第8話 お父様、私と恋を始めてくれますか?


 この晩餐会の趣旨により、クラウス王の隣の席につくことになった私は、グントラムの貴族たちの好奇の視線に晒されながらも、次々と出てくるご馳走に目移りしていた。

 コルセットのせいで、貴婦人たちは晩餐会でもスープくらいしか口にしない。

 それはネルリン王国でも同じこと。

 王族が残した食事は、その後に侍従や使用人たちのご馳走になるから、けっして無駄になるわけではない。

 ただ、これから自分に課せられた任務を考えると、小鳥のようにお上品に振る舞うのはむずかしい。

 本宮の料理人の腕前を、自分の味覚で確認する必要があるからだ。

 このために着つけの段階で、メラニーに頼んでコルセットは緩めにしてもらっている。

 要は、臨戦態勢はバッチリなわけ!

(うーん……?)

 出されたものを食べ進めてみて、私は首を傾げた。

 離宮の料理の味つけと貴賓に出される宮廷料理に、さほど味の違いはない。

 素材の良さを引き立てるシンプルな味つけだ。

 まずい……というわけではない。

 だが、洗練されたネルリンの宮廷料理と比較してしまうと粗が目立つ。

 前菜のサラダのドレッシングは酢と塩胡椒のみ、肉のパテは下処理が不十分なのかレバーの臭みが取り除けていない気がする。

(お酒と一緒に食べるから、少しくらいはいいんだけどねぇ)

 と、思案しつつ味わっている私にクラウス王が話しかけてくる。

「我が国の料理は、王女の口には合わなかったか?」

 ギョッとして彼のほうを見返した私は、首をぶんぶんと横に振った。

 道半ばで、即刻処刑になるのはご免だ。

「そ、そんなことはありませんわ! 葡萄酒に合うお味ですこと!」

「正直に言ってくれてかまわん。できるだけネルリン風の料理を、とシェフには伝えたのだが、本物のネルリン料理を知る王女が満足するとは到底思えぬ」

 クラウス王の皿を見ると、パテがおおかた残っている。

 酒はふんだんに飲むが、食事はしないタイプなのだろうか?

 それとも、彼もここの料理に不満を抱いているのか……?

「……そうですわね……グントラムの素晴らしい葡萄酒に合わせるのなら、お料理は調味料や調理方法を少し変えたほうがいいかもしれませんわ……」

 ビクビクしながらも、私は自分なりの意見を言ってみた。

 相手は国王ではあるが、私だって今はネルリン王国の国王代理という国賓である。

 まさか、不敬罪で切り捨てられるようなことはない……はず。

 楽観視したいのに手が震えるのは、クラウス王の姿かたちがかつて自分を殺したジークフリート王と酷似しているからに他ならない。

(あぁ……もう終わりなのかしら? 王妃への道も、神様からの試練も)

 絶望した私は、彼の反応を窺った。

 ところが、クラウス王の表情は危惧していたものとは違う。

 青い瞳をきらめかせ、にやにやと笑っているのだ!

「美食で知られるネルリンの王女に褒められるとは、我が国の醸造技術は捨てたものではないな。しかし、酒はともかく、料理については王女に教えを請わないと」

 クラウス王の言葉に、斜め前に坐している壮年の貴族が大きく頷いた。

「そうですとも、国王陛下! ネルリンの王女殿下が、離宮の厨房で自ら料理の腕をふるっていると、貴族の中ではもっぱらの噂ですぞ」

 大きな声に、食事やおしゃべりをしていた貴族たちの視線が私に注がれる。

「ほう? それは初耳だ、シェレンベルグ公爵。王女の料理は、噂になるほどの腕前なのか」

「そのようですな。おそらくネルリンの宮廷では、花嫁修業の中に料理も入っているのでしょう。生まれ育ちがグントラムの私には、考えもつかぬことではございますが……」

 その言葉に、ちらほらと失笑が聞こえる。

 シェレンベルグ公爵が、私の行いを揶揄していることはわかった。

 一般的に、裕福な家庭の令嬢であれば、家事はすべて下級使用人が行うもの。

 それを、貴族の令嬢ではなく一国の王女がやっているということが、グントラムの貴族たちにとって奇異に感じられるのだろう。

(自分の娘を誇示するために、私を貶めたいのね……野心家の貴族が考えそうなことだわ!)

 居心地が悪い空気感の中、私は思わず俯いてしまった。

 そんな雰囲気を一転させたのは、クラウス王の発言。

「貴公たちがなぜ笑うのか、まったく理解できぬ」

「……陛下……!」

「戦場に長年いたからか、私は宮廷のしきたりや貴族のあるべき姿にあまり興味がない。しかし、この王宮のシェフが、本場の味を知る王女に教えを受けているのであれば、王宮を統べる王としては、彼女に礼を言わねばならぬだろう」

 黙り込んでしまったシェレンベルグ公爵の隣で、タルシア公女は不愉快そうな表情をしている。

 余計なことを言ったものだ、と腹立たしく思っているのだろう。

 そんな貴族たちの空気を感じながら、私は恥ずかしそうに言った。

「畏れ多いお言葉ですわ! 私はただ、自分の郷里の味を再現したかっただけですのに」

「そうか……では、アリサ王女。近いうちに、私にもネルリンの郷里の味がわかる料理を作ってもらえるだろうか?」

 思わず、我が耳を疑ってしまう。

 クラウス王が、皆の前で私を庇ってくれた。

 それだけにとどまらず、私の特技に興味を持ち、晩餐のような大人数の機会ではなく、二人の時間を持とうと誘ってくれている……!

「はい、喜んで!」

 そう答えると、クラウス王は少しはにかんだように微笑んだ。

 あまりにも素朴なその表情を見た瞬間、カッと頬が熱くなった。

 この時、私はようやく自分の偏見に気がついた。

(この人はあの化け物のお父様かもしれないけれど……きっと、私を殺すことはないんだわ)

 そう認めてしまうと、クラウス王のすべてがまったく怖くなくなった。

 一国の王たる威厳を纏いつつも、年相応の純粋が見え隠れするクラウス王の眼差し。

 それは、これまでの彼への印象を覆すものだ。

 わざわざ隣国から自分の妃候補として来た王女を、少しでも知ろうとしていることがわかって、思わずホッとする。

 そもそも、王族の結婚は恋愛感情がなくとも成立する。

 それでも私は……後の世を滅亡から救うための任務だとしても、恋愛感情がない男性と結婚する未来予想図が描けずにいた。

 自分の夫になるかもしれない相手だからこそ、もっとクラウス王のことを知りたい。

(……彼もそう思ってくれればいいんだけどなぁ……)

 そう思った途端、感じるのは妙な火照り。

 乾杯の時に飲んだ葡萄酒の酔いもあり、熱がなかなか収まってくれない。

 私はそっとクラウス王から視線を逸らし、運ばれてきた鹿肉のローストを食べ始めた。

 そんな私たちを冷ややかに見つめる女性がいることを、その時の私はすっかり失念していた――。


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