エピソード 2ー5

「死にましたわーっ」


 一日が終わり、寮にある共同浴場でリズが泣き言を口にする。彼女は浴槽の縁に少しだけ育ち始めた胸を預け、お姫様とは思えないほどだらけている。


 ちなみに、死んだと言っているのはもちろん比喩だ。遺跡の中でも死ねばそれまでだ。さすがにゲームと同じように外で復活したりはしない。

 ただ、インスタンスダンジョンを半日で三十周ほどしたのはさすがに厳しかったらしい。


「……王都竜窟に言ったのは知ってるけど、そんなにしんどかったの?」


 セレネがコテリと首を傾げた。彼女は足湯のように浴槽の縁に腰掛け、後ろに手をついてぐーっと背中を伸ばしている。


 ……デスクワークが多いから肩が凝るのかな? それとも、重いものを二つもぶら下げているから肩が凝るのかな……?

 私がそんなことを考えていると、リズが恨みがましい目でセレネを見上げた。


「しんどいなんてものじゃありませんわよ。三十周、たった半日で三十周ですわよ」

「そ、それは……ずいぶんと……というか、信じられないくらい無茶をしたわね。でも、それだけ回ったのなら、結構いいものが手に入ったんじゃない?」

「ええ、まぁ……それはもちろん。紅霧結晶のオーパーツセット装備は揃いましたし、オプションはなかなかのものですわよ。それにレア素材も八個ほど手に入りましたし……」


 リズがぼやいた瞬間、セレネが「――はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。


「レア素材が八個って、さすがに盛りすぎでしょ」


 信じられないという顔をして、ホントなのかと私を見る。

 それを見た瞬間、私は気付いた。

 この話で釣れば、研究大好きっ子のセレネを遺跡の周回に引っ張り出せる、と。


「ふふっ、それが嘘じゃないんだよね。今日だけで治療薬の素材はもちろん、蒼光鋼石も、二人あわせれば武器を一本作れるくらいは集まったよ」

「じゃあ、まさか魔導紅晶も!?」


 魔導紅晶というのは、そのなから予想できるように、魔術師が使う杖に使われる金属だ。従来の杖よりも大きな力を引き出すことが出来る。


 魔導紅晶のドロップはレアボス限定で1%弱と言われている。つまり、私とリズがいまから鑑定の儀まで、今日と同じペースで回れば五個くらいは手に入る確率だ。

 ……まあ、今日と同じペースを一ヶ月続けるのは厳しいけど。

 だけど――


「一緒に周回すれば、その打ち手に入るかもね?」


 口の端を吊り上げてみせれば効果はてきめんだった。


「嘘、でしょ? 遺跡から月に一つも出れば多いくらいなのよ? それだってオークションにすら滅多に流れないから幻の素材と言われているのに……」


 気持ちはよく分かる。

 私も紅雨の幻域を始めた当初は魔導紅晶を集めるためにものすごく周回した。ユーザー数的にはそこそこの数が産出されるんだけど、みんな自分で使うから手に入らないんだよね。

 だから、周回する人が装備とかしていると羨ましくて仕方ない、って言うね。


 そういった体験があるから、いまのセレネの気持ちはよく分かる。

 私はとどめを刺すべく、リズへと視線を向けた。


「ねぇリズ、今日は治療薬に必要な素材と蒼光鋼石を交換してくれてありがとうね」

「アリスティアのためですもの。気にする必要はありませんわ」


 リズの言葉は素っ気ない。でも、セレネは気付いたはずだ。一緒に周回すれば、お互いに必要なものを交換できる可能性に。なんて思っていたら、セレネが浴槽の縁から立ち上がった。そのまま踵を返すと、浴場の出口へと向かって歩き出す。


 ……失敗したかな?

 セレネなら絶対食いつくと思ったんだけど。


 なにかほかの方法を考えなきゃいけないかもしれない。そう思ってセレネの背中を見送っていると、彼女が扉のまえでクルリと振り返った。


「二人ともなにをしているの? 早く遺跡に行くわよ」

「……いや、さすがに今日はもう行かないよ」


 すっごく残念そうな顔で見られた。




 それから三週間はほぼ毎日、朝から晩まで王都幽影を周回した。

 初日のリズじゃないけど、疲労で死ぬかと思った。最初は私が引っ張っていたけど、途中からリズやセレネの方が周回を楽しみ始めたのだ。


 アミュレットに装着するアイテムの厳選や強化の楽しみを知ってしまったらしい。

 まあ……『紅雨の幻域』でも、取り憑かれたように装備を厳選する人は多かった――というか、私がその筆頭だったから、二人の気持ちはよく分かる。


 アルケイン・アミュレットはいわゆる帰属装備だ。

 現実となったこの世界での理由は、装備者の魔力に馴染ませるため、魔力の波長が違う他者は使うことが出来ない、という理由。


 ゆえに、ベルヴェディア戦術学院に入学した生徒は、ある程度戦う術を身に着けたら、王都幽影を周回することになる。


 その辺りは、『紅雨の幻域』の育成方法と変わらない。

 ただ、オプションをどういうふうに厳選するのが一番強いのか、とか、どのような称号があるのか、とか、どうやって周回するのが効率がいいのか、とかは改良の余地がある。

 まあこの世界にはYouTubeも攻略サイトもないので仕方ないと思う。

 情報を共有しようとする人はそう多くないからね。


 という訳で、二人に引きずられるように、私は遺跡の周回を続けた。

 結果、三週間で六百周はしたと思う。

 一周につき手に入る装備が二つなので、およそ千二百個。王都幽影から出るのは四つセットの装備が三種類なので、各百個くらい出た計算だ。

 という訳で、三人とも大体装備の厳選が終わった。


「うぅん、この塞がれた記憶のピアス、オプションは攻撃力とクリティカル率とクリティカル威力が上昇するので最高なんですが、上昇値がいまいちなんですわよね」

「あたしは魔力と回復量がすごく上がるんだけど、クリティカル関係のオプションがついていないのよね。ほかの三つは完璧なんだけど……」


 リズとセレネが恐ろしいことを呟いている。

 ダメだこの二人。

 ネットゲーム初心者あるあるの、装備厳選が止められなくなる病だ。


 こういうのにはまりすぎて、徹夜でプレイする人とかが倒れたりしたから、最近のゲームはスタミナとかを使わないと周回できないように規制されてるんだよね。

 ゲームでも危険なのに、現実の世界ではどんな事故が起きるか分からない。


「二人ともその辺になさい。言ったでしょ。ほかの遺跡には、もっと上位のセット装備が出る場所もあるから、いまの装備の厳選はほどほどで大丈夫だって」

「ですが、それまでのステータスに影響が出るのは事実ですわよ?」

「そうだよ。あとちょっと魔力があれば、上級魔術がもう一発多く撃てるように……」


「ストーップ!」


 二人の目がやばい。


「ちょっと熱を入れすぎだよ。それに今日は手に入れた鉱石で装備を作りに行くって言ったでしょ? 早く作らないと鑑定の儀に間に合わないわよ?」


 二人はハッとした顔になる。


「そ、そうでしたわね。少し我を忘れていたようです」

「そうね、あたしも冷静じゃなかった。今日は装備を作りに行くわ」


 どうやら冷静になってくれたようだ。でも、そうやって作った装備も、遺跡で手に入れた蒼魂石というアイテムで強化できて、強化の成功確率があるんだよね。

 ……今度は強化素材を求めて周回する二人が目に浮かぶようだ。


 それでも、装備を作るのは避けて通れない道だ。

 『紅雨の幻域』の悲劇を回避するためには、原作以上の能力が必要になる。それになにより、私にはアストラル領域を占有されているというハンデがある。

 それを撥ね除けるには、相応の努力と装備が必要だ。


 という訳で、今日は装備を作りに行くことになった。

 二人が鉱石を取りに戻っているあいだ、私は広場のベンチに腰掛けて待つ。そうしてしばらく待っていると見覚えのある少女が通りかかった。青み掛かった銀色の長髪に、深く吸い込まれそうな赤い瞳。よく知っているはずなのに、とっさに誰か分からない。


 それが誰か思い出そうとしながら、彼女が立ち去るのを見送る。すると、その女性とすれ違った女の子二人の世間話が耳に入ってきた。


「ねぇねぇ、さっきのすごい綺麗な子、見た?」

「見た見た。英雄のルナリア様の肖像画によく似てたわね」

「え、そうだった? って言うか、よく覚えてるわね」

「ちょうど最近見たことがあったのよ」


 そのやり取りを聞いて息を呑む。私がキャラメイクをした漂流者は、その時点での前世の自分――剣姫ルナリアを模したことを思い出したからだ。


「待って――」


 慌てて追いかけようと立ち上がった。

 その瞬間、背後から腕を掴まれる。

 ハッと驚いて振り返ると、そこにセレナが立っていた。


「お待たせ――って、どうかしたの?」

「え、いや、その……」


 前世の自分が作ったゲームのキャラとすれ違ったなんて言えるはずがない。どうしようかと視線を彷徨わせるが、彼女はいつの間にかいなくなっていた。

 溜め息を吐き、首をゆっくりと横に振る。


「なんでもないよ」

「……そう?」

「うん。早く装備を作りたいなって焦れてただけだよ」


 さっき見たものは頭の片隅に追いやって、武器を作ることに意識を移した。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る