第7話

 午前一時になってようやくキイチは戻ってきたが、自分のほかに六人の男を連れてやってきた。

「よーっす、ちゃんとやってるか?」

 きょとんとしていた萌香に向けてキイチは伝える。

「この方たちは俺の友達で、この辺のふと客ね。今日は思いっきり楽しませてやってくれ」

 そうして、六人の中に混じり談笑しだすキイチ。真ん中奥のテーブル席には、酒とお菓子がこれでもかというほど置かれて、これだけあれば十分だろう、とメイドらは思っていたが、それも三十分もすればなくなっていたのだ。

インセンティブを稼ぐために、メイドらは必死に愛想良くして、何ならスキンシップも拒まずに、ほぼ貸し切り状態となった店内を必死に盛り上げようとしていて、その光景は何というかキャバクラに近いものがあるように見えた。

メイドカフェはもっと、のんびりとしていて、尚且つ萌えを意識しながら、癒しを与える空間だと思っていた萌香は初日から軽くショックを受けてしまった。

 店内は無法地帯になっていたが、その中でもひと際視線を集めて、萌えというポリシーを貫くメイドはいた。

 ろりぃたいむの一番人気メイド、おんぷだ。

 他のメイド達もそれなりにメイドらしかったのだが、おんぷはそれ以上に徹底してメイドを演じていたのだ。

 まさにアイドルといった可憐な体を機敏に動かして、もう十二曲目のパフォーマンスを披露するおんぷは、疲れているはずなのに息切れ一つせず、終始笑顔を絶やすことはなく圧倒的な存在感があった。 

その姿に萌香は見入ってしまい、いつかはこんなメイドになれたらいいな……、とその日からおんぷに対して尊敬の意を抱くようになったのである。

 だが、上級プロメイドになるには、相当の努力が必要だし、合う合わないのセンスも問われる。きっと萌香にメイドという職業は向いていないのだろうけど、可愛い服が着たいがために頑張って、コミュ力を高めていかなければと焦る気持ちは抑えられなかった。

「ライチちゃん、俺キャスドリ入れてあげるからさ、何か飲んだら?」

 六人の中でも特別厳つい男が足を組みながら萌香に話しかけた。どうやら萌香のためにドリンクを注文してくれるようだ。

 オーダーの仕方も何もわからないまま、おろおろしながら萌香は、「あっ、はい、いただきます」と言って、慌てて厨房の中へ逃げてしまった。

萌香は奥で小休憩を取っていたリリアに声を掛けて聞いてみることにした。

「あの、ドリンクを頂いたのですが……」

 携帯電話を見ていたリリアは萌香の声に気が付いて顔をあげる。

「ソフトドリンクは冷蔵庫にあるものを適当なグラスに注ぐだけだよ。アルコールの作り方は……って、ライチちゃんはまだ未成年だから飲めないのか」

 まるで周りが大人ばかりだから気が付かなかった、という感じでリリアは伝えたが、リリアだって、まだ十八歳である。成人はしてあるがまだ酒を飲める年齢ではない。だが、未成年でも簡単に酒を飲めてしまう、深夜アキハバラの闇は深いのだ。

 萌香は冷蔵庫を開けて、目についたトマトジュースのパックを手に取った。

 特別トマトジュースが好きだったわけではないが、単に普段飲まないものが目の前にあったという理由で、萌香は興味本位でジュースを注いだ。

 なみなみに注がれたグラスを両手で持ち、急ぎ足で真ん中奥のテーブル席へ戻ることにした萌香だが、その途中にあったちょっとした段差に躓いてしまい、そのままジュースを零してしまったのである。

 生憎、グラスが割れることもなく誰も怪我はしなかったが、血液のような赤色のジュースがドリンクを勧めてくれた厳つい男の靴にかかってしまった。

 高級そうな靴が赤色に染まる。零したジュースの色は鮮血のようで、まるで殺人事件が起きた直後のような状態となり、萌香は血の気が引くような感覚を味わった。

よりによって自分は何で色の付きやすいトマトジュースなんか選んだんだろう……、と萌香は後悔して、申し訳なさと恐怖のあまり、その男の顔を直ぐに見ることが出来なくて、絶望を感じて泣きそうになってしまった。

「わわわー、大変、大変にゃーん!」

 たまたま一部始終を見ていたみかこが声をあげたおかげで、周りは瞬時にハプニングに気付いた。

厳つい男がでかでかと椅子に座りながらダルそうにしていたが、新人メイドの少女相手にそんなに怒ることも出来ずに、「なにやってんだよー、ああー」と文句を垂れていた。

「ああー、すみませんすみません、すみませんねぇ、うちの新人が」

 率先してキイチが謝罪をした。キイチはテーブルに置かれているハンカチを見つけて、そのハンカチを使って大げさに慌てて男の靴を拭いていく。

 本来は萌香が先に謝るべきなのだが、萌香は軽くパニックになってしまい、小動物のように震えていて、喋る事もままならなくなり、謝る余裕がなくなっていたのだ。

「にゃにゃにゃ!にゃんのハンカチがぁー……、にゃ~……」

 キイチが使ったハンカチはみかこのモノだったようだ。みかこは大切なハンカチを勝手に使われたことが不満だったようで、自分のハンカチがどんどん汚れていくのを見ながら盛大に嘆いていた。

「あぁ~、にゃんの大切な、大切なハンカチが血の色に染まっていくにゃ~……」

「ちゃんと洗って返すから、そんなに騒ぐなよ」

 キイチが面倒くさそうにしながらみかこをあしらっていく。

 みかこは不思議な性格が故によくキイチにいじられていたので、キイチが冷たい態度を取っても、いつもの事だと慣れていたのだが、やっぱりハンカチが汚れてしまったのはショックだったようで、最後に「うぅ」と声を漏らしながらしょんぼりしていた。

「あーあ、テーブルにハンカチをおきっぱにしていたからだよ、直ぐにしまう癖をつけないとだね、ドンマイ」

 小休憩から戻ってきたリリアがみかこを慰める。

「みかこちゃん……、マイドン、にゃあ……」

 みかこも自分に言い聞かせるように呟いた。

「……あのっ、ごめんなさいっ」

 皆の対処で何とか場が落ち着いてきたところでようやく萌香は男に謝ることが出来たが、その後、直ぐに心が折れてしまい、再び店内の奥へ逃げてしまった。

 キイチのおかげでなんとか周りは元の状態に戻ったのだが、男の靴はまだ濡れていた。トマトジュースの色が残らなかっただけまだマシなのだが、男は依然としてダルそうな様子を見せている。

 一瞬、空気が悪くなりかけたが、残ったメイド達がなんとか盛り上げようと頑張ってくれたおかげで、ジュースを掛けられた男の機嫌も直って、何とか場の空気は回復した。

だが、二十分経っても萌香は戻ってこなく、それを心配したキイチは少し席を外して様子を見に行くことにした。

「ちょっと怖がらせちゃったかな、戻ってきてくれると良いんだけどなあ」

 厳つい男は怖い顔をしながらも本当は萌香を気にかけていたようだ。

「多分、キイチさんが説得してくれると思うので、今は気にしないでもいいと思いますよ?」

 あおいはそう言いながら、これ以上、男たちを心配させないようにと、デンモクを手に取り一曲歌おうとした。

 男たちはろりぃたいむの入国者、つまりお客様であって、メイドの本来の役目は入国者を楽しませることである。営業中は第一に入国者を楽しませるというのがモットーのあおいは、自分がメイドであるという意識が高くて、まさにプロフェッショナルである。

 あおいが男たちに向けてポップに歌いだすと、それを見ていたおんぷが歌に合わせてダンスを始めた。

 あおいと同様、おんぷも負けじとプロ意識を掲げながら、メイドを演じ、入国者にとって居心地の良い空間を作り上げていく。流石、一番人気なだけあって、入国者の視線は一瞬にしておんぷの元へ行き、メイド側のリリアやみかこの視線までをも魅了させていった。

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