第32話 仲直り

「はあ……はあっ」


 しばらくの間勝利の余韻に浸っていると、ふと全身に疲労感を覚えた。特に足の疲れがひどく、今座ったり横になったりしたらしばらくは立ち上がれそうにないくらい。


 日頃の運動や事前の入念なストレッチもありったり傷めたりはしていない様子なのでひとまず安心する。


 ふと平井ひらいのほうを見ると、腰に手を当て大きく呼吸を繰り返していた。それなりに疲れてはいるようだがまだまだ余裕といった様子だ。


 まあいつもはもっと長時間、密度の高い試合をしているだろうかな。


 なんて考えていると平井と目が合う。そしてどちらともなく歩き出す。ネットを挟んで向かい合うと、俺たちは無言で握手を交わした。


「なあ雅也まさや、やっぱ今からでもテニス部に入らね? 雅也なら夏休み終わるころにはレギュラー入りできるって」


「ありがとう。だけど俺はそこまでテニスをガチるつもりはないし、そう簡単にはいかないと思う」


「そうか? オレが今まで戦ってきた中で一番キツかったぜ?」


「まあ、直正なおまさを負かすためだけに調整してきたからな、この連休」


 最低限の基礎は必要だったが、あとは秘密兵器の練度を実践投入できるまでなんとか引き上げただけだ。


 股抜きとドロップは不意打ちのテクニックのため、まず不確定要素の多い普通の試合ではそう役に立たないだろう。


 残りの2ポイントを取ったプレーはたしかに基礎の延長線上のものではあったが、純粋な実力ではなく平井との交流の歴から立てた予測で無理やり噛み合わせたに過ぎない。


 例えば最後のボレーなんか、無理やりダウン・ザ・ラインを狙わずクロスにロブを打ったり足元を狙ったりすれば、まず俺に決定力はなかった。


 その前の点も、オープンスペースの右サイドに速球を打たれていたら追いつけなかっただろう。よしんば追いつけたとして、形勢は平井に傾いていたはずだ。


 そんな平井の性格と武器に依存しすぎる、作戦と呼ぶには粗の多い策が偶然噛みあって1ゲーム取るのがやっとだった。しかも自力で2ポイントも奪われているし。


 ホント、平井が勝利条件について言及しなかったらどうなっていたことやら。一応まだ出していない策もありはするが、平井の対応力を鑑みると3ゲームも取れなかった可能性が高い。


 俺の全能力をフル活用してたった1ゲームを間一髪で獲得しているようじゃ、ランキングが一番低いテニス部員にも勝てないだろう。


 なにかのために全力を注ぎ込むのは悪くない気分だが、そう頻繁にやってられない。


「ま、そんなわけで勧誘はパスな」


「そうかぁ、オレはいけると思うんだけどなあ。まあ無理強いしてもよくないし今日は引くぜ。それより、いい勝負だった」


「こちらこそ。自分でもここまで熱くなれるとは思ってなかったから、俺の知らない俺を教えてくれてありがとう。あと、改めて直正はエースだと実感させられたよ。なんだよダウン・ザ・ラインあれ、強すぎだろ」


「けど、二回も返されたけどな。うーん、スピンとか苦手だし、もっと精度を高めないとなあ。もちろん付き合ってくれるよな雅也。たぶんお前が一番取れるからよ」


「さすがに大袈裟だろ。直正に勝った相手とか、もっと相応しい相手がいるだろ」


「んや、たしかにオレより強いやつはいるけど、こうも連続して取られたのは初めてだぜ。負けるときはそもそも打たせてもらえないからな」


「そ、そうだったのか。じゃあ、まあ時間があれば付き合うよ」


「おう! もちろんお礼はしっかりするかなら!」


「たまにはドリンクバーとポテト以外で頼むよ」


「う……リサーチしとくわ」



「和気あいあいと話してるとこ悪いけど、そろそろ本題に入らないと昼休み終わっちゃうよ」


 平井と話していると谷山たにやまがコートまで入ってきて平井の隣に立つ。


「っと、そうだな。それじゃ……」


 ふとネット越しに一対二でいることに違和感を覚えてネットの上を飛び越える。


「それじゃ改めて――直正、涼香すずか、俺が未熟だったせいで二人を傷つけてしまってごめん」


 二人に向かって頭を下げる。


「直正の言うとおり最初から明かしていればよかった。中途半端に放置せずちゃんと涼香と話せばよかった」


 そして、もっとみんなを頼ればよかった。


 たとえば丹生にう根谷ねやのような、俺にない視点を持っている友だちを頼っていれば、こんな面倒なことにはなっていなかったと思う。


 今になればそんなこと明らかなのに、俺はコントロールが効かないからと第三者の介入を拒んだ。


 平井と谷山のこともそうだが、結局はみんなのことを信用できていなかったことが原因だ。それはきっと、俺が優等生を演じるうえで意識的にみんなから距離を置いていた弊害だろう。


 後悔したって過去のことは消えない。二人を傷つけた事実はなくならない。


 変わる決意を抱いた。けれどその前に、二人にしっかり謝らないと俺は新しい道を進めない気がした。


 おもむろに顔を上げると平井と谷山は困ったように笑っていた。


「あー、そんなまっすぐ謝られると余計心苦しいな……。オレのほうこそ、ごめん! 手助けしてくれた雅也に、感情に任せて責めるようなこと言っちまった」


「私も、ごめんなさい。一方的に感情を吐き出して、雅也くんの話も聞かずに逃げちゃって」


「え、え?」


 まさか二人から謝られるとは思っておらず動揺してしまう。


 な、なんでだ? 今回のトラブルは俺が原因なのに、なんで二人が謝るんだ……?


 金曜日の二人の言動は納得できるものだったし、言葉自体も暴言や中傷なんてなかった。二人が謝るようなことはないと思うのだが。


「俺は二人に対して思うところはないんだけど……わかった」


 とはいえ人が胸の内にどんな感情を抱いているかなんて知るよしもないので、素直に二人の謝罪を受け取っておく。


「というか、二人ともすんなりと許してくれるんだな?」


「まあ、もともと雅也を恨んでないし……この勝負でどれだけ雅也が真剣にオレたちに向き合おうとしてくれてるのか充分伝わってきたからな」


「あはは、そうだね。むしろ私のほうこそ子どもみたいに癇癪かんしゃく起こしちゃったから、ずっと謝りたかったんだ」


「直正、涼香……」


 少なからずつらい思いをしたはずなのに責めるどころか謝ってくるなんて、二人とも人が良すぎる。


 そんな二人を、もう傷つけたくない。いや、二人だけじゃなく俺を信じて見守ることを選んでくれたみんなも。


「ありがとう、二人とも」


 許してくれたことも、俺に気づきと学びを与えてくれたことも。


 由夢ゆめだけじゃなく、二人にも頭が上がらないな。


 なんてことを考えていると、突然涼香が「あっ」と声を上げた。


「二人とも、あと十分で昼休み終わっちゃうよ!」


 そう言いながら涼香はスマホの画面を見せてくる。コートから見える時計がないのですっかり時間が意識から抜け落ちていた。


 ……って、あと十分で昼休みが終わる⁉


 そんなタイミングで誰かのお腹が鳴る。いや、もしかすると全員かもしれない。


「い、急いで教室戻るぞ!」


 手早くラケットとボールを片付けて、俺たちは大慌てで教室に走った。



「おかえり――って、なんで三人とも疲れてんの? しかもマサっちに至っては制服汚れてるし」


 教室に戻ると真っ先に丹生に突っ込まれる。


「は、ははは。ちょっとテニスしてて汚れてさ」


 ラストポイントのダイビングボレーのときに俺の制服はすっかり汗と砂で汚れていた。校舎に上がる前に払いはしたものの、その程度では白いシャツについた汚れは取れなかった。


「なにそれ~」


 丹生が笑うとそれにつられてクラスメイトたちも笑う。平井と谷山の雰囲気が元に戻ったこともあってか、みんなの表情は柔らかい。


 説明もほどほどに俺と平井と谷山は大慌てで昼食を摂り、ほどなくして鳴ったチャイムと同時に先生が教室に入ってきた。


「それじゃ授業を始めるぞ――って佐々木ささき、なんでそんなに汚れてるんだ?」


「先生、その質問二回目なのでパスしてもいいですか?」


 先生からの質問にそう返すと再び教室に笑いが起こった。事情を知らない先生はきょとんとした様子で首を傾げた。






==========

あとがき


お読みいただきありがとうございます!

本作はカクヨムコン10に参加していますので、「面白かった!」「続きがきになる」という方はぜひお気軽に下の♡や作品のフォローお願いします!

また感想もいただけると励みになります!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る