ーージュウロクーー
第38話
「なにかね……? こんな朝っぱらに」
寝ぼけ眼を擦りながら扉を開けたのは保坂であった。
その真ん前には二人、萌香とジュンが立っている。
二人は病院から保坂のマニア系コスプレショップへやって来ていたのである。
「何処にも行けなくなっちゃって……、大丈夫なんですけど」
二人はアキハバラへ寄らずに、真っ直ぐ家に帰ろうかとも迷ったが、その日、その時間帯が、丁度生憎の人身事故で電車が止まっていたのである。
行き場を失った二人は縋るように何となく保坂のところへたどり着いたと言う訳だ。
「電車が止まっていてですね……」
ジュンが言いかけたところ、保坂が話を割って入りだした。
「それはどうでもよいのじゃが。お二人よ……、何かあったじゃろう」
保坂は見抜いていた。
「服も体もボロボロじゃあないかぃ。それに米田氏から聞いていておったぞ。惠谷さんが電話に出ないとな。この数週間、本当に大丈夫じゃったんかぁ……?」
ジュンと萌香の服は保坂の言う通り、滅茶苦茶に汚れていたし、敗れている個所も沢山あった。
痩せこけた二人は、自分自身が気づいていないだけでかなり衰弱していたのだ。
保坂が心配するのも無理もない。寧ろ、当然の事だ。
「実は……」
萌香がすべてを語ろうとした。
「いや、萌香さんっ……」
それをジュンは少し躊躇った。
「なんですか? 言わない方がいいんですか?」
萌香の困った顔を見て、ジュンも困った。
それは、この目の前にいる、保坂の本性がまだわからなかったからである。
一見、保坂は味方のように見えると思うのだが、もしかしたら保坂は敵側の人間かもしれない。それも、社会の闇を知って、まだ教養もない少女らを食い物にしているエースのような劣悪な人間だっていう可能性だってあるのだ。
ジュンの目は保坂を通してこう捉えられていた。
保坂が良い人であれば良い人である程、劣悪な人間であった時の震動はとてつもないものとなり、社会に大きな影響を与えることとなる。劣悪な人間は徹底排除するという概念がジュンの中にはあり、仮に保坂が極劣悪人であった場合、隙は見逃すことはできないのだ。もしも、隙を見逃してしまうなどの事態が発生してしまったら、この世に悪人が野放しにされている事となり、治安が悪化してしまう、と。
「……私が全てまとめますので、もう少し待ってください」
ジュンは萌香にさりげなく耳打ちをし、店の中を一通り見回していく。
「まだ左手は傷むのですか?」
保坂の左手に注目をしたジュン。
保坂の左手には湿布がまだ貼られてあり、その左手を右手で隠すように擦り、苦虫を噛むような表情を見せる。
「あ、ああ……、いつまで経っても治らなくてな……」
「そうですか、大変ですね。さあ、話に入りましょうか。今日私たちが汚れているのには少し訳があるのですがね。その前に一つ。ろりぃたいむのキャストの中にあおいさんという方が居ましたの。ですが、その方は亡くなってしまったのです。なので、私たちの働いていたそのろりぃたいむは閉店することとなりましたの。それで、途方に暮れてしまいここへたどり着いたのですが。まあ、それにも訳があるのですが……、これを聞いて、保坂さんは何か思い当たる節はありますか?」
「ろりぃたいむのあおい……。そうか亡くなってしまったのじゃな」
保坂は暫く黙り込んだ。が、何となく物分かりが良すぎるような気もした。
ジュンは保坂の様子を見てもう既に気が付いていた。
「保坂さんは頻繁にアカバネへ行っていました」
突然ジュンが発言した。
「急に何を」
不可解な表情を見せる保坂。
「ね?」
圧を掛けていく。
「……そうじゃが……、それがなんか?」
「あおいさんを本当に知らないのですか?」
「…………」
「いえ、それだけでもう充分ですかね。私たちは、この数週間、アキハバラのあるクラブの中でエースという男に監禁されていましたの。その中には他のメイド達もいましたが、その方たちは軟禁状態といったところでしたわね。手法は保坂さんも既にご存じかどうかは知りませんが、『チョコソース』というドラッグによるマインドコントロールでした」
「わしはチョコソースなどというドラッグは知らんぞぃ」
素っ頓狂な顔をする保坂。
「アングラなアキハバラで流行っていたのですが、保坂さんは知らなかったのですね。でも、聞いたことはあるのかと思っていましたわ」
「いや、本当に知らんぞぃ。そんでそのドラッグとろりぃたいむのあおいとやらがどう関係しているんじゃ?」
「あおいさんはエースの元でチョコソース漬けとなってしまい、エースという男に殺されました。私はエースという男が許せなくてですね」
呼吸を置いて、ジュンが続けて話す。
「本当のところ、保坂さんはあおいさんとご関係があったのですよね」
ジュンが訊くと、保坂は間を開けてからボソッと話した。
「…………あったのぅ」
ジュンはもう一度、保坂の左手に注目する。
「その左手で、あおいさんを殴ったこともあった、ですね」
十秒程の長い間があった。
「……それは……、はあ……」
「ですよね。亡くなったことを直ぐに受けれることが出来たのは何故です?」
保坂は苦し紛れに答えた。
「わしは、そのあおいの訃報を聞いて、とてもショックだったのじゃが……、わしがエースのクラブを教えたのじゃよ……。今となっては教えてしまった、じゃが。その時はエースがドラッグを扱っているとかメイドらを薬漬けにして拘束しているなんて事実は知らんかったのじゃ。ただ、楽園と呼ばれるものがアキハバラの奥にはある、という事を何となく聞いていただけで、あおいに教えてしまったというわけなんじゃ」
「保坂さんのした誘導は、もう塗り替えられない事態なのですよ。今の世の中はとても荒んでいる。それを利用するものはすべて悪です。保坂さんもエースと同様劣悪人の一人なのですよ。私は悪人は嫌いですわ。しっかりその身で反省してください」
どれだけ保坂が悪人に見えても、保坂はチョコソースというドラッグを使っていたわけでもない。それにあおいを殴ったといえども、もう亡き人物であるし、その十八歳を超えたあおいと会っていた事も法で裁くことは難しい。
「あおいさんと関係があったのはいいのですが、店長が裏の社会に紛れていた事……、ショックです」
萌香が保坂を軽蔑の目で見る。
だが、ジュンは諦めたのか宥める様に言った。
「まあ、それだけの事なのですがね。出来ることとすればこれ以上、保坂さんは身売り少女を買わない事ですわね。お金に困った少女を助けるにしてもパパ活などという行為だけに限らず、出来ることは色々な方法があるでしょう。相談に乗ってあげるだけでもいいと思うのです。それに、店のお手伝いをしてもらうだとか、少女らと接するのならば、健全に育成してあげてください。そして、大人の経験で教養を身に着けてあげてほしいところですわ」
「…………悪かったよ。それじゃあ――」
反省をした保坂はあることを提案した。
それを聞いた二人は顔を見合わせて、うんと微かに笑ったのだ。
その後は、マニア系コスプレショップの奥にある保坂の住処に設置されてあるシャワー室で二人は汚れを落とし、店にある適当な服を借りて戻ることにした。
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