だから好きなの? でも、もう深く考えるのはやめにしよう。だって、はっきりと僕と真崎はお互いの気持ちを伝えあったんだから。今は行きも帰りも一緒。さすがに僕の送り迎えは控えるようになったけれど、どの時間の電車の何両目かを打ち合わせておいて、同じ車両に乗る。そして、きょろきょろ真崎の姿を探し、見つけたときのうれしさったら!
お泊りは今度の金曜日。お泊りって、どうするんだろう? 実は不安の方が大きい。不安の塊のなかに、期待がときどき閃く感じかな。
まだ自分のアレもちょっと怖いし、真崎のアレを見てしまったときのショックは、忘れかけた痛みとしてまだある。
でも、とくに山田のエロ話ばかり聞いていると、女の子のグループも恋しくなってついそちらを見てしまったりもする。仲が良かった麻衣ちゃん、久留実ちゃん、そして、倫子ちゃん。彼女たち、『薫』がいなくなってしまったことがさびしくないのかな、と少し悲しくなる。
ところが、真崎が部活に行ってしまった放課後、一人で図書室で本を探していたとき、急に背後から声をかけられた。この声は倫子〔りん子〕ちゃん。いちばん仲の良かった女の子。
「薫くん、ごめん。ちょっといい?」
いったいなんだろう?
倫子ちゃんは女の子だったときから、ひそかに憧れて、いちばん信頼していた子。肩までの黒髪が清潔そうに切りそろえられていて、眉が少し濃いけど、色白だから映える。黒目の大きい感じのよい眼。大人びているけど、気取った感じもなくて、なぜか最初から私を好いていてくれた。
そう。
以前のように倫子ちゃんと話せないのはちょっとしたフラストレーションだった。だから、今声をかけられて、僕はうれしくなってしまい、うかつにも「なあに、倫子ちゃん」と言いそうになって、慌てて口元に手をやった。
それから倫子ちゃんの表情を見て、いつになく頬が染まり、眼が訴えているので驚いた。前は──僕と女の子として友だちだったときは──こんな表情はほとんど見たことがない。いつも倫子ちゃんがお姉さんのようなところがあり、僕は倫子ちゃんについていくのが楽しかった。だから僕にはこんな深刻な表情を見せたことはこれまでになかったのだ。
「薫くん、ちょっと庭に出ていい?」
図書室の前はちょっとした庭になっていて、ベンチもある。私は「うん、いいよ」と内心驚きながら返事をした。
ちょうど他の建物の影になる時間で、庭は案外涼しかった。夏の終わりが近いことを感じる。
木でできた背もたれのないベンチに、倫子ちゃんは先に腰かけた。両手をぎゅっと握りしめていることに僕は気づいた。何か思い詰めているような。
倫子ちゃんの声は震えながらもかたい決意を感じさせた。
「あの、あのね、薫くん。絶対に、誰にも言わないって、約束してくれる?」
私……いや僕は、ごくりと喉を鳴らした。
「うん……どうしたの? 藤本さん」
倫子ちゃんは藤本倫子というのがフルネーム。
「あの、ね。薫くん、最近すごく真崎くんと仲がいいでしょ? それで」
口ごもる。
僕は不安に駆られながら辛抱強く待つ。
「薫くんなら、きっと信用できるって、なんか、そんな気がして。それで、聞くんだけど」
もう、予想はつく。何て答えればいいんだろう?
「私、真崎くんが好きなの。あの、真崎くん、彼女いるのかな?」
そう言ってから唇をかみしめてうつむく彼女。僕は予想していたにもかかわらず、ものすごい衝撃を受けていた。
倫子ちゃん、僕には一言もそういうこと、言ってくれなかったよね? という寂しさと、同じ人を好きになっていたという事実へのショックと、それから真崎が僕、つまり男の子を好きだという隠している現実。
頭がくらくらした。何て言えばいいんだろう。倫子ちゃんの伏せた目のまつ毛の先までじっと見つめて、僕は言葉を探した。何て言えばいいんだろう? こういうとき、どうすればいい? 何も言葉が浮かばない。
僕が押し黙っているので、倫子ちゃんはそっと目線をあげた。そのすがるようなまなざしが、倫子ちゃんの本気度を物語っていた。
情けないけど、僕は、その場逃れをする以外に方法が見つからなかった。
「え……と。僕、そういうこと、真崎から聞いたことないんだ。ごめんね」
疑いの混じった失望の表情は僕を打った。
「今度、それとなく、聞いてみるよ、あいつに」
そう言ってしまってから、死ぬほど後悔した。
倫子ちゃんを裏切ってしまったような後悔と恥ずかしさ。本当は、僕と真崎はもう思いを打ち明けあっている。それなのに、いたずらに倫子ちゃんに期待を持たせてしまうなんて、なんて酷いことを自分はしているんだろう。
あの後、倫子ちゃんはほんの少し目をきらりとさせて、僕の作り笑いに微笑を返して、図書室の庭を去っていった。
よほど、追っていこうと思ったけれど、そうして何を言う?──そう思い当たると僕は動けなかった。
その後しばらく、僕は図書室の庭で風を受けていた。何もいい案は思い浮かばなかった。ただただ、倫子ちゃんに申し訳ない気持ちと、でも僕も真崎が大好きでしようがないっていう気持ちと。
今日は、とても真崎と一緒に帰る気になれなかった。LINEで『ごめんね、今日は先に帰る』とだけ入れて校門を出た。
僕は、真崎も倫子ちゃんも、とっても好きなんだ。
真崎とお互いに気持ちを伝えあえたうれしさが、こんなに胸を締めつける苦しさに変わるなんて。こんなに幸せなのに、その幸せが大好きな友だちを裏切ることになるなんて。
とぼとぼと一人、駅へ通じる通りを歩きながら、周りの光景はもう何も目に入ってこなかった。
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