ーーサンーー

第10話

 それから五日後、突然なことが起きた。

――おんぷが、誘拐された。

橙色の空の夕方、開店最初のキャッチをするために外へ出ていたおんぷだが、一時間経っても一向に戻ってこなくて、それを心配したあおいが様子を見に行ったのだ。

 周辺を探してもおんぷの姿は見つからず、仕方なく店に戻ると、店の扉の前に礼のメッセージカードが置かれてあったのである。

 メッセージカードを見つけたあおいは急いで皆の元へ行った。

「ねえ……、これってまさか……、そうだよね、あの最近流行っている……」

「連続メイド誘拐事件……?」

 リリアも事件の事は知っていた。

リリアだけではない。噂はアキハバラのメイドら全員に行き渡るほど、有名になっていたのだ。

「噂では知っていたけど事件って本当だったのにゃ」

 みかこは青ざめた顔をしていて焦っていた。

「そうみたいだね」

 リリアが胸の前で腕を組んで一つ頷く。

「という事は、おんぷは本当に誘拐されちゃったんだ」

 あおいは信じられないという風に話をした。

「だにゃ」

 直ぐにキイチもやってきて、店は一時閉店となり、話し合いが始まった。

「おいおいおいおい、マジかよマジかよ、おんぷが誘拐されただと?どういう事だよ、どんな事態だよ」

 キイチが凄く焦った形相で困惑していた。

「これが残されていたメッセージです」

 あおいが拾ったカードをキイチに見せる。

「なんだ?」

 メッセージには、こう書かれてあった。


 ――シラナイコト、シラナクテモヨカッタノニ、ドウシテ、カガヤカシイ、オンプチャン、イタダキ。――


「なんだ怪奇文章で全くわからない……」

 キイチが少し落ち着きを取り戻し、冷静になって言った。

「どうします? キイチさん、警察に相談します?」

 あおいが訊ねる。

「いいや、警察には相談しない。あくまでこれは内密に、だ」

 キイチはきっぱりと言った。

「どうして?」

 早くも110番をしようとしていたリリアが手を止めて言う。

「まあ、簡単に言うと店の経営がかかっているんだよ。警察が関与すると、店の余計な情報まで知られることとなる。だから、なんというか……、伝えるのは……ダメなんだ」

 キイチがうやむやに話を逸らす。

 それで、メイドらは何となく納得した。

 ろりぃたいむが違法メイドカフェである事は暗黙の了解で、メイドらはそれを知った上で働いているという事なのであった。

「それじゃあ、あの新人のライチちゃんには伝えておきます?」

 あおいが言う。

「うん、ライチには伝えておくよ」

 そんなこんなで話し合いは終わり、店は再び営業開始となった。だが、皆、おんぷの件で最後まで警戒しながら接客を行い、それでも、なるべく不安にならないようにと、メイドを演じ続けたのであった。


学校から家路についていた萌香。鞄の中の携帯電話が鳴った。キイチからである。

萌香はまだこの前のトマトジュースの件を気にしていて、電話に出るか出ないか渋ったが、無視するのは悪いと思い、仕方なく出ることにした。

「はい」

 緊張で少し声が力む。

 萌香はキイチからおんぷが誘拐された事実を知らされて、例の噂は本当だったんだ、と驚きながら話を聞いた。

 人手が少なくなったからまた出てほしいとキイチは言ったが、萌香は「少し考えさせてください」と曖昧に濁して電話を切ってしまった。

 それから萌香は直ぐにジュンへ電話を掛けた。


 一時間後、ジュンと萌香は保坂の経営するコスプレショップで合流することとなった。

 先に着いていた萌香が足音に気が付いて、入り口まで見に行ったところそこにジュンがいて、萌香はジュンの顔を見てなんだかすごく安心してしまった。

保坂がパイプ椅子を二脚持ってきて、二人は礼を言い椅子に座り、話を始めた。

「電話でも聞きましたけど、萌香さんのところのメイドさんが一人誘拐されたのは事実の事なのですよね?」

「本当の事です。でも、私はその事より、初日のミスの方が怖かったんです。お店からはまた出勤するよう頼まれているんですけど、ちょっと迷っていて……」

「ミスって、ジュースの事?」

 ジュンが足を組んで訊く。

 電話であらかた話を聞いていたので、ジュンは既に萌香のメイド事情を把握していたというところだ。

「……そうです」

 弱々しく頷く萌香。

 すると、ジュンが笑って話し出した。

「そんなの、気に病むことないわ。誰も気にしていないわよ」

 ジュンは言うものの、萌香はまだ気にせざるを得なく、不安感が解けずにもやもやしていた。

 確かに萌香は少し考えすぎだし悩みすぎだと思う。そんな小さなミスでやりたかった仕事を辞めてしまうのは流石に勿体ない。

「そんなので済むミスなんでしょうか……」

 自信のない声の後にジュンがハッキリと言う。

「萌香さんは少し考えすぎね。それより、重視するべき事は例の誘拐事件についてですわ。ちょっと詳しくお話しませんか?」

 探偵の血が騒ぎ始めたのかジュンの表情が硬くなる。

 とは言っても、ジュンが単独行動で調査をしたことはまだ無いに等しいし、なんならここ最近は調査を休んでいて、少しばかり米田と遊びすぎていたくらいである。

 それでも、その姿は探偵になりきっていて、雰囲気というか形は完成されてあった。

「ジュンさんが何とかしてくれるんですか?」

 萌香は考え込むジュンの瞳を凝視して訊く。

「ええ、このアキハバラで起きている連続メイド誘拐事件、私が解決して見せてもいいかしら」

「どうするんですか?」

 ジュンは片手で軽く顎を触りながらそれっぽく言った。

「……潜入、ね」

「え?」

 萌香がきょとんとした眼差しで首を傾げる。

「萌香さんのところのメイドカフェに新人メイドとして潜入しましょう。私は萌香さんからの紹介でやってきたということにしたいですので、どうかアルバイトは続けていてほしいのです」

 ジュンが顔をあげて言った。

「……わかりました。ジュンさんが解決してくれるのなら私はそれまで続けてみることにします」

「助かりますわ」

 ジュンが優しい微笑みを見せる。

 萌香が片手に持った携帯電話を見つめて意思を固めて言う。

「ちょっと今から、出勤の事とジュンさんの事についてお店に電話してきていいですか?」

「どうぞ、待っているわね。あ、わかっていると思いますけど、私が探偵という事は秘密にしておいてくださいね。適当になんかいい言い訳でもついておいてください。例えば……親戚の従妹とか、友人とか……、いや、萌香さんとは既に友人という関係は築けているのかしらね」

 ジュンはスカートの裾を持ち上げて、綺麗に椅子から立ち上がり注意を促す。

 萌香は携帯電話だけを持って外へ出ていった。

ジュンは店内に展示されてあるコスプレ衣装を吟味して待つことにした。萌香が戻ってくるまでの暇つぶしのつもりであったが、何となく目に留まったシスター衣装が気に入って即決で購入することにした。

 八分程して萌香は戻って来た。

「ジュンさん、明後日はお店の方が面接をしたいと言っていたのですが……空いてます?十六日です」

 萌香が訊く。

「明後日は何時ですの?それと住所を教えてくださいます?」

「午前十時、場所はアキハバラの――――です」

「了解しましたわ。この時は萌香さんも一緒ですか?」

「別に一緒でも構いませんが……」

「一緒だと助かります。一人だと少し緊張しますので」

「それじゃあ、九時三十分に駅で待ち合わせはどうですか?」

「わかりましたわ、それでは今日はこの辺で解散としましょうか」

「はい」

 そう二人は話を終え、別々の帰路へ着いた。

 さっきまで探偵を気取っていたジュンだが、コスプレ衣装の入った紙袋を片手に、恋人の米田に見せたら喜んでくれるだろうか、などと考えたりしてすっかり浮かれていた。

 そんな時、上機嫌で歩くジュンの目は、とある様子を捉えた。

 眠たそうにして一人で歩く女がいた。フリルの付いたスカートにパニエを履いていたのできっとメイドなのだろうと思っていたが、しばらくすると女はよたよたとふらついて、しゃがみ込んだ。そしてそのまま倒れるように眠ってしまったのだ。心配したジュンは声を掛けようか迷ったが、その必要はなかったようだ。同じくスカートにパニエを履いた別の女が、眠る女のもとへ駆け寄り、介抱やらをしだしたのだ。二人は同じ店のキャストで、眠ってしまった女の方は疲労困憊の状態だったのだとジュンは思った。介抱をしていた女はそのまま眠る女を抱えてどこかへ移動してしまったが、ジュンは特に気にすることもなくその場を去ることにした。

 電車に乗ってから、ジュンは思い返す。

 あれ、あの女性、どっかで見たことが……、いや、そんなことはないわ。


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