第4話 即落ち

「うおっしゃー! やっと部活行けるー!」


 放課後の視聴覚室に平井ひらいの声が響く。俺は今しがた小テストの再試を採点した数学の教師と揃って苦笑した。


 何事かというと、まぁ要約すれば授業で行われた抜き打ちの小テストで平井が二点(十点満点中)を取り、さすがに心配だからと平井だけ再試になったのだ。


 俺がこの場にいたのは、再試前に平井に勉強を教えるためだ。他の面々は予定があったため俺だけ同伴となった。


「うーん、授業のペースはいいほうだし、少し早いけど来週から期末試験の対策テストもやっていこうかしら」


 平井の様子を眺めながらぽつりと先生がそう呟く。


「授業で、テスト……? 終わった……っ」


 先生のひとり言に平井はまるでこの世の終わりと言わんばかりにうなだれる。


 いや授業でやるんだからそんな深刻になるなよ。というか中間試験の前もあっただろ。


 なんて考えていると平井は両手で頬を叩く。バカとはいえテニス部のエース、覚悟を決める判断は早いようだ。


「まぁ、そんときはそんときのオレが頑張るか! そんじゃオレ部活行ってきまーす! 雅也まさや、今度また練習付き合ってくれな!」


「授業でも言ったけど、明日も小テストやるかねー?」


 そんな先生の忠告に「うっす」と適当に返す平井にらしいなと考えながら、急ぎ足で視聴覚室を出ていった平井に手を振る。


 少しして「廊下を走るなー!」という声が聞こえてきた。


 うーん、平井らしい。


「それじゃ先生、俺は帰ります」


「あぁうん、ありがとうね佐々木ささきくん。平井くんだけだと一回で終われるかちょっと心配だったから」


 苦笑気味に言う先生に、俺は「たしかに」とうなずく。


「まぁ特に予定もなかったので、これくらいは」


「ホント助かったわ。いつも教師の間で話に上がるけど、佐々木くんのこと信頼してるのよ。気が早いかもしれないけど、期末試験も期待してるわ」


「はは、期待に添えるよう頑張ります」


 それだけ返して俺も視聴覚室を後にする。時刻は十六時半。昨日とあまり変わらない帰宅になりそうだ。



   ◇   ◇   ◇



「なにやってんだ……?」


「あ、おかえりおにーさん」


 帰宅すると、なぜか俺の部屋のベッドに由夢ゆめが我が物顔で寝転がっていた。部屋主が戻ってきてたというのに退く素振りも見せない。


「今日も遅かったね」


 チラリと時計を見るが時刻は十六時五十分。全然遅くなどない。というか彼女はむしろどれくらい早く帰宅しているんだ。


 はぁ……まあいいや。べつに今から寝るわけでもないし、ベッドを占領されていても問題ない。


 気持ちを切り替えて、課題と今日の授業の内容を復習すべく机に向かう。


 本当は先に着替えるのだが、さすがに異性がいる前ではできないので断念する。


「無視はヒドくない? というか、私と一緒におやすみしようよ」


「断る。期末試験も近いし、明日また数学の小テストもあるからちゃんと勉強しないといけないんだよ」

 

「毎日徹夜してるのに、それ以上ってどうすんの」


「俺の勝手だ」


「それなら、止めるのも私の勝手じゃない?」


 だから、どうしてそこまでするんだ。なんて問いが口から出そうになるが堪える。


 ちゃんと話し合わないといけないことだが、今じゃない。


 明日の小テストは今日のより範囲を広げると言っていたし、来週からどの授業も期末試験を意識した内容に変わるだろう。そのときに粗がないようある程度仕上げる必要がある。


「ホントに休まないの?」


「言ったろ、『また』はないって」


「おにーさん、即堕ち二コマって知ってる?」


「知らないけど、ロクでもないことのような気がする」


「当たらずも遠からずだね」


 なんなんだ。いや、知りたくないけど。


 ……というか、さっきから集中できていない。


「なぁ、自分の部屋でくつろいでくれない? 気が散るから」


「お断り。だって気を散らすのそれが目的だし」


 厄介でしかない。なんなんだよ、まったく。


 言っても無駄だと理解した俺は、しぶしぶワイヤレスイヤホンを取り出す。普段はやってないけど、前に丹生にうから勧められた作業用の音楽を聴きながら勉強するか。少なくとも由夢に邪魔されるよりはマシだろう。


 思考の妨げにならない、それでいて彼女の声を遮れる程度の音量に調整して音楽をかける。ページをめくる音や雨音など雑多な日常にあふれる音が控えめに流れだした。


 とりあえず課題を終わらせよう。その次に今日の授業の復習をして、終わったら数学の小テスト対策だ。


 改めて勉強のプラン建てをしてから取り掛かった。



   ◇   ◇   ◇



 けっきょく作業用の音楽を流してからは由夢が妨害してくることはなかった。


 現在の時刻は零時……ではなくなったところ。入浴も夕飯もとうに済ませており、勉強を再開して気づけば四時間強が経過していた。


 全体的に勉強できたし、あとはもう一回数学を復習しておこう。


 ただその前に、座りっぱなしで疲れた体を伸びをしてほぐしていく。


 んー、小遣い貯めていい椅子でも買おうかな。しばらくは新しく問題集買わなくても問題ないし。



「――ふぅ」



 突然、右耳に生温かい風がかかった。


「っ――――――――⁉」


 思わず叫びそうになると、まるで予期していたかのように口を手で塞がれた。危うく夜中に大声を出して母さんたちに迷惑をかけるところだった。


 夜中に似つかわしくない心臓の鼓動を感じながら、俺は後ろを振り向く。


 案の定、俺の後ろには由夢がいた。顔が近いし、やっぱりさっきは耳に息を吹きかけたのだろう。


 あまりの行動に抗議の目を向けるも、本人はどこ吹く風と涼しい顔をしている。


「いつからいた、というかいつ入ってきた?」


 口を塞いでいる由夢の手を退けて尋ねる。


「三十分くらい前からいたよ。集中しすぎて気づかなかったんじゃない?」


 そんなまさか。べつに音楽を聴いていたわけでもないし、いくら集中していてもドアが開けられたら気づくはずだ。


 ちらりと横目でドアの方を見ると、わずかに開いた状態で止まっていた。


「……何分かけて入った?」


「さあ。たぶん十分くらい」


 およそ想定どおりの返答に思わずため息がこぼれる。


 どうやら由夢は、音が出ないよう時間をかけて慎重にドアを開けたらしい。どこからくるんだその意欲は。


 彼女のよくわからない行動力に頭を抱えていると、「それで」と由夢が口を開く。


「ひと区切りついたみたいだけど、まだ寝ないの?」


「最後に明日の小テストの勉強をしようと思って」


「ふぅん。それって難しいの?」


「……あくまで期末試験に向けたものだし、難易度はそんなに高くないと思うけど」


 範囲は広めとはいえ、それは小テストで見たらという話。定期試験に比べれば内容はそこまで多くないだろう。その内容も直近授業でやったところだろうし。


「じゃあ、もう今日は寝なよ。日付も変わってるし」


「大丈夫だ。まだ寝てない時間だし。それに小テストでも――いや小テストだからこそコケたら心配されるだろ」


 だから邪魔しないでくれ、と言って机に向き直ると思いっきり椅子を引かれた。キャスター付きのため、抵抗もできず机から引き離される。


「今日はもう、おやすみしよう」


「さっきも言ったろ。無理な相談だ」


「じゃあ、賭けをしよう」


「賭け?」


「そう。今日はもう寝て、もし明日の小テストが散々な成績だったら今後私はおにーさんの行動に口を出さない。けど普段と変わらない点数だったら、今後はもう少し常識的な勉強量にする。どう?」


「前提がおかしいだろ。散々な成績を取ったらその時点で俺の立場は終わるんだ。呑めるわけないだろ」


「そのときは私を言い訳にしてくれてもいい。再婚でできた妹の面倒を見てて寝不足でしたとでもいえば納得すると思う。年齢を言わなきゃ勝手に都合よく解釈してくれるだろうから」


 さすがに無理がある……と思ったが、約一名その言い訳で大いに納得しそうな声のデカい平井やつがいた。


 声がデカいし、なんやかんやクラスの中心人物のひとりだから他のクラスメイトへの影響もそれなりに強いだろう。


 直接的な妨害もされているし、この場は提案を呑んだほうがよさそうだ。


「……わかった、今日はもう寝るよ」


 うなずいてから、俺は机の上を片づける。


「で、なんで俺のベッドで寝てんの……」


 片づけとあしたの準備を終えて振り向くと、夕方のときのように由夢が俺のベッドに横たわっていた。


「言ったでしょ、一緒におやすみしよって。あとは監視も兼ねて」


「……」


 いろいろと言いたいところだが、もう疲れて突っ込む気力もない。


 開きっぱなしになっていたドアを閉めて、俺はおとなしく由夢の横に空いているスペースに入り込む。大きめとはいえ、ひとり用のベッドなのでさすがにふたりで寝るには狭かった。そのせいでところどころ密着する形になってしまう。


 薄手の掛け布団を被ると、一気に甘い花のような香りが鼻孔をくすぐった。


 電気を消して部屋は真っ暗だが、顔が近いせいで長いまつ毛やこちらをジッと見つめる瞳、やたら柔らかそうな頬といった情報がイヤでも目に入ってくる。


 思えばこんな至近距離に異性がいるという経験がなく、今から寝るのだというのに緊張してきた。


「それじゃおやすみ、おにーさん」


 そんな俺の動揺などつゆ知らず、由夢はほんのわずかに笑みを浮かべていた。


「……ああ、おやすみ」


 昨日は不意打ち気味で寝てしまったが、今日は寝られるだろうか。そんな心配をしていたが、気づけば俺は意識を手放していたのだった。






==========

あとがき


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