第2話 神様、それはムリじゃないですか?


 馬車から降りると、聳え立つ石造りの建物にひたすら圧倒された。

 私がいた神殿は隣国グントラムとの境界に近く、王都からは遠く離れた辺境伯領にあった……要はド田舎だ。

 ただ、ド田舎でも観光資源には事欠かない。

 霊力が満ちる場所として崇められる聖地なので、昔も今も巡礼者が絶えない。

 中心にあるメタニア神殿には、聖なる泉や聖杯などの遺物が陳列され、年老いた信者たちが涙を流して拝む姿がそこここで見受けられた。

 そうは言っても、教皇庁の本部がある王都の大神殿と比べたら建築物としては小さい。

 王都の大神殿はネブリンの王家が礼拝や祭祀を行う用途で、三百年前に建築されたもの――教皇庁と王家の威厳を示すべく、贅を凝らした作りになっているのは当然のことだった。

 荘厳さと美しさが兼ね備えられた白亜の大神殿に、私は護衛騎士のアンドリューに伴われて入っていった。

 メラニーが先に行って、祈祷室を使えるよう話をつけてくれた。

 出迎えた神官は恭しい様子で、私たちを貴賓専用のエリアに案内した。

「王女様がお越しになるとはうれしい限りです。どうぞ、ごゆっくりと神への祈りを捧げてください」

「ありがとうございます」

 礼をしてから、メラニーたちを外に待たせて扉の向こうへと入っていく。

 部屋の中には、飾り気のない石壁で囲まれた空間がある。

 乳香の清らかな香りがたちこめ、天井高く取りつけられた薔薇窓が部屋の中央部分に美しい影を落としていた。

 祈祷台の前に置かれた絹でできたクッションの上に跪き手を組むと、私は小声で聖句を唱え始めた。

 さほど時間を置かずに、耳の奥に神の声が響いてくる。

『アリサよ。どうだ、王女になった気分は?』

 そう聞かれても、まだ王女としての実感は湧かない。

 ……っていうか、なぜ王女にならねばならなかったのだろう?

『それは、お前が望んだからだ』

 気持ちを先読みした神の返答に、私は首を傾げた。

「主よ、恐れ入ります。それはいったい……」

『おお、記憶力が悪いな、アリサ。若い身空で認知症にでもなったか。お前は死ぬ前に望んだではないか? そもそも、コイツがいなかったらよかったのに、と』

 そう言われて、死ぬ直前に神に直訴したことを思い出した。

 あの時、私は敵対するグントラム王国の少年王ジークフリートに倒された。

 ネルリン王国のナライヤ辺境伯が指揮する防衛軍と共に行動し、前線に立って神聖力を使った。聖職にありながら戦いに身を置く神官たちや傷病兵たちの治癒を担務する後方部隊の一員として。

 ジークフリート王の狙いは、辺境の砦を突破して王都に攻め入ること。ネルリンをグントラムに併合する野望を持っているは明白だった。

 それを成就させるには、ネルリンの国王を捕えなければならない。

 王都への街道に封印を施し、強化しているのが私だと知って、ジークフリート王は恐るべき魔力で私を殺しにかかった。

 そう……あいつは化け物だ。美少年の皮を被った悪魔だった。

 代々のグントラム国王が持っている神聖力のみならず、なぜか恐ろしい魔力をも持ち合わせていた。

 そんな化け物から全力で攻撃されたら、私がいくら神の力を借りているとしても無事ではいられない。

 そもそも、私の肉体はか弱い乙女なのだから!

『……状況は、わかった。私も無念に思っている。お前の気持ちもな。だからこそ、時を止めたのだ』

「時を止めたっていうことは……まだネルリンは、侵略されていないのですね!?」

 そう喜ぶ私に、神は説明を続けた。

『たしかにそういうことになるが、それも長くは続かない』

「えっ!?」

『私が時間を操れる期間は、長くても半年。その間に何とかしないと、どんなに力を使おうと隣国の王は時の魔法を破るだろう。そうすればネルリンは蹂躙され、この世界は暗黒に沈むことになる』

 それは、困る。とてつもなく困る!

「ど、どうすれば……? ジークフリート王の野望をどうにかする手立ては……」

 藁にも縋る心境で、私は神に尋ねた。

『それも、お前は答えを知っているはず』

「……?」

『私に言ったではないか? グントラムの先代国王と王太后が結婚しなかったら、こんな目に遭わなかったはずなのに、とな』

 たしかに、そう祈った覚えがある。

 ただ、それと私が二十年前に時を遡って蘇ったことに何の関係があるのだろう?

『教えてやろう、アリサよ。ジークフリート王の父クラウスは、いま花嫁探しの真っ最中だ。妃候補はネブリンの第二王女イザベラと自国のシェレンベルク公女タルシア』

 タルシアは、グントラム王国の王太后の名……すなわち、ジークフリート王の母親である。

 第二王女イザベラについては、結局のところは他国との縁談を渋って遠い従兄である大公のもとに嫁いだはず。

 そうか、わかった!

 イザベラがジークフリート王のお父様と結婚すれば、ジークフリート王は生まれないということに……!?

「では、私がイザベラ王女を説得すればよろしいのですね!?」

『いや、違う』

「え……だとしたら、どうやって……」

 戸惑う私に、神は笑い混じりにこう答えた。

『イザベラ王女の心は動かない。そういう定めなのだ。そこで、お前の出番だ……第三王女アリサ!』

 そう言われて、ようやく神の意図を理解する。

 第二王女の代わりに、私がジークフリート王のお父様の妃に立候補しろということだ!

 しかし、私には色気はおろか男性を惹きつける魅力もない。

 特技と言えるようなものも思いつかない。聖女だから治癒力はあるが、それは神からの借り物であって自分のものではないのだ。

 そんな私が、男性にとって魅力的であるわけがない。

 その証拠に、前世で私に想いを伝えてくる男性は誰もいなかった。

 私よりもモサッとした女官でも結婚したり恋人がいたりする。

 だから、私には女としての魅力が皆無だと思って、半ば恋愛をすることをあきらめていた。

 そんな私が、他の妃候補と張り合えとは難儀なことを……。

 しかも、タルシア王太后はネルリン王国にも伝え聞くほど艶めかしい美女だという。

(神様ってば、そんなの無理じゃないですか!)

 と、思わず心の中でぼやく。

 その不安を汲んで、神は私に告げた。

『たしかに、王太后タルシアは強敵だ。しかし、お前には男を惹きつける力があるではないか』

「何ですか、それは?」

『料理の腕だ』

「!!」

 それを聞いた瞬間、拍子抜けしてしまう。

 料理なんて、お金がある家では下女がやる仕事。それが、なぜ男を惹きつける武器になるのかがよくわからない。

 しかも、ジークフリート王のお父様はやんごとなき王族であり、王宮で飽きるほど美食を食べられる立場だというのに……。

 その疑問には、神は答えなかった。

 命じられたのは、ただこれだけ。

『アリサよ……神をも誑かした料理の腕で、クラウス王の胃袋を掴むがよい』

 その神託に、私は大口を開けて唖然としてしまった。

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