ウィリアムとヒロインちゃんと前世の妹




 俺はウィリアム――ウィルたち組織員が正装としている黒いタキシードのような軍服に着替えると、自室をあとにした。


 俺たちが住んでいるこの屋敷は表向きは貴族の邸宅だが、その実、政府によって秘密裏に用意された組織のアジトでもある。


 蒼天の蛇はいわゆるスパイや暗殺などを生業としている組織だ。

 王家が直接行うにははばかられるような汚い裏仕事を主に請け負っている。


 俺は前世の記憶を取り戻したとはいっても、これまでウィルとして過ごしてきた記憶が消えてなくなってしまったわけではないので、乙女ゲー知識だけでなく、この世界で実際に起こった出来事なども熟知している。


 そのほとんどはゲームのシナリオ通りのものだったが、この世界に転生したからこそ知り得た、設定でしか存在していないようなこともある程度理解していた。


 俺が転生したウィリアムというキャラは、攻略対象の中では最もクールなイケメンとして知られている。

 実際に俺の中にある記憶でも、このウィルという人間は目的のためなら手段を選ばない凶悪な人間だった。


 末端の人間も入れると、この組織は百名ほどが在籍するかなり巨大な組織だが、この屋敷に暮らしているのは俺含めて十名プラス料理人やメイドたちだ。


 そして、その組織の人間十名というのがいわゆる十本指と呼ばれている連中で、その中に俺含めた攻略対象五人が含まれている。


 その中でもウィルは屈指の凄腕工作員で、総帥に次ぐナンバー二と目されるような男だった。

 どこか影のある男で、いつも遠くを見据えていて近寄りがたい。


 ヒロインが次期総帥を決めるキーガールに選ばれてからも、他の候補者たちがなんとかして彼女を口説き落とそうとがんばっているのに、一人だけ距離を取っている。

 そんな人物だった。


 そんな影のあるクールな人物像が一部の女子たちには受けていたようで、前世の妹もそこにはまっていたらしい。


 前世の俺は幼少の頃から虚弱体質で、重い病にかかっていたからずっと病室暮らしだった。

 ベッドから起き上がることもできず、日に日に弱っていく毎日。


 そんな俺のために毎日見舞いに来てくれたのが妹だったのだが――



『ちょっと、お兄! 見てよ、この人! メチャクチャ格好いいンだから!』



 そんなことを言って、こいつは何をしに来たのかと言いたくなるぐらい、見舞いに来る度に俺が転生することになったこの乙女ゲーのことをべらべらと熱く語っていた。


 特に、ウィルが最推しだからと、うんざりさせられるくらい、何度も何度も聞かされてきた。

 お陰でこのキャラだけでなく、俺はこの世界のこともやってないのに妹並みに詳しくなってしまったというわけだ。


 まぁ、最後は病状が悪化して意識を失い、気がついたときにはそんな乙女な世界に転生していたわけだから、今となってはあいつのオタク心には感謝しなければならないんだけどな。



「今頃あいつ、何してんだろうな……」



 俺は一人ブツクサ言いながら、食堂へ向かった。



「あ……ウィリアムさん、おはようございます!」



 二階から一階へと下りる大階段を下り、ホールに出たところで一人のメイドに声をかけられた。



「……あぁ。おはよう」



 そいつは赤茶色の長い髪をポニーテールに結わえた髪型をした若い娘だった。


 服装はクラシックなメイド服というよりかは、さすが物語世界と言いたくなるぐらい、どこか可愛らしいデザインだった。


 クラシックドレスを思わせるような形状をしていながらも、上も下もフリフリで、スカートだけはこの世界の時代設定に合わせているためか、くるぶしが見えないぐらいに長い。


 そんな見た目の女の子だったのだが……。


 俺はにっこり微笑みかけてきた彼女の顔を見て、思わず生唾を飲み込んでしまった。


 ――スカーレット・ローゼンタリア。


 それがそのメイドの名前であり、そして、あの乙女ゲーのヒロインの名前だった。


 つまり、こいつこそがヒロインその人なのである。

 俺は内心の動揺を悟られないように、表面上はいつものクールな表情を崩さず、彼女に近寄っていった。



「朝から精が出るな」

「はい! もう、どうせここからは出られないですし、だったら開き直って自分の仕事を全うしようと思って」



 そう言って、にっこりと笑うスカーレット。


 ていうか……やばい!

 メチャクチャ可愛いんだけど!?

 さすがヒロイン!


 あのゲーム、ヒロインはどこにでもいる普通女子と設定されていたが、そこはやはり乙女ゲー。

 攻略対象のイケメン同様、主人公のビジュアルがぶっちゃいくなわけがない。


 しかも、アレが現実になったせいだろうか。

 ゲームで見ていたときよりもリアリティのある可愛らしさを秘めている。


 青い瞳は大きいし、赤毛の睫毛も長いし、ぷっくりとした唇は妙に艶があり、肌はすべすべ!

 これじゃ、他の攻略対象たちが我先にとちょっかいかけたくなる気持ちもわかるというものだ。



「スカーレットと言ったか?」

「はい!」

「ここに来てからどれだけの日数が経った?」

「えっとですね……まだ一週間とかそのぐらいではないでしょうか」

「一週間か」



 つまりはまだ、ヒロインは攻略対象の誰とも仲良くなっていない状態ということを意味する。

 次期総帥選びが始まるのはもっと先のことだからな。

 ゆえに、ヒロイン争奪戦もまだ始まっていないということだ。



「俺が記憶している情報と一緒だな」

「え……?」

「いや、なんでもない」



 俺は彼女から目を逸らすと、ふと、彼女と出会ったときのことを思い出していた。


 丁度一週間前のこと。


 あのゲームシナリオ通り、俺たちは王家からの命令で反乱を企てていた貴族らを闇で処理していたのだが、その最中に偶然、彼女と出くわすことになった。


 俺もその現場にいたから事情はよく知っている。

 確か、勤務している花屋からの帰りで、いつも通らない道を通ったら闇討ちしている現場に出くわしたのだとか。


 彼女はその場で口封じに抹殺するとが厳命したが、それを止めたのが組織の総帥ボスだった。

 彼女は逃げようとしたが、咄嗟とっさに動いたボスが当て身を喰らわせ、この屋敷に連れてきた。


 その上で、使用人として働くよう納得させた。さもなければ殺すと脅して。

 勿論、その命令を下したのはボスだ。俺ではない。


「ところで、ウィリアム様?」

「ん? どうした?」

「はい。もう間もなく食事の準備が整いますので、早めに食堂へいらしてくださいね」

「わかった。今日は他の連中も一緒か?」

「はい。そのように聞いております。総帥も来られるようですよ」


「そうか。ならすぐに行く」

「はい。私も雑務が終わりましたので、ウィリアム様とご一緒してもよろしいですか?」

「それは構わないが――ウィルだ」

「はい?」

「俺のことはウィルでいい。親しい者たちからはそう呼ばれている」



 ウィルと呼ばれているというのは本当は嘘だ。

 単純に前世の妹がウィルウィル連呼していたせいで、そっちの方がしっくりくるというだけのこと。



「よろしいのですか?」

「構わん。その方が俺は好きだ」

「……そうですか。わかりました。では、次からはそうお呼びさせていただきますね」

「あぁ」



 表情を殺して頷く俺に、彼女は軽く小首を傾げて見せたが、すぐに何かを思い出したかのように手を叩いた。



「あ、でしたら、ウィル様。私のことも次からはレティとお呼びください」

「レティ?」

「はい。私の愛称です。友人や家族からはそう呼ばれていました」



 彼女はそう言ってニコッと笑いかけてくる。

 なんとも人懐っこくて愛らしい笑みだった。

 どこか清純さの中にも妙な艶っぽさまで秘めている。

 俺はそれを見て――


 いか~ん!


 彼女の可憐な笑顔にいきなり攻略されそうになってしまった。

 危ない危ない。


 一瞬、胸がキュンってなってしまったぞ? キュ~ンって。


 さすがヒロインなだけはある。

 なんとも爆発力のある笑顔だった。


 スカーレット――レティはゲームでもそうだったが、こんな境遇に落とされたにもかかわらず、すぐにそれを受け入れてしまい、常に屈託のない笑顔を周囲の男どもに振りまいていた。


 しかも、どこからどう見ても危険な男たちに囲まれているにもかかわらず、怯えることなく毎日を過ごしている。


 なんとも健気で愛らしい女の子だった。

 ちなみに、ヒロインの年齢は確か二十一歳だったはず。



「――おや? これは珍しいですね。ウィリアムが他人と話し込んでいるだなんて」



 ひたすらニコニコ笑顔を俺に向けてきていたレティに落とされかけていたチョロメンの俺に、突然、背後から声がかかった。



「なんだ、誰かと思ったらワルターか」



 振り返った俺の視線の先には、階段を下りてくる緑髪のイケメンがいた。

 誰あろう、十本指の一人で攻略対象の一人でもある。


 ――ワルター・デューン。


 二十七歳。緑髪碧眼。長髪眼鏡。ナンバー三。

 危険な男たちの中にあって比較的ゆるい性格をしている優男風。

 それがこいつの大雑把なプロフィールである。

 ちなみに女ったらしでも知られている。



「あ、おはようございます、デューン様」

「あぁ、おはようさん」



 なぜか俺の時とは違い、営業スマイルのような表情で挨拶するレティ。

 そんな彼女に緑髪のイケメンくんはにっこりと微笑みながらウィンクしてみせると、再び俺の方へと視線を向けてきた。



「ところで、こんなところで立ち話していていいんですか? 早く食堂に行かないと、またボスにどやされますよ?」



 ワルターは終始キザな笑みを浮かべながら、後ろ手に手を振り歩き去っていった。



「俺たちも行くか」

「はい!」



 ヒロインちゃんは元気に応じると、食堂に向かう俺に付き従うように歩き始めたのだが。



「ん?」



 背後を歩くレティから妙な気配を感じて振り返り――思わずドキッとしてしまった。


 熱を帯びたような視線と、愛らしく、けれどどこかうっとりとしたような表情。

 まさしくそれは恋する乙女のような表情だった。

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