第6話

 萌香は気を張りすぎた余り、少し早く着いてしまったようだ。

早く着く分には良かったのだが、萌香は店への入り方がわからなくて、仕方なく先輩たちがやってくるまで外で待つことにした。

 日焼け止めを塗るのを忘れてしまった萌香だが、つけてもつけなくてもあまり変わらない体質の萌香は、太陽に照らされていても、そこまで後悔することはないので安心だ。

十五分と待っていると、ようやく誰かが来たようだ。つま先を見ていた萌香は、足音を辿って正面に目を移すと、そこにはポニーテールのキリっとした目の女性が立っていた。

「あれ、誰?」

 ポニーテールの女性は珍しそうに萌香を見ていた。

「今日から働かせていただきます。三宮萌香です」

 目の前にいるのはメイド服やカチューシャなど何もつけていない一般的な女性だったが、その女性からはアイドルのようなエイターテイメントを極めたオーラが感じられた。

「あ、そっか。キイチさんの言っていたのって、この子の事だったんだ。うん、それじゃあ、一旦中へ入って話を進めよう」

 ポニーテールの女性は鞄から取り出した鍵を使ってドアを開けた。

 萌香は奥へ入っていいのかわからず、入り口付近で迷っていたが、ポニーテールの女性が手招きをしてくれたおかげで何とか入ることが出来た。

「私はあおい、本名は秘密」

「秘密ってどうしてですか?」

「ココの業界は、案外本名を教えない人が多いんだよ。代わりに本名じゃなくて源氏名で呼び合うの。暗黙の了解的なルールがあるんだよ。私の本名を知っているのは責任者のキイチさんくらいで、長年一緒にお給仕しているメンバーにも教えたことがなくてね。だから、本名を名乗ってくれる方が珍しいくらいだよ」

 萌香の第一に学んだことは、店内では源氏名で呼び合うというルールだ。

 あおいはその他にも店へ入ったらまずタイムカードを押す事や、更衣室の中の衣装の管理など説明しながら、店内BGMをつけたり電気をつけたりと、一人で開店の準備を進めていった。

「三宮さん……、ん?いや、違うか。まだ源氏名を付けていなかったからあなただね。もう少しで責任者のキイチさんが来るから、その時一緒に決めてもらったらいいよ。それまで私はあなたの事をあなたと呼んでおくのが無難だね、それじゃあよろしく」

「あおいさん、私に何かできることはありますか?」

 ただ突っ立っているだけじゃ邪魔になるだけだと思い、萌香はあおいに聞いてみた。

「そこのテーブル席に座って携帯でも弄っていていいよ。あ、あなたが無能に見えるとかじゃないよ。お給仕は名前が決まって正式にメイド服を着れた時から始まるからね。ま、ゆっくりしててー」

 言われた通り、萌香はテーブル席に座って携帯電話を触って待つことにした。

「おーっす」

 金髪の男性が軽い挨拶をしながらやってきた。

彼が噂のろりぃたいむの責任者、キイチである。

 萌香はキイチの顔を見て、ああ、彼は私の面接をしてくれた人だ、と記憶を思い出した。

「おはようございます」

 萌香はその場で立ち上がり声を掛けた。

「お、ちゃんと来てるね。よし、それじゃあ早速だけど源氏名を決めちゃおう」

 キイチが三枚ほどの書類をテーブルに広げて向かいに座る。

 萌香は源氏名の候補を三つほどあげて、キイチに相談した。

「バナナ、キウイ、ライチ…………、って全部果物じゃないか!」

「え、ダメでした……?」

「いや、ダメというわけじゃないんだけど、これから呼ばれ続ける名前なんだしもっと凝った名前にしたらどうかなと思ってさ」

「私は果物で大丈夫です」

「うーん……、それじゃあ、わかった……。ライチだ。君は今日からライチ。バナナやキウイよりかは全然マシだな」

 確かに、バナナやキウイという名前のメイドがいたら面白いだろうけど、名前を言っただけでセンスを疑われそうだ。

 萌香の源氏名はライチで決定となった。

 キイチはまた夜にやってくるといい、メイド服を置いて店を出て行った。

 その後、キイチが持ってきたメイド服に着替えるべく、萌香は更衣室の中へ入った。

「確かに、バナナは流石にないよ……」

 更衣室の中、メイド服に着替えながら自分のセンスの皆無さを痛感して萌香は独り言をぼやいていた。

 着替えが終わって姿見に映る自分を見た萌香は満足げな表情をしていて、カチューシャの位置やツインテールの後れ毛などを少し整えてから更衣室を出た。

「わあ、ライチちゃん可愛いー」

 出て直ぐ、あおいに褒められた萌香。

 萌香はその誉め言葉を疑ってしまった。なんだか本気で褒められている感じがしなかったのだ。上辺だけの棒読み感覚。

単にそれは萌香の偏見に過ぎないのだろうか。

今じゃ学校では孤立してしまっている萌香だが、高校入学したての頃は少し違った。人を信じやすい性格だった萌香は大体の人には心を許して会話をしていた。だが、学校でのいじめなど、女の友情関係には裏があることを知ってしまい、それ以降、女性の言うことは鵜吞みにするものではないと思うようになってしまった。

 今となっては完璧な天邪鬼だ。

「あおいさんももう着替えたんですね。とても可愛いです」

 天邪鬼の萌香があおいの衣装を褒める。

 自分が褒められたら次は相手を褒める。これは萌香の中でのデフォルトで、お返しに相手の何かを褒めるまでがテンプレートなのであった。

 どうせ、女の子は皆思ってもいない事で褒め合って、笑いながらどうでもいい会話をして、刺激的なものを求めて、でも探せないまま生きているんだろうな……、と萌香は思うようになったのだ。

「もうそろそろ皆も来るはずなんだけどなぁ……、ちょっといつもより遅いかもしれないな」

 徐々に心配になっていくあおい。

 あおいが言うには今日はあとプラス三人のキャストが出勤する予定らしい。

 だが、来る気配はなく、あおいは今日の営業は終わった、と諦めかけていたが開店まであと十分というところで大きな音を立ててドアが開かれた。

「うわあああああああ!にゃーん!にゃーん!待つのだー!」

 萌香が慌てて入り口を見に行くとそこには、猫を追いかける少女がいた。全体的にとても小さくて服がだぼだぼのその少女は、まだ萌香に気づいていないようで、必死に猫を追いかけながら店の奥へと入っていった。

「あおいさん、今の子は?」

「あの子は私たちのメンバーの一人、みかこちゃん。いつも来るときに何か持ってくるんだけど、今日は猫を連れてきてしまったようだよ……。ご入国者様に猫アレルギーの方が居たらとんでもないことになるわ。はあ……。でもね、ああ見えて、実はライチちゃんと同じ高校生なんだよ」

 みかこの謎キャラ感といったらどうしても個性的過ぎた。何を考えているかわからなくて、滲み出る不思議なオーラは意識してなのか無意識なのかは誰もわからない。

「あおいちゃんっ、猫があおいちゃんの方に行った!」

 あおいの足元に猫が寄ってきた。

 あおいはひょいと簡単に猫を持ち上げて、猫の胴体がびよーんと伸びる。

「みかこちゃん、どうして猫なんか追いかけていたの?」

 あおいが聞くと、みかこは猫の口を指さしながら答えた。

「この猫、にゃんの大切な髪飾りを奪って逃げていったんだよ。にゃんが猫好きなことも、動きがとろいことも、髪飾りがないとお給仕できないことも、全部この猫にばれていたのにゃ」

 みかこは主語に”にゃん”とつける癖があるようで、擬人化した猫なのではないか、と冗談交じりだが萌香は少し考えた。

「あおいちゃんの隣にいるのはいったい誰にゃ?」

 みかこが萌香について聞いた。

「私は、三宮……、じゃなくてライチです。今日からここでお給仕をさせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願いします」

 なるべく好印象でいたかったので、萌香は頑張って微笑みながら挨拶をした。

「ふーん、にゃんはみかこちゃん、先輩なんて気取れるタイプじゃないし、にゃんと話すときは適当でおけーにゃん」

 みかこは猫から取り戻した髪飾りを付けなおしながら言った。

 その後、みかこはふふふ~ん、と鼻歌を歌いながらしゃがんで猫を撫でようとしたが、あおいに「あと七分で開店だよ!」と急かされて、みかこは慌てて更衣室の中へ入っていった。

 みかこが着替えをしている間に、再び入り口のドアが開いて誰かが入って来た。

「二人とも、ちょっと今回は遅すぎるよ」

 開店ギリギリの店にスライディングでやってきたのは、リリアとおんぷというメイドであった。

 二人はあおいに頭を下げて直ぐに謝ったが、リリアが言い訳を始めた。

「遅れそうになったのは悪いけど、原因は全てみかこが追っていた猫のせいなんだよ。まだ余裕もあったから三人で猫を撫でていたら急に猫が暴れだしてね、その勢いで私は転んじゃって、おまけにブレスレットも公園の中に隠されて大変だったんだよ。おんぷは私の手当をしてくれたり、一緒にブレスレットを探してくれたりして……、それで遅れたというわけなんだ」

「猫に罪を着せるなんて」

 あおいは言いかけたが、リリアの話を聞いてからだと、猫とリリア達、どっちを責めて良いかわからなくなって、今回のハプニングは大目に見てあげることにした。

「おーぅ、にゃんの完全装備、完・成!」

 変身したライダーのようにポーズをとって更衣室から出てきたみかこ。

「はいはい、それじゃあ、次は私たちが着替えるからねー」

 皆、みかこの言動には慣れているようであった。

 リリアとおんぷが二人で更衣室に入って着替えをしていく。開店まであと二分。

「ふはーっ、何とか開店までに間に合ったよ……」

 安堵の息を漏らすおんぷ。

 皆がメイド服に着替え終わって、いざ開店をするというタイミングでリリアとおんぷは萌香の存在に気が付いたようだ。

「そこにいるのは新しい子?」

「新人のライチちゃんだよ、皆優しくしてあげてね」

 あおいが気を使って紹介してくれたおかげで、萌香は開店までにギリギリ店に溶け込むことが出来た。

「よろしくお願いします」

 おんぷが萌香の肩をたたいて「大丈夫だよ」と勇気付けてくれた。

「この仕事はね、少し気を抜いて働くくらいが丁度いいんだよ。だからそんなに気張らないでいいからね」

 おんぷはろりぃたいむで一番人気なメイドなのだが、その理由はそういう気遣いが出来るところにあるのかもしれない。落ち着いていて、尚且つ万人受けしそうな顔立ちで心優しい。アイドル風ツインテールが奇麗に結わえられていて、カチューシャが誰よりも似合っていた。

 皆の準備が整ったところで、開店のベルが鳴った。

 さっきまで、のほほんとしていたみかこらも、お給仕が始まるとそれなりに気合が入り、しっかりとメイドになりきるのであった。流石ベテランメイドだ。

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