第二章(1)

「月見先輩。打ち切りはとてつもなく悲しく悲惨で陰惨で陰鬱で、避けられるならば避けるに越したことはない悲劇だとは思いますが──しかしだからと言って、一度は打ち切られたはずの物語が、後になって復活すると『そういうことじゃないんだよなあ』って気分になりませんか?」

 五月の放課後──

 今日も今日とて後輩の小鳥が、出版業界の風習や潮流に一石を投じるような難癖を言ってきた。

 こんなもんは触れれば触れただけこっちが損する議論なことはわかりきっているが、しかし逃げたと思われるのも癪なので、

「どういうことだ?」

 と聞き返してしまう。俺の厄介な性分のせいで、いつもこいつとの話は長くなってしまうのだろう。

「死んだ人は生き返らない、という話ですよ」

「いや、絶対そんな高尚な話ではなかっただろ」

「似たようなものですよ。漫画も人生も一度きりの一期一会です。人生にリセットボタンがないように、漫画連載にだってリセットボタンは存在しないんですよ」

 飄々と言う小鳥。

「最近、割とあるじゃないですか。一度打ち切りになった漫画が、数年、数十年の時を経て復活連載とか。アニメ化して大ヒットした作品だけど最後はちょっと消化不良で打ち切りっぽく終わっちゃった作品が……十年越しにまさかの続編スタート、とか」

「……あるなあ」

 具体名は出さないけど、いろいろ思いつくなあ。

 作者の次回作が大ヒットしたから、打ち切りで終わってしまった前作をリメイクして今のネームバリューのあるうちに売り出すとか。

 連載が終わってからだいぶ経った後に始まるメディアミックスに合わせて、続編や外伝の連載とか。

 出版社が替わって復活とか。

 少年向け雑誌では打ち切りで終わってしまった作品が、当時の読者が大人になったことを想定して青年誌で青年漫画としてリバイバルとか。

 似たような事例は枚挙に暇がない。

「でも別に悪い話じゃないだろ。作者的にも消化不良で終わった作品を復活させるチャンスが与えられるわけだから」

「ふーむ。まあ『いい』か『悪い』かの二択で言えば『いい』に分類される話なのでしょうけれど……手放しで全肯定はできないですね」

 複雑そうな顔をして唇を尖らせる。

「言ってしまえば打ち切りとは、出版社の都合で作品が殺されることじゃないですか。作者が必死に産み落としたかわいい我が子を、『人気がなかった』という理由だけで出版社が処刑する……それが打ち切りという悪逆非道の行為です」

「……相当嫌な言い方をすればそうなるのかもな」

 自分の作品は我が子のようなもの。

 そんな表現はよく使われるけれど……実際問題、作品は子供じゃないからなあ。商業でやる以上、シビアな判断をされるのは当然だし。

「自分達の都合で作品を殺しておきながら、数年後にまた自分達の都合で生き返らそうとするなんて……『殺したけど、生き返らせたからいいよね?』みたいな話じゃないですか。だったら最初から打ち切るなって話ですよ」

「いろいろあるんだよ、大人の事情が」

「作者の方だって、きっと複雑な思いがあると思いますよ。打ち切り宣告されて、とてつもない悔しさや後悔に苛まれて、それでも必死に打ち切りなりのエンドを描いたというのに……数年後にやっぱり復活させてやるから続き描け、なんて。打ち切られた当時の激情を思うと、やるせない思いがこみ上げてきます」

「…………」

「そのくせ世間的には『やっと本当のエンディングが見られる』みたいなノリになっちゃいますからね。なーんか釈然としないですよ。そっちのエンドが本物なら──打ち切りエンドは偽物なのかよって話ですから。打ち切りエンドを単なる消化不良失敗エンドみたいに語られるのは、釈然としないものがあります」

 なるほど。

 少しだけなにが言いたいかわかってきた。

 打ち切り漫画愛好家の小鳥は、作品の打ち切りエンドも愛している。

 ただ漫画単体で好むというより、そこに込められた作者の思いや世情までも含めて偏執的な愛情を注いでいる感じだ。

 足掻いて足掻いて足掻き抜いた末に辿り着いた結末に──無上の価値を見出しているというか。

 そんな彼女だからこそ、打ち切り漫画の復活には複雑な思いがあるのだろう。

 安易に後から復活してしまったら、打ち切りという一つの終わり方が、台無しにさせられたような気分になってしまうから。

「実際問題、作者さんも大変なんじゃないですかねえ? どうにかこうにか終わらせた物語を後から復活させるなんて。そう簡単に続きなんて描けるものなんでしょうか?」

「どうだろうなあ。その辺は作品にもよるし。あー、でも漫画家は結構、常日頃からその難題とはよく向き合ってるかもな」

「ふむ?」

「読み切り漫画を連載向けにするときとか」

「あー、なるほど」

 ピンと来たようだった。

「読み切り作品の中には、読み切りだからこそ綺麗に終わってるもんがたくさんあるからな。人気が出て『連載狙おう』ってなっても、連載向けにはなかなか直せなかったりする」

「先輩が投稿した作品も、そのタイプでしたね。読み切りとして綺麗にまとまりすぎてて、どうやっても連載向けに改稿はできなかった……って前に聞きました」

「うむ」

 小鳥には俺の投稿作も見せている。

『コメット』の漫画賞に送った作品は、読み切りとして綺麗にまとまってるタイプの作品だった。短編として完全に完結してしまってる感じ。

 当初はそれを連載向けに改稿していこうと考えていたが、担当さんとの話し合いの末、改稿は諦めることとなった。

「短編として綺麗に終わった作品を続けようとすれば、どうしたって蛇足っぽくなる。だからと言って連載向けに大幅な改稿を加えてしまえば……元作品からは遠くなって、ほとんど別作品になっていく。そうなったら『もう別作品で連載狙った方が早くね?』みたいな話になってく……」

「テセウスの船みたいな話ですね」

「おー、よく知ってるな」

「前に先輩から聞きましたよ」

「言ったっけか?」

 まあ、日常的にそういうこと言ってそうなのが、俺だけど。

 テセウスの船。

 極めて簡単に語れば──一つの船が破損し、修繕のために部品を一つ取り替える。そんな作業を繰り返し、元の船の部品が一つもなくなったとき、果たしてその船は元の船と同じと言えるのか。それが別の船だというなら、船は何割の部品が入れ替わった段階から元の船とは『別』の船と言えるのか。

 みたいな話。

 読み切り漫画の改稿も、まあ、似たような話と言えるだろう。

 連載向けに新キャラ、新設定、新要素を付け足し、元の要素を徐々に省いていけば、段々と元の作品とは言えなくなってくる。

「そう考えると漫画賞も不完全なシステムのような気がしますよねー」

 小鳥は言う。

「なんかほら、よく言うじゃないですか。連載前提で伏線残しまくって露骨に『二話に続く!』みたいなオチの話じゃ受賞しづらいとか。綺麗に読み切りとしてまとまってる投稿作の方が評価は高くなる。でもそういう作品じゃ、いざ連載を考えると『連載向けじゃないから、別なの考えましょう』となる。なんか矛盾してますよ」

「そこはジレンマだなあ。ラノベとかも同じ問題抱えてると聞くし。投稿作は綺麗に完結してなきゃいけないけど、受賞したら続刊出さなきゃいけない。だからって露骨に続刊しやすそうなもんを優先して受賞させたら、それは新人賞としてどうなんだっつー問題がある」

「ふーん」

「たまにWebでやってる短編コンテストとかも同じだな。プロラノベ作家に短編書かせて、一位取ったら書籍化しますって企画……短編で競うから綺麗にオチがついてる方が有利だけど、そういう作品は長編にしづらい。最近聞いた話じゃ、作者のノリと勢いで書いただけの短編がうっかり一位になって、どう考えても長編にできるわけがない作品を無理やり長編にして出すようなこともあったとか──」

「まあ、ラノベは興味ないっすねー」

 どうでもよさそうに言う小鳥。

 相変わらずライトノベルには一切興味のない、漫画好きの後輩だった。

「だいぶ話は逸れましたけど、私がなにが言いたいかと言うと──打ち切り作品が後になって復活したところで、それは別物ってことですよ」

 まとめるように、小鳥は言った。

「いい悪いを語るつもりはありません。様々な事情が絡んでることでしょうから、私ごときが是非を語っていいことでもないのでしょう。ただ──違う作品、と思うだけです。偽物でも紛い物でもないけど──別物。打ち切られた作品が後から復活したところで、それはもう……別の作品なんです。熾烈な人気競争の渦中にいる瞬間にしかない熱量、欲求、絶望、無念……そういった数々の激情は極めて刹那的であり、だからこそ打ち切り漫画は輝くんです。後になって出版社から頼まれて作品が復活したところで、打ち切り間際のある種不健康な熱量までは、再現できない気がします」

「…………」

「言うなれば、スワンプマンみたいな話ですね」

「よく知ってるな」

「前に先輩から聞きましたよ」

「言ったっけか?」

 スワンプマン。

 極めて簡単に語れば──ある人間と全く同じ記憶、思考、外見を持った沼男が存在するとしたら、それはもはや同一人物と言えるのではないか。なにをもって『違う人間』と語るのか。なにをもって『同じ人間』と語るのか。

 みたいな思考実験である。

「打ち切り漫画が打ち切り沼から復活することは、私にとっちゃスワンプマンみたいな話ですよ。多くの人間が単なる続編と思う──つまり、同じ作品と認識する。でも私にとっては、全く違う作品なんですよ」

 共感できそうでできない、独自すぎる思考回路。

 この少女の並々ならぬ偏愛は、やはり計り知れないものがある。

「……お? とかなんとか言ってるうちに──降りる駅ですね」

 小鳥がそんなことを言うと同時に、電車が駅に止まった。

 ドアが開くのを待ってから、俺達はホームへと降りる。

 放課後──

 ではあるのだが、いつものように部室で話していたわけではない。

 ちょっとした叙述トリックである。

 俺達は今日、学校が終わってから、とある目的地を目指していた。

 三十分程度電車に揺られていたわけだが、いつものノリで無駄話をしていたから、あんまり時間の長さは感じなかった。

 改札を通り抜け、俺達は駅ビルの方へと向かう。

 比較的田舎の方にある高校から、市内では最も賑わっている繁華街の方へと、わざわざ電車に乗ってまでやってきた理由。

 人によっては「え? それだけ?」と思う理由かもしれないが、俺達にとってはとても重要な用事がある。

「ふふっ。楽しみですねえ、月見先輩」

「そうだな」

 俺達は今日──書店に漫画を買いにきたのだ。

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