第16話 筋肉痛とマッサージ
「うううううう……」
夕方のランニングを終え帰宅した俺は着替えを取りに部屋に入ると、ベッドの上で
明日は筋肉痛かな、なんて由夢の言葉に冗談だろと思っていたが、明日どころか今日のうちにくるとはさすがに驚いた。
ただ思い返せばアフターケアを怠っていたので、この惨状の責任は俺にもある。もちろん、一番の原因は由夢の運動不足なのだが。
「あ、おかえり、おにーさん」
「ただいま。
「面倒だけど……そうしたほうがいいよね。さすがに私も危機感を覚えた」
由夢は基本的になんにでも無頓着だが、この惨状はマズいと思ったらしい。
「念のため聞いておくけど、由夢は運動音痴とかではないんだよな」
「たぶん。昔は普通に外で遊ぶことも多かったし」
なるほど。まあジョギングするときのフォームは特におかしくなかったし、やはり原因は運動不足だけか。
とりあえず前後にしっかりストレッチはやって、走る時間も最初は短いほうがいいよな。むしろウォーキングから始めたほうがいいのか?
なんて考えていると由夢の唸り声が聞こえてくる。
新しい日課のプランニングも大切だが、まずは筋肉痛を治すところからだな。軽度で今発症したなら明日には治っていそうだが、この状態の由夢を放置するのは心苦しい。
「素人施術でもよければ、風呂上りにマッサージしようか?」
「この不快感を忘れられるなら、素人でもプロでもなんでもいい」
由夢の返答に思わず苦笑する。
筋肉痛の症状自体は軽度なはずだが、当人曰くこれまでまったくと言っていいほど筋肉痛を経験してこなかったらしいので、軽い痛みでも充分不快なのだろう。
「わかった。由夢も、お湯に浸かってるときに自分でも軽くマッサージしといてくれ。血流をよくするなら温めてるときにするのが一番効果的だからな」
「じゃあ、一緒に入っておにーさんがしてくれてもいいよ」
「マッサージ以前に一緒に風呂入るわけないだろ。自分でやってくれ。あと、今日は足を冷やさないよう丈が長いやつ履いてくれ。パジャマでもいいから」
それだけ言い、着替えを取って俺は風呂へ向かった。
◇ ◇ ◇
風呂から上がり由夢の部屋のドアをノックするも反応がなく、もしやと思い自室に戻るとまだ由夢はベッドの上で寝転がっていた。
「風呂の支度しろよ」
「おかえり。この足だと動くのが億劫でね。おにーさんが運んでくれたら楽だけど」
「はあ……」
俺はため息をひとつこぼしてから、仰向けで寝ている由夢の背中と膝裏に腕を通し抱き上げる。
「きゃっ」
すると由夢は驚いたように声を上げ、ほんのりと頬を赤らめた。そしてじとーっとした目を向けてくる。
「おにーさんって、意外と大胆だよね」
「言われたからやっただけなのに? というか十分前の発言とこれまでの言動を振り返ってから言ってくれ」
「おにーさんって大胆だね」
なんと由夢はノータイムでもう一度言ってきた。
自分の胸に顔をうずめさせたり、不埒なことや混浴をほのめかしたりしてくる人に言われたくない。
「人をからかう元気があるなら自分で歩けるか?」
「ごめんごめん。にしても、私を易々と抱きかかえるなんて、鍛えてるだけあるね」
「それほどでも、と言いたいところだけど、由夢が軽すぎるからなあ」
極度の運動不足なので筋肉もなく、かといって太っているわけでもないのでまあ納得ではある。とはいえ軽すぎるけどな。
「個人的にはもう少し肉があったほうが、健康的で安心できるよ」
「それは、おにーさんとのジョギングに期待ってことで」
それだけじゃ大した増量はできないと思うけどなあ。なんて内心で思いながら、由夢を抱えて部屋まで連れていく。
部屋の前に着いても降りようとしないため、由夢にドアを開けてもらい部屋に入る。
思えば由夢の部屋に入るのはこれが初めてかもしれない。
室内はシンプルなデザインの家具のみという女子高校生とは思えないほど殺風景で、色合いもベッド周辺の淡い青色を除けばほとんどモノトーンだ。
部屋中からかすかに漂うフローラルな香りが、かろうじて女の子っぽさを演出していた。
クローゼットの前まで移動するとようやく由夢は俺の腕から降り、中にある衣装ケースから着替えを物色しだす。
「……下着見たいの?」
ぼんやりと由夢の後姿を眺めていると、ふと由夢が振り向いて首をかしげた。
「っ、ごめん!」
俺は慌てて後ろを向く。
「ま、お礼に色の指定くらいさせてあげてもいいけど?」
「俺が不用意だったのは認めるから、マジでそのからかい方はやめてくれ……」
そんなやり取りもありつつ、着替えを見繕った由夢を再度抱きかかえて脱衣所まで連れていった。
ちなみに、部屋に戻る途中、由夢を運んでいるところを目撃したらしい母さんに「お姫様抱っこしちゃって~」と茶化された。筋肉痛の経緯知ってるだろ。
由夢が部屋に戻ってきたのはそれから二十分後だった。恰好はグレーのパジャマで、デザインを見るからに今朝のものの色違い。ずぼらな雰囲気に反して髪はちゃんと乾かされており、俺の髪とは比べ物にならないくらい艶やかだ。
「ただいま。言われた通りお湯に浸かりながらマッサージしたらけっこう楽になったよ」
「そりゃよかったよ。それなら俺がする必要はないか?」
「男に二言はないんじゃないの?」
そう言って由夢はうつ伏せでベッドにダイブすると、足でベッドを叩き催促してくる。
「わかったから仰向けになってくれ」
「マッサージってうつ伏せなイメージだけど、おにーさんの趣味?」
「違う。筋肉をほぐすようにするから仰向けのほうがやりやすいんだ」
「ふぅん」
由夢はつまらなそうにため息をこぼすと、おとなしく仰向けになった。
「それじゃ右足からやってくから、痛かったら言ってくれ」
俺は由夢の左足にまたがるように膝立ちになり右足を持ち上げる。そして傷めないよう力加減に注意しながら、
「んっ」
何回か繰り返したら足を下ろして、今度は太ももからふくらはぎへと流すように優しく指圧していく。
「ぁんっ」
「……頼むから変な声出さないでくれ。気が散る」
「やだな、自然と出ちゃうだけだよ」
「嘘つけ。全然平気そうな顔してるだろ」
由夢は仰向けになっていて顔が隠れていないので、なんとも澄ました表情をしているのはわかりきっている。
それを指摘すると由夢は「バレたか」と唇を尖らせた。
「じゃあ、頑張ってくれるおにーさんへのサービスってことで」
「いらない。というかマジでやめてくれ」
いっそ清々しいほどに棒読みだったら俺も気にならないのだが、どういうわけだか真に迫った声を出してくるので本当によくない。
まだ粘りそうな雰囲気を感じ「もうやらないぞ」と言うと、由夢は「はいはい」と不服そうに返事をした。
せめてからかうにしてもそういう路線はやめてほしい。
それからは由夢も大人しくしてくれたので、左足も同じようにマッサージを行った。
ただ由夢の迫真の喘ぎ声のせいか、変に意識してしまいしばらくの間、太ももやふくらはぎの柔らかな感触が手に残り続けた。本当に勘弁してほしい。
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あとがき
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