第20話 谷山涼香
病欠が出た図書委員の助っ人や掲示物の貼り替えをしている先生の手伝いなど優等生業務に励んでいると、ふと中庭を歩く
谷山は中庭から校舎裏に消えていく。俺の記憶違いでなければ谷山が消えた方向は特になにもない場所だが、そんなところになんの用だろうか。
少し考えて、昨日の昼休みの出来事を思い出す。
なるほど、呼び出しか。ふむ。
「先生、こっち終わりましたけど、まだありますか?」
「少し残っているけど、これくらいは私ひとりですぐ終わるよ。手伝ってくれてありがとうね
「いえいえ。またなんかあれば手伝い呼んでください」
先生に軽く会釈をしてから、俺は中庭に向かう。せっかくだし、名も知らない男子の告白にかこつけて少し探りを入れてみよう。
土曜日に平井と対策を練る予定だが、改めて考えると俺は谷山の恋愛観などまったく知らない。とはいえ俺と谷山の関係性からしてなにもないときに尋ねるのは不自然になるし、それとなく聞けるのは今しかあるまい。
あまり早く片づいてくれるなよと祈りながら一階に降り、自然な態度で渡り廊下に出る。丁度そのタイミングで谷山が校舎裏から戻ってきた。
谷山はこちらに気づくと胸の高さはらはらと手を振ってくる。それに俺は右手を上げて応える。
「奇遇だね
「病欠が出た図書委員と、あと先生の手伝い帰り。それなりに働いた自分へのご褒美に自販機でなにか買おうかなって」
俺が出てきたほうとは逆の、渡り廊下から校舎に入ってすぐにある自販機を指さすと「いいねぇ。私もなにか買おうかな」と谷山も乗ってくる。
「あ、でも今お財布持ってないや」
「トイチでよければ払うよ」
「教室にあるからすぐ返せるよ」
「困った、それじゃ利子は取れないな」
わざとらしく
自販機のほうへ移動し、カフェオレといちごオレを買っていちごオレを谷山に渡す。
「ありがとう、雅也くん」
「今の俺は気分がいいからな。気にしないでくれ」
「じゃあ気分が悪かったらダメなんだ?」
「そのときは景気づけで乾杯するために、やむを得ず払うかな」
「どっちみち払ってはくれるんだ」
「トイチだけどな」
「たしかに。けどよくよく考えたら、いちごオレ百三十円だから十日後でもプラス十三円じゃない?」
「昭和初期なら結構な額だな」
「今は令和だよ雅也くん」
「それは盲点だったな」
そう言って俺はカフェオレをぐいっとあおる。喉に絡みつくようなチープな甘さが口に広がった。
「で、
「うん。告白されて、断ったら友だちから始めないかって言われたよ」
「それはなんていうか、ベタだな」
「だね」
うなずいてから谷山は「でも私はわからないんだ」と続ける。
「友だちって、その人と仲良くなりたいって思うからなってるものでしょ? そこから一歩進んだ関係に発展したいって思うことはあっても、恋人の前段階として友だちをするって、私はちょっと違うかなって思うの」
谷山はちゅーとストローでいちごオレを吸う。
「それに、一度告白を断られてじゃあお友だちから始めようって言うけど、それって友だちって言えなくない?」
「たしかにな」
うなずきながら、俺は内心で頬を引きつらせる。
少し前まで俺も優等生としてそう在るべきと考えて人付き合いをしていたので、純粋な感情から友だちという言葉を使っていないという点で俺もその男子と同レベルになる。つまるところ、谷山の言葉に胸が痛い。
「まあ、真剣っぽいからまだ印象は悪くなかったけど、それなら最初から自分で声をかけてほしいなとは思ったかな」
「それはあるな。本人は意図していないのかもしれないけど、保険をかけてるように感じるかし」
自分で直接声をかけたときに断られればそれは自分が至らなかっただけだが、人づての場合は仲介を頼んだ相手が悪かったとか言い逃れする余地が生まれる。
もちろん、紹介してもらうことが絶対に悪いとは思わない。けど、告白する勇気を出せるならその足で自ら向かう方が覚悟を感じられるのではないかと思う。
まあ俺は恋愛初心者だから、偉そうなことは言えないんだけど。
そんな苦笑をカフェオレで流し込む。前置きはこのくらいでいいだろう。
ふぅ、と小さく息をはいて気持ちを切り替える。
「じゃあさ、俺が聞くのもあれだけど、涼香の思う恋人にしたい条件ってなんなんだ? さっきの言い方だと、べつに友だちか昇華して恋人になるってのは絶対じゃないんだろ?」
「んー、具体的にこうってあるわけじゃないんだけど、まず相手のことが好きかどうかでしょ? それとー……支え合えそう、って思えたら、とか?」
「なんというか、大人な答えだな」
「そう? だって一緒にいたいとかだけだと、友だちとなにが違うのってならない? 好きって感情もあるけど、一番はそれ以上に支えあるかだと私は思う」
いちごオレを飲み干したようで、紙パックをペコッと潰すと谷山はゴミ箱に捨てる。
「雅也くんの場合はやっぱり頼りになるし、誰よりも落ち着いてるというか余裕があるように見えたから、安心して支えられそうって思ったんだ」
「そ、そうか」
まさか谷山のほうから言及されるとは思わず、つい動揺をあらわにしてしまう。
まあ、その印象であれば優等生を演じようとしていた身としては上手くやれていたと自信が持てる。
ただ余裕があるという評価については、実際のところ正反対なのでなんというか気恥ずかしい。
俺は優等生を演じることだけで一杯いっぱいで、自分の感情や状態などに目が向いていなかった。それを自覚した今では、余裕があるという評価を受け止めることには抵抗がある。
それはさておき。ふと、谷山が今俺に対してどのような感情を抱いているのか疑問が浮かぶ。
場合によって本当にめんどくさいことになるのだが……これを直接聞くのはさすがに
どうしたものかと悩んでいると、谷山が唐突に「気にしないで」と言った。
「私、そんな未練がましい女じゃないから。それに雅也くんには雅也くんの事情があるってわかってるから。だから気にしないで」
ふと脳裏を
けれど今目の前で微笑んでいる谷山からは、感情を抑え込んでいるような不自然さは見られなかった。少なくとも俺から見た限りは。
「……わかった。ありがとうな」
「ふふ、どういたしまして。あ、でも雅也くんが私を好きになったってなら、考えてあげる」
谷山は人差し指を唇に当ててぱちりとウィンクをしてみせた。
それから俺たちは他愛もない話をしながら教室へとゆっくり歩いた。
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あとがき
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