言葉は消えた side足立

度々幸せを感じられる日々。

それと同時に、七瀬には、好きな人が居るという悲しさが混在する、哀楽が交わる日常は初めてだった。


部活の後のゲーセンやマック、時々、オレの家にも来てくれ、どんどん仲良くなってる気がして、それだけで、めちゃくちゃ嬉しかった。

つい出てしまった…口付けの練習をしようなんて言葉は、もう、オレの中では無いものにしていた。

このまま、七瀬と過ごせる日々を大切にしようと…

七瀬と交わす何でも無い会話、オレだけに向けられる笑顔、そして、時々見つめてくる彼の表情。

ジッと見るのが癖なのだろう…仲良くなるにつれて、それは増えた。

いつも、女の子からの視線を煙たく思っていたのに、七瀬が見つめてくる視線は、全くの別物で、こんなにも違うものかと…正直驚いた。

そして七瀬は、本人無自覚の人タラシだから、密かにみんなが仲良くしたいと願っているのは知っていた。部活の友達や、クラスの友達も多くいるのに、この夏休みはオレを選んで一緒に過ごしてくれる事に、かなりの優越感を覚え始めていた。


家に来てもらう事には、一つだけ杞憂があったのだが…

オレの母親は、顔だけは確かに綺麗だが、あまり感情を出さない人で。

歓迎ムードでは無い、素っ気ない母に七瀬が気を悪くするのでは無いかと…

冷たく挨拶する母親にも、七瀬は、笑顔で対応してくれた。

もう来たく無いとか、言われなくて本当に良かった。

部屋は毎日片付ける習慣になった、いつ七瀬が来ても大丈夫なように。



オレは相変わらず、家では、眼鏡を掛けて七瀬を迎えた。

理性との闘いは、二人きりの密室が一番の難関だからだ。


今日も、ベッドを背もたれにして並んで座っていた。

これが最近の俺達の定位置で、前にあるテーブルには、お菓子とお茶、手を伸ばせば食べれるし、彼との距離も近くて最高だった。

そして、いつも新鮮なドキドキがあった。

過去に、彼女は何人も居たが、告白されたからとか、何となく綺麗な子だから…もしくは、性の捌け口みたいに付き合った。

七瀬が、もし女の子なら、何となく押し倒して丸め込んだかもしれない…

でも、七瀬は男だし、何より憧れていた人物であり、そもそも七瀬を傷付けたくない、嫌われるなんてもってのほか

大事にしたい相手に強引な事はしたくない。

そんな様々な感情は、七瀬で初めて知った。

誰かを真剣に好きになると…こんなにも沢山の感情を与えてくれるのだと。


オレは彼をなるべく見ないように…

買ったばかりの推理小説を読んでいるが、頭の中の推理は全く進まず、文字を追っているだけで、オレの全神経は七瀬に向いていた。


しばらくすると…オレの漫画を、読み終わった彼が、伸びをしながらベットによりかかって、顔だけをこちらに向けている。

それだけで、もう可愛い。

次の巻は無いのか?と聞かれ思い出す。そっか、昨日読んで、ベットの端にポンと置いたな…と思い出した。


あまり七瀬を間近に感じないように、漫画を取る事だけに集中し、漫画の場所まで手を伸ばしていると…

「いい匂い…シャンプーどこ…」

七瀬が目を閉じ、何故かオレの香りを辿っている…

その表情を見た時、彼が何を言ってるのか耳に入って来ない代わりに、オレの中の何かが飛んだ。

傷付けたくないとか、嫌われたくないとか…考えていた事は、ぐにゃりと曲げられた。

あんなに抑えていたのに…呆気ないものだ。

気付けば…

オレは、七瀬の唇を奪っていた。

微かに残る理性で、なんとか深くなるのだけは避け、優しく口付けた。


「こんな感じ…分かった?」

どうしよう…なんて言い訳を…と焦り、咄嗟に出たのは、この間の言葉。

いつでも教えるなんて言った事を引き合いに出し、キスを教えるなんて、普通にに考えて有り得ない、むちゃなコジツケ。

卑怯だと思ったけど、ただただ…キスしたかったというオレの本音は、浸隠ひたかくした。


ああ、やってしまった…と思って心底反省しかけたのに…

なのに…彼は

「分からない」

と言った。

これは、もう一度…しても良いって事だよな?と自分の都合の良いように解釈する。

オレの頭の中は…再び触れられるという事への高揚のみ。


「目を閉じて…」

彼は俺の言葉のままに、目を閉じてしまった。

もう、止められない。

だって、七瀬が受け入れてくれるのだから、これは合意の上での行為。

二度目の口付けは、いつまでもしていたい…と思いながら、なんとか唇を離した。

冷静を保つのがどれだけ大変だったか…練習だと言った手前、熱くなってはならなくて。


彼に悟られないように、何でもないような顔をして、取った漫画を彼に手渡し、再び小説に目を落とした。


全く内容の入らない小説を眺め、ページだけをめくる。

開いたページに映るのでは無いかって程に、さっきしたばかりの場面を繰り返し思い出してしまう。

余韻しか無い…


不意に、彼からの視線を感じ…横を向く。

再びの口付けを待ってるような…せがむような顔に見えたのは、オレの勝手な願いだろう。

そう思ったのに、身体は彼に向いてしまう、自分の読んでもいない小説を閉じ、眼鏡を外すと、オレの手は歓喜か分からない震えを伴っていた。

欲望を抑えるのがこんなにも大変だとは思わなかった。

彼の後ろ頭に触れると、柔らかな髪は、オレの手に馴染み…

そのまま、唇を合わせる前に、鼻先同士をくっ付けた…擦り合わせると、背中にゾクゾクと走る刺激。

合わせた唇から舌を入れてしまいたくなるのを抑え込み、下唇を食むに留める。


怖いと彼から言われ…

やりすぎた事を後悔した。

終わった…と思い、気持ちを落ち着けようと、トイレに向かう。

その日は、それ以上手を出す事は無かった。


もう、あんな夢みたいな事は、起きないと思っていたのに…

なんと彼は、それからもオレからの口付けを拒否する事が無かった。

とにかく触れたいと思うオレと、練習だと思う七瀬に違いはあれど…

触れられる幸せは、オレだけの物。


二人きりのオレの部屋、見つめてくる七瀬。

オレは眼鏡を外し机に置く。

これが合図みたいに、オレ達は、唇を重ねた…何度も何度も。

離れる時の寂しさは、どんどん増し…

彼が、引いてしまうのでは無いか…という恐怖にも似た感情と闘い。

彼と居たい、もっと触れたい…と願いながら…

オレの頭の中は七瀬でいっぱいになっていた。


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