第14話 アイマスク

「今日帰りにアイマスク買ってくるかね!」


 朝のそんな宣言どおり、仕事から帰宅した母さんは本当にアイマスクを買ってきた。……三箱も。


 一箱十二枚入りだったので、計三十六枚。なんていうことだ、一ヶ月毎日つけても少し余る。どう考えても買いすぎだ。


 三箱も買ってきた理由としては、置いてあった香りつきが三種類ありどれが好みかわからなかったからとのこと。ならコンビニで見かけるばら売りでもよかったんじゃと言ったが、あっても困らないしと返された。


 もし合わなかったら母さんが使うから、とも言われたので、まあ試すだけ試してみよう。とはいえ無駄に使うつもりもないので、最短でも三日はかかることになるが。


「さて、どれを使ってみるか」


 時刻は二十三時半。せっかく使うなら充分に効果を感じたいと思い張り切って勉強したので、それなりに目の疲れを感じている。


 加えて、多少良くなっているとはいえこれまでの負債もあるし、検証に持ってこいのコンディションだ。……疲労が溜まっているということなので、全然いいことではないんだけども。


 母さんが買ってきたのは、ラベンダー、ゆず、森林浴の三種類。ゆず以外はあまりピンとこないが、森林浴に関しては由夢ゆめに初めて寝かされたときに樹木のような匂いを感じたので、もしかすると似たような香りかもしれない。


 となるとラベンダーが一番想像つかないな。せっかくだし、トップバッターはこいつにしよう。


 箱を開けて袋を取り出す。説明書を見ると、カイロと同じように袋を開けた時点で発熱し出すようなので、横着だが移動せずに袋を捨てられるようゴミ箱をベッドの横に移動させる。


 そうしていると、当たり前のように俺のベッドで寝ていた由夢が上半身を起こしてこちらを見る。


「最初はラベンダーにするんだ」


「一番馴染みがないからな。由夢はどうなんだ?」


「私はけっこう好きだよ、ラベンダーの香り」


「へえ。じゃあ気づいてないだけで嗅いだことあるかもな」


 由夢はどういうわけだか、柔軟剤では説明がつかないくらい日によっていろんな香りをまとっている。もしかするとこれまで感じた香りのなかにラベンダーもあったのかもしれない。


 って、いや待て。


 言ってから気づく。女子に香りについて言及するのは普通にセクハラ認定されるやつだ。


 危ない。なんか最近由夢の前だと気が緩みすぎて不注意な言動が増えてしまっている気がする。優等生、というか外でやらないよう気をつけないとな。


 なんて反省をするも、言われた当の本人はまったく気にする素振りを見せなかった。ああ、由夢らしいよ。


「んー、どうだろ。ラベンダーってそれなりに香りが強いから、ご飯の前は控えてるんだよね。つけても寝る前かな」


「なるほど。というか前から気になってたんだけど、よくいろんな香りさせてるのは香水でもつけてんの?」


「香水も持ってはいるけど、家じゃ使わないかな。使ってるのはアロマキャンドルとかハンドクリームかな」


「へえ、いろんなの使ってるんだな」


 趣味や好みがないという話だったが、もしかするとこういう香りのアイテムが好きなのかもしれない。


「……で、由夢も一緒に寝るのか?」


「そうだけど、なにか都合が悪い?」


「そんなことはないけど」


 ただ、もはや一緒に寝ることが自然になっている現状が少し恐ろしく思える。それほどまでに、由夢といる時間は心地がいい。


 なんてことを考えていると、ふと眠気が襲ってくる。


「よし、じゃあ寝るか」


「ん」


 俺は電気を消してからベッドに腰かけ、袋を開けてアイマスクを取り出す。ゴミを捨ててから横になり、アイマスクを装着した。


 途端に思っていたよりも強い爽やかでフローラルな香りが鼻孔をツンと刺激する。


 うぉっ。いい香りだけどなんか刺激的だな。むしろ目が覚めそうだけど。


 なんて思ったのも一瞬で、鼻が慣れてくると少しずつ心が落ち着いていく。次第にアイマスクも熱を帯びていき、じんわりと温もりが目に染み込んでくる。


 あぁ……これはたしかに、いいかもしれない。


 まだつけて間もないというのに、俺はホットなアイマスクのとりこになってしまいそうだった。


 存在は前々から知っていたし、これだけ効果があるならもっと早いうちから使っておけばよかった。ほんと、俺って頭が回らなくなってたんだなあ。


 そんな自嘲も、すぐに心地よさに上書きされる。


 だんだんと思考が緩み、眠気で意識が霞んでいく。


 これは、よく眠れそうだ――



「――ふぅ」



「⁉」


 意識を手放そうとしたところで、いつぞやのときのように耳に息を吹きかけられる。視界を遮られているのと意識が落ちる寸前だったからか耳が過敏になっていて、あまりのくすぐったさに体が跳ねた。


「な、なんだよ。寝れそうだったのに」


「アイマスクしてるおにーさんを見てたら、いたずらしたくなって」


 返ってきたのはなんとも子どものような理由だった。


「ほら、目が隠れてるから、音とか肌の感覚でしかなにをされてるかわからないでしょ」


 もぞもぞ、とタオルケットが動く。ちょん、と由夢の細い指が俺の手の甲に触れた。


「お、おい、もう寝るって言ったろ。邪魔するなよ」


「どうしようかな」


 ふと、顔の横あたりがずんと沈む。


「このまま、すごーいいたずらでも、しちゃおっかな」


「っ~~~~~!」


 吐息がかかるほどの距離で囁かれる。嗜虐性を帯びたハスキーボイスに、耳の奥からぞわぞわとした刺激が伝わってきた。


 これ以上由夢にいたずらされて堪るかと、俺はアイマスクをずらし起き上がる。


 そして箱からもう一枚取り出して袋を破き、無抵抗な由夢にアイマスクを装着させた。


「いたずらとかいいから、由夢も寝ろっ」


 由夢は親指でアイマスクをめくると、半目ながら煽るような瞳を向けてくる。


「おにーさんに仕返しされる?」


「しない。だからおとなしく寝てくれ」


 由夢はわずかに笑みを浮かべてから「わかった」と言ってアイマスクから指を離した。


 ったく、なんなんだ。いつもは無気力というか気だるげなのに、たまに嗜虐的な一面を見せてくる。


 しかも、からかい方が心臓に悪いんだよな、ホント……。


 思い出すのは、顔を胸にうずめされられたときのこと。


 って、余計に寝れなくなるだろ俺! もうなにも考えるな!


 俺はもう一度ベッドに横になり、アイマスクをつけなおす。


「……もういたずらしないでくれよ」


「わかってるって。それじゃおやすみ、おにーさん」


「ああ、おやすみ」


 それ以降は忠告どおり由夢にいたずらされることなく、アイマスクの力もあって俺はすんなり眠りに就いた。



 翌朝、起きたときにはすっかり目の疲れが取れており、俺は早く試しておけばと二度目の後悔するのであった。






==========

あとがき


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