ーーヨンーー

第11話

 十六日の早朝、ジュンはいつもより早めに目を覚ました。アキハバラでの待ち合わせの時間までまだ余裕があったため、ジュンは優雅に一時間の散歩をして日光を浴びてから、家に戻り、のんびりと面接の準備に取り掛かった。

容姿がしっかりしていないという理由で、万が一面接に落ちてしまってはいけないと、ジュンは念入りにメイクをしていく。面接なのだから、フォーマルな服装で行くのがいいのか、メイドカフェであるからインパクトを与えるために個性的な服装にしたらいいのか迷ったが、ジュンは前者を選んでパキッとしたスーツを着ていくことにした。

 百八十七センチのレディースのパンツスーツは特注品で、上下セットで十五万もする高級品でもある。

 部屋の角に立てられてある姿見には、スーツを着たジュンの姿が堂々と映っている。足の長さが目立つパンツスーツは二次元的な等身大を想像させてとても格好がいい。

「あら、おはようジュンちゃん、なんだかいつもと違う格好ね」

 眠そうに起きてきたミチさんがジュンを見て言う。

「今日は少しばかり真面目な用事があるのですよ。全ては探偵業の調査の一部に過ぎないのですけどね。アキハバラでメイドカフェの面接をしに行ってきますわ」

「十分に注意することね、潜入調査は特に大変でバレた時点で失敗に終わるものなのよ、失敗以上の重大な代償もあるかもしれない事よ。絶対にバレることがないように、ね」

 ミチさんは少し怖いことを言う。

 でも、潜入調査はそのくらい慎重に行動しないといけないということだ。

「気を付けますわ」

 ジュンはミチさんを後に、少し早いがアキハバラへ移動することにした。

 待ち合わせは九時三十分だったが、九時二十五分に到着したジュンより先に萌香は駅で待っていたようだ。

「おはようございます、萌香さん。私の用事なのに待たせてしまって悪かったですわ。帰りに駅前のシュークリームをご馳走させてください」

「気を使わなくて大丈夫ですよ」

「駅前のシュークリームは私も気になっていたのでそのついでと思ってください」

「それじゃあ……お言葉に甘えて」

 そんな話をしながら、面接の緊張感を感じさせない和気あいあいとした雰囲気で、二人はろりぃたいむへ向かっていった。

 萌香はろりぃたいむの扉をノックして反応を待つ。何も反応がなかったので、ドアノブをひねってみると扉には鍵がかかっていなかったようだ。二人はそのまま静かに玄関をくぐった。入店を知らせる電子音が鳴り、それに気が付いたキイチが寄ってきて二人を歓迎する。

「ライチ、また来てくれてありがとう、こっちは面接の方?」

「はい、この方が面接希望のジュンさんです」

 右手をあげてジュンを紹介する萌香。

「惠谷ジュンです。今日はよろしくお願い致します」

 ジュンはいつものお嬢様口調を封じて真剣な眼差しで面接に取り掛かろうとしていた。

 面接が受かればこっちのものだ。面接時は真面目を演じて、個性は受かってから存分に発揮したらいい。

「さて、あそこの奥の席に座って面接を始めよう」

 キイチは四人掛けの席を指さして言い、書類を取りに一旦姿を消した。

 万が一のことがあってはならないから、慎重に動く事を意識した。なので、ジュンはキイチが戻ってくるまで椅子にさえ座らないで待っていた。キイチが先に座ってからジュンは腰を掛ける。そして、受け取った名刺は直ぐに仕舞わずテーブルの横に置いておく。椅子にはもたれ掛からず背筋を伸ばす。

 メイドカフェの面接というのに、まるで大手会社の面接ぐらい慎重だった。

「それじゃあ、合否は明日にでも連絡するから、惠谷ちゃん、よろしく」

 キイチは言って、書類をまとめる。

長くて短い張り詰めた面接の時間はようやく終わり、ジュンはまともな容姿と言葉使いで何とか面接を乗り切った。

「驚きました、ジュンさんって意外とちゃんとしてるんですね」

「はあ……、ちょっと疲れましたわ……、ねぇ、もっとフラットでよかったかしら」

 どっと息を吐くジュン。

「ろりぃたいむはあんまり厳しくなかったはずですよ。私の時はアットホームな感じでした」

 それを聞いてジュンの中に不安がよぎった。

 少々、真面目過ぎて面白味もエンタメ精神のかけらもなく、メイドカフェには不向きな人柄だと思われたかもしれないとジュンは焦りかけたが、終わってしまったことはどうしようもなかったので、仕方なしにそのまま合否を待つ事しか出来なかった。

「きっと大丈夫ですよ、ジュンさんはスタイルだけでもインパクトはありますし、十分貴重な人材だと思いますよ。キイチさんもわかってくれたはずです」

「それならいいのですけど……、それじゃあ、あんまり思い詰めていてもどうしようもないですし、気分を変えて例のシュークリームを買いに行きましょうか」

 ジュンは気を取り直して脳の中身をシュークリームの事に切り替えた。

「そうですね」

 あっという間にジュンは心配事を忘れてカスタードとクリームの味ばかりを考えている。まるで脳みそがカスタードクリームになったようである。

 駅前のシュークリーム屋でジュンはカスタードクリームシューを二つ買い、その一つを萌香に渡した。

「ありがとうございます、今直ぐ食べたいところなんですけど、これはお家に帰ってからゆっくり味わおうと思います」

「そうね、ココは少し人が多すぎますからね。中には保冷材も入っていて、シュークリームも溶けにくいことでしょうし、あとでゆっくりと召し上がる事をお勧めしますわ」

 萌香はもう一度ジュンに礼を言って、改札を通って帰っていった。 


 ジュンのもとにキイチからの連絡が来たのは翌日の正午であった。

「是非、うちで、よろしく」

 キイチの明るい声が電話越しに聞こえてくる。

 ジュンはそれを聞いて、歓喜をぐっとこらえて、平常を装って返事をした。

「ありがとうございます、出勤はいつからですか?」

「じゃあー、直ぐになるけど、明日からとかイケる?」

 キイチは軽く提案をする。

「大丈夫です。因みに萌香さんとは一緒ですか?」

「ああ、ライチね。一緒にする予定だけど、その方がいいでしょ。それと、明日、惠谷ちゃんの源氏名を決めるからね。いくつか候補を考えておいてね、それじゃあ」

 キイチが一方的に電話を切って、途切れた後の音だけがジュンの耳に残る。

 ジュンはこれが調査の一部であることを忘れ、本気で喜びかけていたが、その途切れた後の寂しさを思わせる音で冷静になり、状況を思い直すことにした。あくまでも探偵の生業、これは僅かな調査の一部に過ぎない。それでも一歩前進できたことは良いことである。自分が探偵という事を忘れてはならない、とジュンはプライド共に自分の役割を再認識しようとした。

 しかし、調査の一環としてこれからの勤務時に使う源氏名の候補を決めなくてはならない。

 ジュンは適当に考えて、数十秒で惠谷のめぐみを少し言い換えて「メグリ」と名乗るのはどうかなと考えた。うん、とジュンは納得がいったのでその勢いでキイチに電話を掛けて聞いてみることにした。

「またすみません、惠谷です。源氏名をたった今考えて気に入ってしまって伝えたくて、つい電話してしまいました」

 特に忙しくもなかったキイチは、「それじゃあこのまま電話で決めてしまおうか」と提案をしてジュンの考えた源氏名を聞いた。

「どうですか? メグリです。本名と少し掛けてみましたの」

 メグリという名は好評だったようで、キイチは迷わず、「それにしよう」と言い、電話は僅か三十秒程で呆気なく終わってしまった。

源氏名も決まったことだし、ジュンは明日の出勤に備えることにしたのだ。

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