第一章(2)

 一年前──

 新入生に向けた部活動紹介の時期だっただろうか。

 当時漫画部の部員は俺一人。

 これといって勧誘活動もしていなかったし、別に一人のままでも全然構わなかったのだが──そんな俺一人の部活に、小鳥はフラッと部室にやってきた。

「お、おう。いらっしゃい……。ま、まあまあ、座って座って」

「……失礼します」

 初対面のとき、小鳥はかなりクールだった。

 こちらと目を合わせようともせず、どこか怒ったような仏頂面。

「ええと、名前は?」

「小鳥です」

「小鳥さん……初めまして。俺は月見って言います。月見さとです。漢字で書くとこんな感じで……あっ、今の別にダジャレじゃなくてね」

 滑り気味のトークと共に、手元にあったノートに自分の名前を書いて説明した。

 月見里司。

 月見里やまなしつかさではなく、月見が名字で里司が名前。

「一応、部長になるのかな……」

「他の先輩は?」

「い、いないよ。部員、俺一人なんだよねー……あはは」

「……そうですか」

 淡々と言う。どこか怒ったみたいに。

 このときのことを小鳥は後に「いや、あれは緊張してただけですよ。ほら私、仲良くなるとめっちゃしゃべるけど、そこまでのハードルが結構高いタイプじゃないですか? 初対面の人と会話すると緊張して真顔になっちゃって、でも真顔だと怒ってると思われる……そんなかわいそうな奴なんですよね、私は」と語った。

 しかし当然ながら当時の俺はそんな事情は知らないので、無口でムスッとした異性の後輩相手にビビりまくっていた。

「え、ええと、そうだっ! 『コメット』でも読む?」

 会話に困った俺は、用意していた雑誌をテーブルに置いた。

「『コメット』ですか?」

 小鳥は訝しそうに雑誌を見つめる。

「いえ……この号はもう読んだので。先月のですよね、これ?」

「あっ、『コメット』読んでるんだ……。で、でもね、もう一回ぐらい読んだ方がいいよ! この号、マジで傑作だから!」

「……はあ」

 思い切り怪訝そうな顔をしながらも、小鳥は『コメット』を読み始めてくれた。

「お、面白いよねえ、『コメット』……。この号のオススメはまあ、244ページ辺りかなあ。絶対そのページ読んだ方がいい。端から端まで、隅から隅まで」

 精一杯自然な感じを装いながら、俺は言う。

「…………はあ」

 小鳥はさらに険しい顔となったが、渋々という様子で俺が指定したページを開き、読み始めた。もはや怒りを通り越して恐怖に近い表情となっている。逆らうのも怖いから仕方なく従ってる感がすごかった。

 そして。

「……えっ」

 俺が指定したページを読んでいた小鳥は、目を見開いた。

 どうやら気づいたらしい。

 そのページに描かれているのは連載漫画──ではなく。

 漫画賞の結果である。

『準入選』や『佳作』がイラストカットと共に大々的に載っている中、隅っこの方に小さく、最終候補に残った者の名前が書かれている。

「こ、これ、最終候補に、月見里司って……」

「あれーっ!? 気づいちゃったぁ!?」

 俺は言う。

 結構大きめの声で。

 ちょっとやれやれ感を出しながら。

「うわー、やっべー。ミスったわー。うっかり俺の名前が載ってる号を渡しちゃったわー。ちょっとちょっと、違うんだってばー。これじゃ自慢したみたいになっちゃうじゃん!」

「…………」

「全然、ぜーんぜんすごくないんだけどねっ。所詮、最終候補だから。こんなのなんの自慢にもならないから。もっと上目指してるからね、俺は。あー、やだやだ、人にバラしたくないんだよなー」

「…………」

「担当さんがついたって言っても、最終候補じゃねー。……あっ、これも自慢っぽくなっちゃったかな? あははっ。担当がつくぐらい、普通なんだけどね。全然普通。俺なんてせいぜい、銀の卵ぐらいだろうし」

 ……今となっては恥ずかしい限りだけど、思い出すだけで切腹したくなるぐらいなんだけれど──しかし当時の俺は舞い上がっていた。

 結果発表の直後だったから、有頂天になっていた。

 誰かに自慢したくてしょうがなかった。

 だから……新入部員が来たらどうにか自然な感じでアピールしようと、あれこれ用意していたわけだ。

 結果の載ってる『コメット』を用意したり、わざわざ名前を漢字まで書いて説明したり……そんな伏線を張っていた。

 今となっては恥辱の極みでしかない行動であり、醜い承認欲求に付き合わされた奴には同情を禁じ得ない。

 こんな自己顕示欲の塊みたいな先輩は軽蔑されて当たり前だと思うが──しかし。

「す、すごいです!」

 小鳥の反応は、俺が求めていた反応そのものだった。

 いや、あるいはそれ以上だったかもしれない。

「すごいすごい! 漫画描いてる人……私、初めて会いました! うわあ、すごすぎますよ! しかも『コメット』で賞もらって担当もついてるなんて!」

 キラキラと目を輝かせながら、熱狂的に褒めちぎる。

 お世辞ではなく、心から感動し讃えているようだった。

 求めていた以上の反応がもらえたせいで、俺の方はむしろ恐縮してしまう。

「いや……まあ、厳密には受賞じゃないんだけどね、最終選考だから。担当ついたって言っても、まだ一回電話しただけで……」

「それでも十分すごいですよ! ちゃんと漫画を描いて、完成させて、投稿して、そして才能を評価してもらえたってことじゃないですか! 尊敬に値する偉業です! 大リスペクトです!」

 小鳥は言う。

 こっちが恥ずかしくなるぐらいに、まっすぐに。

「私、漫画描いてる人、みんな尊敬してます! 漫画を描ける人はみんな天才ですからね!」

「……よ、よせやい」

 身の丈に合わぬ賛辞を前に、俺はただ照れることしかできなかった。



 はあ。

 あの瞬間は楽しかったなあ。

 最高の後輩が入ってきたと思った。

 男一人の寂しい部活に美少女が入ってきて、しかもそいつが漫画大好きで、漫画家志望にすげえリスペクト持ってくれるなんて。

 おいおい、こいつはうっかりラブコメでも始まっちまうんじゃないかと、そんなゲスな妄想もしていた。

 ……まあ、楽しい時間は長くは続かなかったんだけど。

 小鳥の化けの皮は割と早く剥がれた。

 まず『好きな漫画』で挙げてくる作品が、全部5巻以内で終わってる打ち切り漫画の時点で『アレ?』と思ったし。

 一回だけ家に遊びに行ったこともあるけど……5巻以内に終わった打ち切り漫画しかない本棚には愕然としたなあ。

 態度や口調も、凄まじい速度で慇懃無礼な感じに変化していった。

 要するに、速攻で今の小生意気な小鳥となったわけだ。

 かくして──

 漫画家志望と漫画愛溢れる美少女後輩のラブコメは始まらず……漫画家志望がクソ漫画愛好家の後輩に絡まれる奇妙な日常譚が始まったのだった。

「ふーむ。しかし自分でもよくわからないですね。私がどうして人とはちょっと違う漫画の嗜み方をしてしまうのか。まあ私から言わせれば、私ではなく世の一般的な漫画読者の方が間違ってると思うんですけど」

 皮肉な口調でひねくれたことを言う。

 出会ったときの猫かぶりモードとは違う。

 本性剥き出しの小鳥遊である。

「もしかしたら、幼少期になにか原因があるのでしょうか。ちょっと思い出してみましょう。私が漫画と出会ったのは、そう、確か小学生の──」

「おい、やめろ。回想入るな」

「む。止めないでくださいよ月見先輩。私の重大な過去が明らかになるところだったのに。『まさか……こいつにこんな悲しい過去があったなんて』って大盛り上がりになるところですよ」

「ちょうど今俺が回想に入って帰ってきたところなんだよ。そんな頻繁に回想にばっか入ってられないだろ」

「ちょっとちょっと、なに勝手に浸ってるんですか。回想入るときは一言断ってから入ってくださいよ」

「悪かったな。とにかく回想はもうNGだ。あんまり回想を多用するとアンケが下がりやすいと聞くしな」

「そうですか。私は好きですよ、回想の連発。サブキャラの回想シーンが本編より盛り上がっちゃって『こいつを主人公にした方がよかっただろ』とか言われる漫画が大好きです」

「……微妙に褒めてないな、それ」

「ともあれ、そういう事情なら回想は控えますけど」

 控えてくれるらしい。

 なんだかんだ物わかりのいい後輩だった。

 メタな話はそこそこに、俺達は通常の雑談へと戻る。

 戻る価値があるほどの雑談かはわからないけれど。

「でも実際、どうなんですかねー。結構いると思うんですよねー、私みたいなタイプって」

 改めて小鳥は言う。

「ここは便宜上、『クソ漫画』という表現を泣く泣く容認しますけど……結構いると思うんですよ、『クソ漫画愛好家』って」

「そんなにいるかあ?」

「愛好家まで行かずとも、打ち切られそうな漫画の打ち切られそうな感を楽しんでる読者、迷走してる漫画の迷走感を楽しんでる読者……そこそこいると思うんですよねえ。それなのになかなか声を大にして『私はクソ漫画が好きです』とは言いにくい世の中です」

「バカにしてるからだろ」

「決してバカにしてるわけではないんですよ」

 やれやれといった感じで続ける。

「たとえばほら……クソゲーってジャンルあるじゃないですか」

「ジャンルかどうかは難しいが、あるな」

「世の中にはクソゲーと呼ばれるゲームがあって、そしてクソゲーを愛好してる方々もいるわけですよ。世に言うクソゲーマニアという方々です。一般人からしたら奇特な趣味ですけれど……でもちょっとだけ格好よくないですか、クソゲーマニアって」

「……まあな」

 言わんとすることはわからないでもない。

 なんかこう、『クソゲーマニア』には矜持と美学を持ってあえてクソゲーのクソゲーらしさを楽しんでる感がある。

「でもよく考えたら酷い表現じゃないですか、クソゲーって。作ってる人はみんな真剣に作ってるんですよ。作りたくてクソゲー作ってるわけじゃないんですよ。ゲーム一作完成させるのにどれだけのお金と人員がかかると思ってるんですか。それなのにクソゲーだなんて簡単に言って。『クソゲーグランプリ』みたいな、クソゲーをお祭り的に盛り上げるイベントもありますからね。クソゲーならバカにしていい感がすごいです」

「…………」

「あとは……B級映画マニアとかいるじゃないですか。こっちも酷い酷い。たくさんのお金と人間と時間を使って作った映画を、B級と断じるなんて。あまつさえそのB級感を楽しむなんて」

 B級映画は、確かになあ。

 完全にジャンル化してる。

 マニアの人も『この大味で安っぽい感じがサイコーだ!』とか、褒めてるのか貶してるのかよくわからない褒め言葉を使うことが多い気がする。

「……でもB級映画に関して言うと、もはや売る側が『B級映画ですよ』というのをウリにしてる部分もあるからな。海外の映画を翻訳するとき、わざとB級感溢れるパッケージにして売り出してたりするし」

「近いもので言えば、B級グルメがまさにそうでしょう。全力でB級感をウリにしてますから」

「B級グルメはその通りだな」

「そういう意味では私の愛する漫画達も『クソ漫画』ではなく『B級漫画』と呼べばいいのでしょうか? 『B級漫画愛好家』と言えば、少しは格好がつくのかも」

「ワンチャンいけそうだけど、なんか違うだろ。B級映画やB級グルメと違って、漫画は狙ってB級作ってるわけじゃないからな。結果はどうあれ、連載する時点ではみんな大ヒットするA級を狙ってんだよ」

「そうでしょうか? みんながみんなそんなに志高いんでしょうか? 『正直、このジャンル描いてる時点で大ヒットは無理だろうなあ』と思ってる漫画家様も結構いそうですけど」

「……返答に困ること言うなや」

「話が少し逸れましたので戻しましょう──クソゲーマニアやB級映画好きは、なんかちょっと格好いいし、バカにしてる感が薄い。それなのになぜ、『クソ漫画愛好家』だとなんかイメージが悪いのでしょうか!?」

「……うーん」

 真面目に考えるのもバカらしい話をしているような気がするが、真剣な様子なので真面目に考えてみるとしよう。

「ゲームや映画は関わってる人が多いからかな? 仮に駄作だったとしてもその責任が分散するっつーか。『クソゲー』とか『B級映画』とか言っても、特定個人を批判してるわけじゃないし。でも漫画の場合、『クソ漫画』と言ったら名指しで作者を批判してるようなもんだろ」

「そうでしょうか? 漫画だって実際はチーム作業の成果物だと思いますよ。全てを漫画家一人で作ってるわけではなく、アシスタントや編集者が絡んできますからね」

 知った風なことを言う。

 漫画家でも漫画家志望でもないくせに。

「特に編集者の影響はデカいですよ。実際に連載の決定権持ってるのは編集者ですからね。極論、編集者がクソ漫画を連載前に止めていれば、クソ漫画が世に出ることはないんですから。極論、全てのクソ漫画は編集者の責任で生まれているとも言えます」

「極論ってつければ極論言っていいわけじゃねえんだぞ?」

「編集のアイディアで漫画が崩れることもあるし、作者の暴走を編集が止められなかったパターンもあります。我ら『クソ漫画愛好家』が作品をイジるときは作者のみを批判してるわけじゃありません。『この設定は編集が止めろよ』『なんで読み切りから、設定とキャラ変えさせたんだよ』と思うことも多々あります。漫画の打ち切りは、必ずしも作者だけの責任とは言えません」

 言いつつ、また難しい顔で考え始める小鳥。

「そう……つまり漫画とはチームプレイの総合芸術なんですよ。『漫画家』『編集』『その他諸々』の三位一体によって、漫画が作られるんです」

「三位一体という表現に『その他諸々』を含めるのは反則だろ」

「漫画家も編集者もみんなプロフェッショナル。漫画家には才能と技術と熱意が、編集者には出版社が長年蓄積してきたノウハウがある。実力と覚悟を持ったプロフェッショナル達が真剣に、命がけで作品を作り上げている……それなのに、どうしてたまに『アレ?』っていうものが生まれてしまうのか……」

「結局イジりに落ち着くのかよ!」

「言うなれば……プロ野球の珍プレイを楽しむ感覚なんですかね? あれもなにげに相当悪趣味じゃないですか。真剣にやってる人間の失敗を全国放送でネタにして大笑いするわけですから。時にはわざわざインタビューまでしにいって。どういう神経してんだって思いますよ」

「……まあ、悪趣味と言えば悪趣味なのかな」

「悪趣味も趣味のうち、ということですよ。そういう視点に立てば、私の趣味も、珍プレイを楽しむ感覚に近いのかもしれないです。漫画家と編集者、その道で金をもらってるプロフェッショナル達が……たまに『アレ?』という道に転がり落ちる。実力も才能もある人達なのに、なんか変なことをしてしまう。その珍プレイを愛でたい気持ちなのかもしれません」

 クソ漫画は珍プレイ、か。

 わかるようなわからないような。

「名プレイ好プレイはみな似通ってるけど、珍プレイは人それぞれに珍プレイなんですよ」

「トルストイっぽく言うなよ」

 幸福な家庭は似通ってるが~、の名言な。

 ていうか別に、名プレイ好プレイも結構千差万別だろ。名言っぽく言いたいがために適当なことばっか言いやがって。

「うーん。なんか、長々と語ってしまいましたけど、結局のところ自分でもよくわからないですね。言語化は難しいです。好きなもんは好き、以外に言いようがない気がしてきました」

「そりゃそうだ。それが結論だろ」

 好きなもんは好き。

 それ以外に理由なんてないし、いらないんだろう。

 たとえば俺が──漫画を描くことが大好きなように。

「……よーし、できた!」

 作業を終えた俺は、タブレットを天高く掲げる。

 雑談の傍らでずっとやっていたのは──新作のネーム作業だ。

 作画に入る前の、漫画の設計図。

 デジタルネイティブ世代の漫画家志望である俺は、ネームも原稿も全てタブレットで行っている。

「おお、できましたか! 拝読いたします!」

「おおともよ」

 ネームをクラウドにアップすると、小鳥は自分のスマホで読み始める。

 我ら漫画部の共有クラウド。

 現在の参加者は俺と小鳥の二人だけ。小鳥は漫画を描かないので、俺がアップしたネームを小鳥が読むだけのツールになっている。

「どうよ? 今回のは自信作だぜ。過去一筆が乗ってる気がする。俺、この漫画を描くために生まれてきた気がする。あのわからず屋な担当編集を、今度こそ俺の漫画でねじ伏せてやるぜ」

「…………」

 小鳥はさっきまでのヘラヘラした顔が嘘のような、極めて真面目な顔つきとなって俺のネームを読んでいる。そこまで真剣に読み込んでもらえると、作者として嬉しいやら恥ずかしいやら。

 やがてスマホから顔を上げると、

「……最高です」

 と呟いた。

 本当に至福そうな顔をして。

「最高ですよ、月見先輩」

「本当か!?」

「ええ、本当です。実に……ゾクゾクしました」

 褒められて一瞬喜びそうになるが、すぐに気づく。

 ゾクゾクする。

 こいつがその表現を使うのは、趣味ど真ん中の漫画に出会ったときだ。

 つまり──

「最高です、最高のクソ漫画です……!」

 小鳥は気色ばんだ顔で訴えてくる。

 一切の悪意を感じさせない、純粋無垢な顔で。

 俺の魂を込めた作品を──クソ漫画と断じた。

「はぁー、もうなんなんでしょう、このクソっぷり……! どうやったらここまで打ち切り臭満載の漫画が描けるんですか、月見先輩! この一話読んだだけで、二十八話辺りで打ち切られていく様が容易に想像できましたよ!」

「……ぐ」

「まず冒頭がヤバい! いきなり設定説明&ナレーションのオンパレード! 無駄に小難しくて複雑な設定! これ、絶対使いこなせなくて作者が振り回されるパターンですよ! 設定の説明するための新設定を追加した後に、その説明のフォローする説明入れなきゃいけなくなるやつですよ! 見える……見えますよ、十五話ぐらいで細かい設定を全部放り投げて、雑なバトル展開やり出すこの作品の未来が……!」

「……ぐぅ」

「主人公のキャラもエグい! 弱い! シンプルに弱い! 作中で『天才だ』って言ってるのに、全然天才に見えない! 天才設定が実に記号的! そして個性出そうと変に特徴的な言葉を使わせてる! とにかく全体的に不快感が強い! でもその不快感を消したいのか、『実はいい奴だ』みたいな持ち上げを随所にちりばめてるのが……むしろ逆効果! かえって不快感が強い!」

「……ぐぬ」

「台詞回しも素晴らしい! 気の利いた台詞回ししようとしてるのに、語彙力と日本語力の問題で絶妙に言葉としておかしくて……だから妙に頭に残る! 作者が名台詞だと思って書いてない部分が迷台詞になってる! これ、ネットでネタにされるやつですよ。連載は短期で終わっても、台詞や画像だけは永久にネットで擦られて遊ばれるやつです! こんな絶妙にスベってて違和感あってインパクトある台詞、狙ったって作れませんよ!」

「……ぐぬぬぬ」

「すごい、尊い、愛おしい! やっぱり月見先輩の漫画は最高です! 早くこのネームを担当に送りつけてやりましょう!」

「送れるか!」

 どんなメンタルで送りつけりゃいいんだよ!

 描き終わった直後の『今度こそ傑作ができた!』ってテンションが一瞬で消えたわ!

「お前……人が一生懸命描いた漫画を、目の前でこき下ろしやがって」

「こき下ろしてません。大絶賛してるんです」

「お前の大絶賛は、絶賛になってねえんだよ……」

 クソ漫画の愛好家による大絶賛。

 もはや──駄作とこき下ろされるより辛いことかもしれない。

 そして。

 あろうことかこの後輩は、俺の漫画の大ファンだったりするのだ。

 俺としてはもう、この妙に懐いてくるクソ漫画愛好家の後輩に、どのような気持ちで接したらいいのかよくわからない。

「……つーかお前、なに普通にクソ漫画って言ってんだよ。この世にクソ漫画なんて一冊たりとも存在しないんじゃなかったのか?」

「そんな私の主義を軽々と超越してくるほどのクソ漫画なんですよ。この私をしてもクソ漫画と言わずにはいられないほどの、圧倒的クソ漫画力です。クソ漫画力800キリです!」

「なんで魔人ブウ編に出てきた単位なんだよ? なんでヤコンのエネルギーなんだよ? そこはせめて53万とかの王道パロディにしとけよ……」

 怒りを通り越して悲しくなってきた俺に、

「早く連載してくださいね、先輩」

 本当に幸福そうな顔で、小鳥は言う。

「私、すっごく楽しみにしてるんですから。先輩の漫画が雑誌で連載されること」

「小鳥……」

「そして……八話ぐらいからドベ付近でウロウロし始めることを」

「素直に連載を楽しみにしてろ!」

「一話はまあまあなんだけど、二話から急激にアンケ取れなくなって、七話ぐらいでテコ入れの突飛な新キャラが出てきて、十四話辺りで中編がスベるけど今更修整きかなくて、十八話辺りで打ち切りが確定して、そこから温存してたネタを一気に放出したらちょっと評判よくなって、ネットで『最初からこれやれよ』って言われながら打ち切られて、単行本のオマケページで使わなかった設定集と自分語りが書き下ろされることを……!」

「打ち切り妄想が具体的すぎるだろ!」

 ツッコんだ後、盛大に溜息を吐く。

「……ったくもう、本当に変な奴だよな、お前」

「まあ自覚はあります」

「自覚はあるのかよ」

「なにかをこじらせた変な奴じゃなきゃ、漫画も描けないくせに漫画部に入って、漫画家志望の先輩と狭い部室でダラダラ過ごしたりしませんよ」

「お前は俺の持ってくる漫画目当てに来てるだけだろ」

「バレましたか」

 さして悪びれもせずに言う。

「……ん? でもあれ、お前なんだかんだ言って、結構部室来てないか? 俺が『コメット』持ってこないときも」

「それは……まあ、好きだから、ですかねえ」

 とぼけたように言う。

 一瞬ドキッとしかけるけれど、俺はそこまで自意識過剰ではないし、なにせ漫画家志望でもある。ラブコメにだって挑戦した経験がある。

 こういう、具体的に『なにが』を指定していない『好き』は、いちいち勘違いしないことが重要だ。

「俺の描く漫画が、ってことか」

「ええ。私は先輩のファン第一号ですから」

「本当に嬉しいよ。お前がクソ漫画愛好家じゃなけりゃな」

「そう言わないでくださいよ。好きなもんは好きなんですから」

 小鳥は言う。

「月見先輩は──クソ漫画みたいなものですから」

 かすかに頬を染め、悪戯っぽく微笑みながら、彼女は言った。

 俺は首を傾げてしまう。

「どういう意味だ? 俺がクソ漫画量産作家だと言いたいのか?」

「……はあ。鈍いですねえ。ちゃんと伏線は張ったつもりですけど」

 わけのわからないことを言いながら、小鳥は席を立つ。

「今日のところはこれで失礼いたします」

 小走りで去っていく。

 なんだかその顔は、少し赤らんでいたような気もした。

「……なんだ、あいつ」

 溜息を吐き、椅子に深く腰掛ける。

 やれやれ、よくわからん。

 俺がクソ漫画って……どういう罵倒だよ?

 ……あれ。

 でも、あいつにとってのクソ漫画って──


 ──いいんですよ、人気漫画なんてどうでも。

 ──人気漫画なんて私が読まなくても読む人いっぱいいるじゃないですか。

 ──だから私は、こんなもの私ぐらいしか愛さないだろうなあ、ってものを本気で愛して愛でるんです。


「……まさかな」

 考えを振り払い、俺はタブレットに向かう。

 あいつに大絶賛されたネームを修整するためだ。

 クソ漫画愛好家の小生意気な後輩。

 漫画家志望として、彼女にどういう感情を抱かせる漫画が正解なのかはよくわからないけれど──でも次の漫画も、俺はあいつに読んでほしいのだ。

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