第一章(1)

つき先輩。なんで漫画と小説だと、漫画の方が文化として低俗みたいなイメージがあるんですかね?」

 四月の放課後──

 二人きりの部室。

 後輩のとりがいつもの感じで──つまり実に適当な感じで尋ねてきた。

 ちらりと横を見ると、制服に身を包んだ少女がパイプ椅子に腰掛け、実にリラックスした体勢で週刊の漫画雑誌を読んでいる。

 視線は漫画に集中していて、俺の方を見る様子もない。

 読書の片手間に思いつきで尋ねただけなのだろう。

 だから俺の方も、自分の作業の片手間程度に答えておく。

「漫画の方が売れてるからだろ。いつの時代も高尚ぶりたい連中は、売れてるもの=低俗ってことにするんだよ」

「ふむ」

「流行りのアニメ映画見てる奴より古い洋画嗜んでる奴の方がなんか高尚な趣味持ってる感あるだろ? ボカロよりクラシック聞いてる方が音楽わかってる感あるだろ? 漫才より落語の方が文化として上等っぽいだろ?」

「ふむふむ」

「それと同じだよ。万人受けする大衆文化は文化的には未熟で低俗で、学のない連中には楽しめない文化こそが高尚……要するに世間で高尚なもんは、ある種マイナーでなけりゃいけないのさ。メジャーになってしまった瞬間、高尚からは遠ざかる」

「ふぅむ。なるほど。高尚であることの条件はメジャーではなくマイナーであること、というわけですか」

 小鳥はもっともらしく頷いた後に、

「確かに今時、小説なんてクソマイナー文化ですもんね。誰が読んでんだって感じしますもん」

 とんでもなく過激な発言をしてきた。

「面白くて売れてる小説はすーぐメディアミックスしますから。そっちを楽しめば原作小説なんて必要ありませんし」

「…………」

「正直な話現代では、小説媒体そのものがファングッズの置物に成り下がったと言っても過言ではありません。高尚・低俗の区分とは、すなわちマイナー文化の負け惜しみ……なるほど、月見先輩の言い分に全面的に同意します」

「……俺はそこまで意地の悪いことは言ってねえよ」

 そして、そこまで小説文化に喧嘩売るつもりもねえ。

 同意するフリして全責任を押しつけてくるな。

「しかし不思議ですね。マイナー=高尚であるならば、どうしてラノベは低俗なイメージを持たれているのでしょうか」

「…………」

 過激発言を続けるつもりか、このバカ。

「ラノベなんて小説の中でもさらにマイナージャンルじゃないですか。漫画より全然売り上げ低いし……それならばせめて、ラノベが世間的にもっと高尚な感じが出てもいいと思うのですが」

「……悲しいかな、高尚なものはマイナーである必要があるけど、マイナーなものが必ずしも高尚とは限らないんだよな」

「ラノベがマイナーかつ低俗というところは否定しないんですか?」

「……もういい。俺が悪かった。この話やめよう」

 どう転んでも余計な傷を負いそうだったので、話を切り上げる。

 小鳥の方も単なる雑談のつもりでしかなかったようなので、これ以上深く追求してくることはなかった。

 とりゆう

 小鳥遊たかなしではなく、小鳥が名字で名前が遊。

 俺の一つ下の学年で、今は二年生。

 黒い髪とパッチリとした目が特徴的な、見目麗しい少女である。

 クラスでは真面目な優等生で通ってると聞いている。物静かなお嬢様扱いで『誰かと話しているところを見たことがない』という生徒も多いとか。

 普段接している俺としては信じられない。

 この部室で俺の後輩として過ごしている彼女は、実にリラックスした様子で漫画を嗜む、自堕落でおしゃべりな少女でしかない。

 自分の好きな話題だと恐ろしく弁が立つ。

 ちなみに漫画好きという趣味は、家族にも友人にも隠しているらしい。

 漫画=オタクなんて時代はとっくの昔に終わった。

 今時、漫画趣味なんて隠すものではないだろう。

 しかし。

 残念ながら、というべきか。

 真に遺憾ながら、というべきか。

 彼女の漫画の趣味は……非常に変わっているのだ。

「いやはやしかし、持つべき者は漫画家志望の先輩ですね。口だけの志望者ではなく、ちゃんと描いて投稿して実績を残してる先輩」

 だらしない姿勢で漫画雑誌を読みながら、小鳥は言う。

「私のような一読者が、毎週発売日前日に『週刊コメット』を読ませていただけるなんて……恐れ多いにもほどがありますよ。感涙で涙が出そうです」

「頭痛が痛いみたいなこと言うな」

『週刊コメット』とは、日本に数ある週刊漫画雑誌の一つだ。

 アニメ化した大ヒット作を多数抱える、メジャー雑誌である。

 漫画家志望であり高校在学中のデビューを目指している俺は、去年そこの新人賞に投稿し──最終選考に残った。

 残念ながら受賞にはいたらなかったが、一応担当がつき、今は次回作のネームを練っている段階だ。

 そして──最終選考の結果が雑誌に掲載されたときから、俺の家には毎週発売日の二、三日前に『コメット』本誌が届くようになった。

 そういうシステムらしい。

 後輩の小鳥は『コメット』愛読者であるため、届いた翌日には持ってきて読ませてやっている。

「どうだい小鳥、愛読者から見た今週の『コメット』は」

「最高ですよ。ゾクゾクします」

 本当に楽しそうに、小鳥は言う。

 美しく整った相好を崩し、心から嬉しそうに。

 愛読書『週刊コメット』の──巻末辺りを開きながら。

「今週の『レジェンドラゴン』……これはすごい、すごいですよ。まさかここに来てまた新キャラを増やすなんて……! もうキャラガチャでどうにかテコ入れできるターンはとっくに過ぎてるでしょうに! いやー、どうなんだろう、これ? もう打ち切り宣告されたのかなあ? 打ち切り宣告されたから最後に、連載前に準備してたキャラだけは全部出そうって魂胆かなあ。これは打ち切られた後の最終巻には期待できそうですね! 『連載が続いていたら、このキャラは~』みたいな書き下ろしのキャラ解説がある可能性大ですよ!」

 続けて、別の漫画を開く。

「『ドクターマン』もヤバい……! 医者主人公の人情路線が微妙で、テコ入れバトル展開に入ったけど掲載順は上がらず……最終手段として最近エロに走ってきていましたけど……いやー、これでも挽回は難しいだろうなあ。一話は傑作だったのに、二話から信じられない勢いで迷走しちゃって……。なんで読み切りから大幅に設定とキャラを変えてきちゃったのかなあ……? うーん……でも最近のアンケのためならなりふり構わない感じは評価に値します。バトルにもエロにもきらりと光るものがありました! 次回作に繋がる見事な土俵際の粘りだと評価せざるを得ません!」

 さらに、巻末の漫画を開く。

「そして──『暗黒ワールド』……ついに打ち切られました! でも頑張った! よく頑張ったと私は伝えたい! 正直二話目くらいから『この複雑な設定、絶対使い切れないだろ』と思いましたし、そのまま予想通り設定に振り回されたまま終わった感はありました……。ドベ付近にいってもサブキャラの過去回想を連発する作風は、こだわりを通り越して狂気にしか思えなかったけど……それでも私は評価したい! 『俺の作品にサブキャラなんて一人もいないんだ! 全員が主人公なんだ!』という作者の熱い主張を受け取りました! そのせいで終盤主人公ほぼなんもしてなかった気がしますけど……それはそれ! 連載お疲れ様でした! 次回作、楽しみにしています! 単行本、全巻買います!」

 嬉々として、本当に嬉々として語る。

 異常なテンションはある意味鬼気で、もしかしたらなんらかの危機であるのかもしれない。

 そう。

 これが小鳥の漫画の趣味。

 彼女は──いわゆる打ち切り漫画を愛好している。

 雑誌連載で人気が出ず、内容的にもイマイチ評価を得られず、ネットではやたらと叩かれがちで、雑誌の巻末付近でウロチョロし──やがて打ち切られる。

 そんな漫画を、小鳥遊はこよなく愛する。

 世界広しと言えど、週刊連載の漫画雑誌を必ず『巻末』から読み始める読者は、彼女ぐらいだろう。

 その主義に関しては「別に主義ってほどでもないんですけどねー。続きが気になる漫画から読んでたら、自然とそうなっただけで」と本人は語る。

 漫画雑誌の多くは連載作品のアンケートを取っており、掲載順はアンケの結果が重視される──漫画業界では周知の事実だし、最近では普通の読者でもそのぐらいは知っているだろう。

 人気漫画は掲載順が上で、人気がない作品は掲載順が下。

 掲載順が低い作品は──当然、打ち切りと戦うこととなる。

 そういう『戦っている漫画』を彼女は心から愛し、掲載順の推移も含めて雑誌連載を楽しんでいる。

 ネット上の底意地の悪い連中から、悪意と嘲笑を込めて『クソ漫画』と揶揄される──そんな漫画を、小鳥遊はこよなく愛している。

「ドベ付近の漫画はわかったけど……人気ある漫画の方はどうだよ? 巻頭カラーの『ブルールール』とか、今週メチャメチャ面白かったけど」

「あー、どうですかね? 流し読みしたんでよくわかんないです」

「国民的人気漫画を流し読みかよ」

「正直あんまり読む気しないんですけどねー。人気漫画なんてどうせ終わらないじゃないですか。来週も再来週も当然のようにのうのうと掲載されてるわけじゃないですか。普通すぎますよ」

「いいだろ、それで。一番いいことだろ、それが」

「私の応援してる巻末漫画は……いつ終わるかわかったもんじゃないですからね。この圧倒的ハラハラ感……人気漫画には絶対に出せませんよ」

「……別に出したくて出してるわけじゃないだろうけどな、そのメタ風味のハラハラ感」

「でも、打ち切り間際のギャグ漫画が苦肉の策で人気漫画のパロディを入れてくるときもあるので、巻頭辺りの漫画もきちんと履修しておこうとは思ってるんですけど」

「そんな理由ならむしろ読むな!」

 ジョジョパロ楽しみたいからジョジョ読むみたいな感覚かよ。

 そんな変な読者はいない……とは言えないか。

 正直俺も世代的にはパロディからジョジョに入った世代だ。

『だが断る』っていつ出てくんだろうなあ、って思いながらジョジョを読み始めた。

「いいんですよ、人気漫画なんてどうでも」

 小鳥は言う。

「人気漫画なんて私が読まなくても読む人いっぱいいるじゃないですか。だから私は、こんなもの私ぐらいしか愛さないだろうなあ、ってものを本気で愛して愛でるんです」

 幸福そうに、それでいて明確な信念を語るように。

 そんな態度を見せられれば、こちらとしてはなにも言えない。

「ったく。相変わらずのクソ漫画愛好家だな、小鳥は」

「ちょっとやめてくださいよ。クソ漫画って言い方、私好きじゃないです」

 ムッとして言う。

「いいですか、月見先輩。この世にはね、クソ漫画なんて一冊たりとも存在しないんですよ」

 名言風に、ちょっと諭すような口調で続ける。

「どんな漫画だって、必ず愛されて生まれてくるんです。作者も編集者も、面白いと思って描き始めるんです。どんな不人気漫画にだって面白さはあるんです。クソ漫画なんて存在しない。多くの読者が面白さに気づけなかった漫画があるだけなんです」

 熱い口調で語った後、

「だからこそ私は、そんな熱い思いで作られた漫画が……人気が出ずにドベ付近で迷走し、足掻きに足掻いた末に散りゆく姿に、面白さを見出しているというか」

「最悪じゃねえか!」

 擁護するなら最後までしろ!

 最後の最後で全部台無しだよ!

「なんだよ、お前……結局趣味が悪いだけじゃねえか。デスゲームやってる貧乏人を、金持ちが安全圏から見て楽しんでる感覚かよ」

「ち、違いますよ! 私が求めてるのは散り際の美しさです! 土俵際の美学です! 敗者の生き様です!」

 小鳥は鼻息荒く熱弁する。

「たとえるならそう……新選組を推す気持ちです! 彼らは歴史の敗北者……だからこそ、彼らが懸命に生きた姿は美しい!」

 新選組って。

 打ち切り漫画をめっちゃいい風に表現しやがった。

「ちなみに小鳥、新選組の局長は?」

「えっと……牙突を得意としたかつらろうでしたっけ?」

 新選組については知識が薄いようだった。

 漫画由来の知識が変な方向に偏向している。『人気漫画はパロディわかる程度に流し読みする』という主義のせいだろうか。

「なんかよくわかんなくなってきたぞ……。小鳥、お前なんかもう、打ち切りを求めてないか? 好きな漫画なのに打ち切られてほしいのか? それともさすがに打ち切りは嫌なのか?」

「究極の問いですね……」

 数学の難問を突きつけられたような顔となる。

 そんな難しいこと聞いてない気がするんだけど。

「もちろん打ち切られてほしくはないですよ。この世から打ち切り漫画が消えることが私の悲願です。全ての漫画が人気漫画になるなら、それに越したことはない。ですが現実問題……この世から戦争がなくならないように、打ち切り漫画もなくなることはありません」

「戦争と打ち切り漫画を同等に語られてもな……」

「だからこそ私は、絶え間なく生まれ続ける不人気漫画の味方です。打ち切られそうな漫画を全力で応援しますしアンケも出します。ドベ付近の漫画がアンケを回復してドベから脱出したときは心から嬉しいです。でも」

「でも」

「そのまま順当に人気を回復して、ファンがたくさんいる安定した人気漫画にまでなっちゃうと……なんか違うんだよなあ、って気がして離れちゃいますね」

「……面倒くせえファンだなあ!」

 インディーズバンドがメジャーデビューしたら萎えるファンじゃねえか!

 なんか遠くに行っちゃったなあ、とか言い出す奴じゃねえか!

「うーん、やっぱり究極の問いです……。打ち切られてほしいわけじゃないんですけど、潔く打ち切られてほしい気持ちもないとは言い切れなくて。未完成のまま打ち切られるからこそ、その無念が愛おしいというか。志半ばで倒れた偉人に恋い焦がれるような気持ちなんでしょうか?」

「でしょうか、と言われてもな」

 わからん。

 わかるようでわからん。

 こいつの愛は本当に難しい。

「クソ漫画愛好家の気持ちは俺にはわからんよ」

「だからクソ漫画じゃありませんって」

 小鳥はやはり、ムッとして言う。

「何度でも言います。私はクソ漫画が好きなのではありません。戦っている漫画が好きなんです」

 熱い口調で語る。

 これだけは譲れない、という口調だ。

「人気にあぐらをかいて順風満帆かつ予定通りの連載をしてる作品になんて興味はありません。常に打ち切りの恐怖と戦いながら、限られた時間の中で死に物狂いで起死回生のアイディアを絞り出す。内容は連載前の構想から外れまくって、作者も編集も思いもしなかった方向に転んでいく……そういう漫画に私は強く惹かれるのです」

「ふむ……。ライブ感を楽しみたいってことか」

「いい表現ですね。ライブ感、まさにそれですよ、私が求めているのは。予定調和ではないライブ感。ライブだからこそ……予想だにしないハプニングがある」

「ハプニング求めるなよ」

「どうせ迷走するなら振り切れって思います」

「やっぱり性格が悪いぞ、お前」

「これ絶対作者自身も納得して描いてないだろうなあ、って内容の漫画を読むと、そのときの作者の気持ちを想像して……少しゾクゾクします」

「かなり性格が悪いぞ、お前!」

「でもだからと言って、作者本人が『自分としても納得いく内容ではありませんでした』みたいな言い訳を始めると萎えますね。アンケに振り回されて納得できない作品になってしまったとしても、読者の前では最高傑作描いたみたいな顔してろ、って思います」

「……お前はもう、性格が悪いんじゃなくて、ただただ人間として面倒臭いな!」

「ふむ。おかしいですねえ」

 本当に不思議そうに小鳥は言う。

「好きな子ほどいじめたくなる感覚に近いんでしょうか。私にとって愛するとバカにするは、かなり近い領域にある気がしてきました」

 真面目に自己分析を始めたようだった。

 愛するとバカにするが近い。

 まあ、わからなくはない感覚だ。

 イジリ笑い、みたいなものだろう。

 される側はたまったもんじゃないだろうけど。

 こいつのクソ漫画愛は、やはり計り知れない。

 ふと──思い出す。

 小鳥遊という厄介極まりない後輩と初めて会った日のことを。

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