ラスボスのお父様、あなたの胃袋掴んで王妃になりますわ!〜隣国王と救国聖女の運命愛〜

江原里奈

第1話 いないはずの王女になりました?


 一瞬がとてつもなく長く感じた。

 これでもう死ぬんだ……そう実感すると、人間はその一瞬のうちに色々なことを考える。

 もし、目の前にいる少年がいなければ、私は死ななかったはず。

 そして、祖国が滅びることも。

 この少年は隣国グントラムの国王であり、おそろしいほどの神聖力と魔力を併せ持つ怪物……いわゆるラスボスなのだ。

 比類なき強さを持つこの少年は、きっとこのネルリン王国ばかりではなく、世界中の国々をも屈服させることだろう。

 そう……でも、聖女という立場にいる私は、口が裂けても「コイツ、死ね!」なんて言えない。生きているものを殺すことを考えるだけでも罪深いことだから。

 だから、そもそも地球上にコイツ……あ、いや、この少年王が存在しなければよかったと念を送るしかあるまい。

 そうだ! グントラムの先代国王と王太后が結婚しなかったら、私もこんな目に遭わなかったはずなのに……。

 ああ、神様。慈悲深い神様。

 この声が届くのなら、あなたの忠実なしもべの嘆きを聞き入れたまえ――。

 


 ***

 

 

「アリサ様! いい加減、起きてくださいませっ! いま何時だと思っていらっしゃいますか?」

 甲高い声が、寝起きの頭にガンガンと響き渡る。

(頼むから、もう少し寝かせて……お願いよ……!)

 そう思った途端、私はおかしなことに気がついた。

(……え? 私、死んだはずじゃなかったの?)

 瞼を開いた瞬間、きらびやかな室内装飾が視界に飛び込んでくる。

 いったい、どういうことなんだろう?

 幼い頃から神殿に上がるまで過ごしたリヴェニア子爵邸でもないし、神殿の自分の部屋とも違う。

 まるで、王宮のような雅な場所に思える。

「ここ、どこ……?」

 思わず口走った私を、黒髪を三つ編みのお下げ髪にした女中が怪訝そうな顔で覗き込んできた。

「アリサ様、どうされたんですか? ここは王女様たちがお住まいになっているガーネット宮ではございませんか」

「お、王女様っ!?」

「まぁ、寝ぼけていらっしゃいますのね! アリサ様は、ネブリン王国のれっきとした第三王女様でいらっしゃるではありませんか。このメラニーをからかっておいでですか?」

 メラニーという少女は、濃紺の簡素なドレスに白のヘッドドレスとエプロンを身につけている。

 見た目からしてメイドだというのは、この状況に混乱しているアリサにもわかった。

 目を瞬かせて、再度室内をじっくり見渡す。

 水晶のシャンデリア、随所に黄金を使った唐草模様の壁紙、美しい彫刻が施された家具調度、薄紅色を基調としたファブリックも愛らしいだけではなく高級そうである。

(この人……さっき、ここがガーネット宮って言ったわね? しかも、私のことを第三王女って……)

 私の名は、アリサ・リヴェニア。

 そう……私の名もアリサである。

 だから、違和感を持たずに聞き流していたが、第三王女っていうのは何なのだろう?

 ネルリン王国は、私が生まれ育った祖国。

 しかし、私はそもそも王女などという身分ではない。

 現在の王室に王女は一人しかいない……しかも、すでに降嫁して公爵夫人になっているはず。

 それを思うと、あまりにも辻褄が合わなかった。

 そこで、とぼけて尋ねてみることにした。

「あの……ど忘れしちゃったんだけど、今年って何年だったかしら?」

「ナザレ歴三八三年でございます。さあ、お顔を洗うお湯を準備いたしますからね、少々お待ちくださいませ」

 てきぱきと仕事をするメラニーの後ろ姿を見送って、私は呆然とした。

 ナザレ歴三八三年というのは、私が生きていた時期より二十年も前――。

 つまり私は二十年前にタイムリープして、私と同じアリサという名前の王女に転移したということ!?



 ふと、あることに気がつく。

 そもそも、先代のネルリン国王に第三王女はいなかった、ということに。

 聖女になるために、自国や周辺国の歴史や王室に関する知識は、きっちりと学ばなければいけない。

 それゆえ、こんな私でも歴代の王家について知っているのだが、たしか先代国王夫妻に娘は二人しかいない……いや、第三王女は死産であり、名前さえ記録されていなかったはず。

 その第三王女として、なぜ自分の名が呼ばれているのか……?

 恐る恐る鏡を見てみたが、そこには見慣れた自分の姿が映っている。

 黄金のストレートヘアに、くりっとした大きな紫色の瞳。

 残念ながら、いかにも聖女っていう感じのたおやかな美人とは程遠い。

 でも、何度か可愛いって言われたことはあるから、不細工ではないということだろう。

 ひとまず、自分の体はそのままっていうことは確認できた。

 二十年前に遡ったうえに、死産のはずの第三王女の身分を借りた私がここにいる。

 ……これは、どう考えてもおかしい。

 何かあるとすれば、神のご意思が関係している気がする。

 だとすれば、神の声が聞ける場所に行って、本当にそうなのか確かめなければならないだろう。

 メラニーを待たずにさっさと身支度を済ませ、私は大神殿に急ぐことにした。



「アリサ様が神殿に用事だなんて、明日は槍が降りますわね!」

「あら、そうかしら?」

 馬車の中でけらけらと笑うメラニーをじっとりとした目で見やって、私はため息をついた。

 どうも、『第三王女アリサ』は、さほど信仰深くなかったみたい。

 まぁ……私も似たようなものだ。お祈りをするなんて、週に一度の礼拝だけ。

 私の実家であるリヴェニア子爵家は、辺境ナライヤ伯爵領の没落貴族。

 飲んだくれで賭博好きの父は、常に借金取りに追い回されるろくでなしだった。

 子爵夫人でありながら、母は身分を隠して近くにあるメタニア神殿の下女として働いていた。

 幼い頃から私は厨房にいて、遊び代わりに神殿に勤める人々の食事の下ごしらえを手伝った。

 すぐに多忙な母に変わって、毎月の初めに信者たちに振る舞う特別なお菓子を担当するようになった。

 そのお菓子を捧げに神殿の奥に行くたびに、神の像から声が聞こえるようになった。

 最初は小声で『うまい』と一言だけだったが、回を重ねるごとに脳裏に語り掛けてくるようになる。

 何気ない問いにも答えてくれるので、便利というかありがたい存在だった。

 たぶん、神様はおいしいものが好きで、おいしいものを作って毎回持ってきてくれる少女を哀れだと思って話しかけてくれたのだろう。

 ある時、凶作が訪れるから穀物ばかりではなくジャガイモやそばの実も育てるように、と忠告された。

 言われた通りに、私は裏庭にジャガイモとそばの実を植えた。

 すると、本当に飢饉が訪れた。それらの作物のお陰で、神殿や信者たちはその年を無事に過ごすことができたっていうわけ。

 しかも、そばの実で作るクレープは、香ばしくておいしいという評判で、神殿の名物料理になった。

 そのことを神官に告げると、即座に聖女に認定された。

 お菓子作りの才能が思わぬ形で神に評価され、それが聖女という身分をもたらした。

 わらしべ長者のようなものだろうか?

 残念ながら、聖女に認定される直前に母は流行り病で亡くなり、ろくでなしの父は私をメタニア神殿に高値で売り払ったのだ。

 ……そんなわけで、私が聖女になった経緯は信心深さとは縁遠いものだった。


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