エピソード 2ー1
「ベルヴェディア戦術学院へようこそ。ここにいるみなさんは栄えある当校の訓練生となりました。しかし、戦術を極めるための道のりは容易ではありません。一ヶ月後、新入生の数は半数に減っていることでしょう」
ベルヴェディア戦術学院の講堂で生徒会長が演説をしている。
落ち着いた濃い茶色の瞳と金髪ながら、顔立ちはどことなくリズと似ている。彼はセオドール、この国の第二王子であり、リズの実のお兄さんである。
それと演説の内容にも少し触れておこう。
一ヶ月後に生徒が半数になるなんて、日本の基準で考えればあり得ない話だ。
けれど、彼の言葉に驚く生徒はいない。
一ヶ月後に半数になるというのは誇張でもなんでもない、例年からみた事実であり、ここにいる者達は皆、そのことを知っているからだ。
この世界は絶えず魔物による被害に悩まされていて、戦力はいつも足りていない。
さりとて義務教育を進める余裕はなく、平民は読み書きがせいぜいといったところだ。それゆえに、入学試験を実施すると平民の大半は落第してしまう。
だから希望者の全員を入学させ、最初の一ヶ月は自由に授業を受けることが出来るようになっている。そして一ヶ月後に実施する鑑定の儀で生徒をふるいに掛ける。
それがこの世界における入試の役割を果たしているのだ。
ちなみに鑑定の儀というのは、ゲームで言うところのステータスの確認だ。
詳細なステータスを見ることは出来ないけれど、称号を確認することが出来る。それを確認して、可能性があれば正式に生徒となることが出来る、という流れだ。
もっとも、それで落ちるのはごくわずか。努力すらできない人間だけだ。いくら初級魔術しか使えない状態になっていると言っても、私が一年目に落第することはあり得ない。
だから大丈夫――という訳じゃないのが辛いところだ。
『紅雨の幻域』の本編が始まるまであと一年。
そのあいだにも多くの悲劇が起こる。
それらの始まりは、いま壇上で演説しているセオドール殿下が魔将に殺されることだ。
鏡像のアルモルフ。
自分が倒した強者の姿と能力を真似るという凶悪な魔将であり、お姉ちゃんの治療薬を作るのに必要な素材の代わりとなる鏡像の欠片をドロップする唯一の存在。
人の姿をしたその魔将をまえに、実地訓練に赴く学生を率いる部隊は大混乱に陥る。
そして――
『俺が足止めをする。おまえ達はその隙に逃げろ』
セオドール殿下は多くの仲間の逃げる隙を作り、それと引き換えに帰らぬ人となった。リズを始めとした多くの人々の心に傷を残した痛ましい事件だ。
だけど、それは悲劇の始まりでしかなかった。
鏡像のアルモルフはプレイヤーの率いるパーティーのまえにも現れるのだが、さっきも言ったように、鏡像のアルモルフは倒した強者の姿を真似る。
プレイヤー達の前に現れた魔将は、セオドール殿下の姿をしていたのだ。
兄の姿を模した魔将をまえに、リズは力を発揮できなくなる。そうしてパーティーがピンチに陥ったとき、私が命と引き換えに魔将を撤退に追いやる。
これが二度目の悲劇だ。
そして三度目の悲劇は、私の姿を模した魔将と相対したセレネが、禁呪を使って魔将と刺し違え、私の敵を討つというエピソード。
多くの悲しみを背負った仲間達は、その悲しみをバネに強くなる。
感動と涙の物語。
だけど、私はその運命を否定する。
でも、運命を変えるのは一筋縄じゃいかない。なぜなら、この世界はゲームの展開通りに歴史が進むよう、強制力が働いているように思えるから。
もちろん、これはなんの証拠もない憶測だ。
ただ、アレンのときの雨で川が増水して救援が間に合わなかったことに加え、ソフィアの身に降りかかる悲劇が一年も早くに発生したのが偶然とは考えにくい。
少なくとも、なんらかの強制力はある、そう考えて動くべきだ。
だから、実地訓練の日をずらすなどは逆効果になる可能性が高い。たとえば、まったく予測もしていなかったタイミングで事件が起こる、とか。
つまり、セオドール殿下に警告をするなどは出来ない。ゲームのようにやり直しが出来ないこの世界で試すのはリスクが高すぎるから。
なら、どうするのが正解か?
そのヒントは、アレンとソフィアの件にある。
彼らが悲劇に見舞われる事件を未然に防ぐことは出来なかった。
けれど、結果を変えることは出来た。
つまり、実地訓練の部隊が襲撃される事件を未然に防ぐことは難しいけれど、その結果を変えることなら出来るかもしれない、という推測が成り立つ。
そこをつく、というのがいまの私に出来る最適解だ。
ただ、それには魔将を倒す必要がある。
それも周囲に警告しないようにする以上、動かせる戦力は私自身だけだ。
だけど、実地訓練に参加できるようになるのは二年以降だ。一年生の私が実地訓練に参加するには相応の結果を出す必要がある。たとえば、一ヶ月後の鑑定の儀で皆をあっと言わせるような実績を叩き出し、実地訓練までに飛び級をする、とか。
もちろん、私が参加したからと言って、セオドール殿下を救えるという保証はない。けれど、参加すら出来なければ、きっとセオドール殿下の運命は変えられない。
だから、まずは飛び級を目指す。
そのために必要な計画を立てながら、セオドール殿下の演説に耳を傾けた。
入学式が終わった後。
寮に向かおうと考えていると使用人から伝言をもらった。その伝言に従って学院の中にあるカフェテラスへと足を運ぶと、そこに伝言の主達が待っていた。
制服姿でお茶をするリズとセレネだ。
リズはサンディブロンドの髪を伸ばし、体付きも少し大人っぽくなった。そしてセレネもまた、陽気な容姿の中に大人びた魅力の片鱗を見せている。
「リズ、それにセレネも久しぶり。しばらく見ないうちに綺麗になったわね」
「あら、リディアにそう言っていただけるなんて嬉しいですわね」
リズは長い髪を指でいじりながらはにかんだ。
「しかも、そういう本人が一番綺麗になってるって言うね。それに、なによそれ。一年前はそこまで大きくなかったでしょ? 成長しすぎじゃない?」
セレネの視線が私の胸へと向けられる。
うん、リディアは仲間達の中でもスタイルがいいのよね。それを知っている私的には、成長したと言うよりも、ゲームのビジュアルに近づいた、というイメージなのだけど。
ともあれ、二人と会うのは王都で開催されたパーティー以来だ。幼なじみとの旧交を温め合っていると、不意に周囲の声が耳に入ってきた。
「そうそう、ウィスタリア侯爵家のご令嬢。将来は魔姫を有望視されていたのに、不治の病を患った家族のために、アンビヴァレント・ステイシスを使用してしまったそうよ」
「アンビヴァレント・ステイシス……ってなんだっけ?」
「上級に分類される、死にゆく人の命を延命する魔術よ。発動を続ける限り、アストラル領域を占有するっていうやばい奴」
「え? それってほとんど魔術が使えなくなるってこと!? やばいじゃない。貴族の義務を放棄したってことだよね?」
「そうよ、だからヤバいんだって」
貴族には魔物と戦う義務がある。
それと引き換えに、貴族には多くの特権が与えられている。
もちろん、魔物と戦うという言葉には、直接的な戦闘以外にも、様々な形での支援が含まれる。けれど、自らの意志で戦いから逃げた者は周囲から蔑まれることになる。
姉を延命するためだけに、希有な才能を消費した私が批難されるのは当然だ。少なくとも私はそう思っているし、陰口を叩かれても気にしていなかった。
だけど、私の友人達はそうじゃなかった。セレネが「ちょっと――」と声を上げるのとほぼ同時、リズがテーブルに手をついて立ち上がった。
リズの挙動に注目が集まる。
噂をしていた赤毛の少女は私が近くにいると気付いていなかったのだろう。こちらを見た瞬間、彼女はヤバっという顔をした。
そんな彼女に向かってリズが食ってかかる。
「よく知りもしないで、友人の悪口を言わないでくださらないかしら?」
「な、なによ。彼女が貴族の義務を放棄したのは事実でしょ?」
赤毛の少女が反論し、リズを真正面から睨み付けた。
一触即発の雰囲気。そんな空気を蹴っ飛ばすように場違いな声が響く。
「今年の新入生は元気だな」
声の主はセオドール殿下だった。
「セオお兄様――」
リズが声を上げるが、セオドール殿下はそれを手で遮った。
「いまは生徒会長と呼べ。それから、友人を貶されて怒る気持ちは分かるが、ここでは王族という地位は関係ない。そのように威圧するのは止めるんだ」
「……も、申し訳ありません」
リズが顔を伏せる。セオドール殿下はその頭にぽんと手を置いて、「分かればいい」と微笑んだ。妹を気遣う優しいお兄ちゃんの姿だ。
だが、彼はすぐに意識を切り替えた。
「それと陰口を叩いていたおまえもだ。鑑定の儀が終わるまでは皆が等しく平等だ。そしてそれは彼女も例外ではない。憶測で貶めるような発言は止めておけ」
「……はい、軽はずみな言動をいたしました」
赤髪の少女は素直に頭を下げる。そうしてセオドール生徒会長の許しを得ると、私に向かって軽く会釈をしてそそくさと立ち去っていった。
それを見送り、セオドール殿下が私に視線を向ける。
「久しぶりだな、リディア」
優しいブラウンの瞳が私に向けられる。私とセオドール殿下、親しいと言うほどではないけれど、リズを通してそれなりに親交はある。
「ご無沙汰しております、セオドール殿下」
「リズにも言ったが、ここで貴族の階級を持ち出す必要はない」
「では、セオドール生徒会長と呼ばせていただきます」
「それでいい。それから……アンビヴァレント・ステイシスを使用したそうだな」
鋭い視線を向けられる。
その圧力を受け流しながら、まっすぐに見つめ返した。
「おっしゃるとおりです。ですが、貴族の義務を放棄するつもりはありません。だからこそ、ベルヴェディア戦術学院に入学しました」
「……ああ、分かっている」
少し愁いを帯びた表情になった。
どうしてと首を傾げていると、彼の瞳の色が少しだけ深くなった。
「俺はアンビヴァレント・ステイシスを使用したこと自体を咎めるつもりはない。すべてを護ろうとするおまえの志は立派なものだと思う」
「……ありがとうございます」
肯定されるとは思っていなくて少しだけ驚いた。
けれど、彼の言葉には「だが――」と続きがあった。
「気持ちだけでは出来ないこともある。アストラル領域を占有された状態で戦いに身を投じるのは無謀というものだ」
「……姉に掛けたアンビヴァレント・ステイシスを解除しろと?」
それは決して受け入れられない提案だ。
そう思ったのだけれど、彼は否定も肯定もしなかった。
「なにが一番大切なのか、よく考えろと言うことだ」
「それは、どういう……」
貴族の義務を放棄して姉を護れ――と。常識的に考えてあり得ない答えが思い浮かんで目を見張る。けれどセオドール生徒会長答えず、踵を返して立ち去っていった。
その後ろ姿を見送っていると、私の視界に影が降りた。
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