ーーイチーー
第2話
夏も真っただ中、今は八月だ。外は蒸し暑く、周りのモノを触るのもためらうくらいのギラギラとした日差しが二人の後頭部を焼いていく。
ここはアキハバラ。
ぐったりするほどの暑さが続いているのにも関わらず、道は人ごみで溢れていて、その人ごみを掻き分けながら歩くのは、とても体力がいるし、ちょっとしたコツがいる。
そんな中、相撲取りのような体形の男、米田鉄尾が汗を拭きながらちょっと癖のある口調で言った。
「上じゃなくて周りの人の足元をよく見て歩くとあまりぶつからないですよぉ」
横を歩くジュンがフフフと口に手を当てながら微笑して言う。
「そういうよねくんは私のことばかり見ているような気がしますけどね」
「そんなにジュンさんのこと見ちゃってましたぁ? 多分、無意識だと思うんですけどぉ……けどぉ……」
ジュンの言葉を聞いて、途端にあからさまな動揺をしだす米田。
歩きながらわたわたしていると、米田の肩が通行人にぶつかってしまった。
「いたっ、あ…………す、すんません」
軽く振り向いて遅れて謝ったものの、その人は何事もなかったかのように、無視してあっという間に後ろの人ごみに紛れ去っていった。
「ほら、よねくん気を付けないと」
「うぅ……気を付けますぅ」
普通の人よりも二倍はある体を一生懸命丸める米田。
それを見たジュンは何気ない素振りで米田の手を取り、スタスタと人ごみをすり抜けていった。
百八十七センチという圧倒的な身長を持つジュンは、歩いていても余裕で周りを見下ろしている。最初の米田のアドバイスは高身長のジュンには必要ではなかったのかもしれない。
何気なく二人は手を繋いだが、振り返れば手を繋ぐのはこの時が初めての事であった。
突然のスキンシップに気が付いた米田は、「ちょっと待ってください」と足を止め、冷静になって今の状況を考えた。
米田は異性と、それもジュンと手を繋いでいる事で取り乱してしまい、慌てて繋いでいた手を離した。
「ちょっちょちょちょちょちょ、何をしているんですかぁ、僕の手なんて汗ばんでいて汚いだけですよぉ、ジュンさんのきれいな手を汚してしまうから、ですからですから、手を繋ぐとかそーいうのはおこがましくて申し訳なくなってしまいますぅ」
明らかに動揺している米田。
「よねくんの手の汗なんて気にしないわ。むしろ人ごみの中だから手を繋いでいたほうがはぐれないしいいと思ったんだけれど……あ、もしかして私と手を繋ぐのは、嫌だったかしら?」
ジュンが困った表情を見せて、米田は慌てて返した。
「いやいや、そんなことはないんですよぉ。繋いでくれるのはむしろ嬉しいんですけどもねぇ。ブスな僕ときれいなジュンさんが手を繋ぐなんて不釣り合いじゃないですかぁ」
「不釣り合いでもなんでも手を繋ぎたいのが本音なのでしたら繋いでいましょうよ。私は全く気にしないわよ」
はい、とジュンは手を差し伸べ、米田は不慣れに細い指に触れる。
「うぅ……なんだか照れ臭いですなぁ。これは慣れるのに時間がぁ……」
やっぱり、百八十七センチの高身長な女と、相撲取りのような体格のいい男が手を繋いで歩いているという光景に対しての違和感はどうしても否めないものがある。それを一切気にしないジュンと、慣れない様子を見せる米田。
そんな二人に、着飾ったメイドのような女性が満面の笑みで声を掛けてきた。
「ろりぃたいむ、二時間飲み放題1500円からにゃん! ご帰宅お待ちしてるにゃーん!」
猫耳カチューシャを付けた美女からのキャッチであった。
その女性はアイドル風ツインテールで、髪飾りにピンクのシュシュとカチューシャを付けていて、それに胸元と腕と腰にフリルが付いたかわいいメイド服を着用している。きっとそれは通販で買えるような安価なものではなくて、店独自の特注品とかなのだろう。
端正な顔立ちの女性を見て、米田がチラシを受け取るか受け取らないか迷っていると、ジュンがさっとチラシを受け取って言った。
「ありがとう、少しまわってからちょっと考えてみますわ」
チラシには「ろりぃたいむ」と店舗名がかわいらしいフォントで書かれてある。
彼女は懇願するように二人を見つめている。
それでも、そう簡単にはいかなく、誘われたから直ぐに入ってみよう、という風にはならない。
チラシを配るキャスト達は、その通りだけで軽く二十人以上もいて、その二十人らが通りかかるほとんどの人々に、ひたすらチラシを勧めているからだ。
アキハバラへやってきて一番最初にチラシをもらったのが、ろりぃたいむだっただけで、拒否しなければ歩くだけでチラシがどんどんたまっていくのだ。
キャスト達は、炎天下の中、一枚でも配って一人でも客を捕まえなければ、と必死になっている。
きっと一枚でも配って集客が出来れば直ぐに店の中へ戻ることができるのだろうけど、どんなに美しくても、悲しいことに素通りしていく人々は多く、このミッションはアキハバラの女の子には簡単そうで大変なのだ。
ジュンと米田は行こうか渋ったが、二人にはちょっとばかし違う用事があったので、その女性に何となく手を振ってその場を去ることにした。
「ねえ、あの子とてもかわいかったわね。やっぱりアキハバラはかわいい子が多いわ。あ、ほら見て、ああいう衣装私も着てみたいわ」
ジュンが自分の服とキャストの衣装を比べながら言う。
「ジュンさんの服だって十分ステキですよ」
「今日の私はゴシックアンドロリィタ。メイドさんたちの衣装はもっと二次元的でコスプレ的なもの。でも、どっちにせよどちらも女の子がかわいいを追求して存在するファッションで、女の子が思う根本の気持ちは一緒だと思うのよね。だから可愛らしいものには何でも興味があって、自分にないものに憧れてしまうのよね」
「ジュンさんのメイド姿かぁ……そんなの、絶対の絶対に似合っちゃうんだろうなぁ……。にしても、ジュンさんがコスプレに興味があるなんて意外でしたなぁ」
「そうね、一度でいいからコスプレはやってみたいわ。でもなかなか機会がないのよね」
ジュンはコスプレのような衣装をまとったキャスト達を凝視しながら歩いていく。だが、それは許容範囲。それ以上にジュンは高身長で長髪のゴスロリファッションというポテンシャルの高さのせいで、ひと際目立っていて逆に周囲から目線を集めているほうだ。
隣の米田は周囲をあまり見ないようにして歩き続けている。注目するのは前方のみ。周囲の人と目を合わせる余裕なんてなかったので、目的地までの道をジュンと手を繋いで、ぎこちなく歩いていった。
ジュンが周囲を見るのは良くても、米田が立っている女の子たちをじろじろ見るのは、ただただ気持ち悪いだけという悲しい現実。気にしなければいいというのが楽な方法なのだが、米田は自分が不細工だと卑下しているから、自身によって構築されたイケメンと不細工の基準を比べて偏見してしまうのだ。簡単に言えば自虐的思考だ。
ある程度、人が少なくなった通りまでやってくると、いかにもという電気オタク達が、店外に並べられた部品を吟味している姿が、ちらほらと見えてきた。
そこには、メイド通りにいたかわいい女の子とかはそうそういなく、そのマニアックな通りへやってきたジュンはその場にいて少し浮いちゃっていたかもしれない。
逆に、米田はさっきより場に馴染んできたようで、物色する人たちに紛れていてもごく普通に見えてしまう。
米田が「あぁ、そうだった」と声を出した。
「そうですよぉ、そうでしたぁ。今日行く例の場所にはコスプレなんかも置いてあったはずです。ジュンさんが楽しめる場所だといいんですけどねぇ」
コスプレと聞いたジュンは小さく歓喜して言う。
「あら、それは楽しみですわ」
「場所は……、確か、このあたりだったと思うんですけどねぇ」
それから二人は五分ほど歩いた。
「あぁ、ちゃんとあってよかった……。ここですよ、ジュンさん」
米田が指を差したのは電飾のパーツ屋で、店前は電光掲示板が飾られてあったり、LED装飾がされてあったりとそこだけ異常に賑わっているようであった。でも、こんなところにコスプレなんて置いているわけがない。
ジュンは当惑して米田に訊ねた。
「ここがよねくんの言っていたお店? コスプレ衣装なんてなさそうだけど……」
「ああ、お店はこの上ですよぉ。この電飾屋の中に実はこっそり階段があるんですよぉ。そこを上っていくんですぅ」
言いながら先に中へ入っていく米田。ジュンは入るのに少々躊躇ったが、米田に手招きをされて、渋々、入ってみることにした。
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