ああ妹よ、君を泣く

黒本聖南

◆◆◆

 妹は四つ葉のクローバーを見つける名人だった。


 草むらがあると駆け寄って、汚れも気にせずしゃがみこみ、楽しそうに四つ葉を探す。

 大抵は三本、多くて五本、最低でも一本は必ず見つけ、汚れた手で私に直接渡してきた。


「姉様、約束ですよ?」

「……ええ」


 家に帰り、摘んだ四つ葉のクローバーを洗い、夜になるのを待つ。日暮れが近付いてくると、妹はいつも上機嫌になって、よく鼻歌をうたっていた。


「もうすぐですね、姉様」


 妹の笑顔が頭にこびりついて離れない。

 辺りが暗くなった頃、私達は外に出る。私の手には、使い古した箒。それに跨がると、妹も後ろに乗ってきた。背中から伝わってくる、妹の柔らかさ、温もり、私への信頼。

 ポケットに片手を突っ込む。掴んだのは、綺麗に洗った四つ葉のクローバー。──それを口の中に入れてよく噛んだ。


「美味しいですか?」


 妹は毎度そう訊ねてくるけれど、ただただ、草の味しかしない。だから返事をせずにいた。

 その内、お腹に力が漲ってきて、その力が全身に行き渡る頃、私は思いきり地を蹴る。妹が一際はしゃいだ声を出した。──私達を乗せた箒が飛び上がったからだ。

 まるで私の足、いや羽かのように、箒は私の思うままに空を駆ける。


「ありがとうございます姉様! やはり空の旅は最高ですね!」


 ぎゅうと、妹はしがみつき、心からの感謝を告げてきた。いつものこと、いつもそう、いつもいつも、いつもいつもいつも……。


「姉様──大好きです!」


 妹は飛べない人間だった。

 魔法使いの娘として生まれながら、ただの人間である父に似て、何の魔法も使えない、可哀想な子供だった。

 それでも妹は魔法への憧れが強く、私が魔法を使うたびに目をきらきらと輝かせて、もっと見せてとせがんできた。

 面倒な時もあったけれど、可哀想だし、四つ葉のクローバーを私の代わりに探してくれるから、お礼に色んな魔法を使ってみせた。

 その中でも、箒で共に空を飛んでみせるのが、妹は何よりのお気に入りだった。


「不思議ですね、四つ葉のクローバーを食べると、魔法が使えるようになるなんて」

「そうね」

「幸せの詰まった草だからですかね」


 私は返事をしなかったけれど、妹は上機嫌のまま。空を飛べることが嬉しくて堪らないらしい。


「姉様、お願いします。──ずっと私を乗せてくださいね」

「……貴女が私の代わりに、四つ葉のクローバーを集めてくれるならね」

「約束ですよ? 姉様」


 妹は約束を守り、私も守った。守ってきた。──妹が歩けなくなっても、ずっと。

 魔法使いと人間の時の流れは違う。

 母も私も少女の姿で時が止まっているのに、父は土に還り、妹はどんどん老いていった。


「姉様の、美しさが……何よりの、救い、なのです」


 自力で立ち上がることができなくなってからは、魔法でしっかり私の身体に固定させて飛んだ。母に危ないからやめなさいと言われても、構わずに。普段はか細い声しか出せない妹が、声を張り上げて拒むから。


「空も飛べないなら、死んだ方がマシです!」


 そんなことを言われては、私も断りきれない。もう四つ葉のクローバーを探せなくなっても、妹が若い頃にはさんざん世話になったんだ、乗せてあげないと可哀想だ。

 妹が望むまま、私達は空を駆る。時に吐血混じりに笑い声を上げていた妹は──もういない。

 寒さの酷い日に、眠るように彼女は逝った。

 この子が生まれたのは、暖かな春だったのにね、なんて言いながら、母は魔法を使い妹の遺体の処理をさっさと始める。土の上に直接遺体を置き、急速に還らせていくのだ。

 父の時と同じく、私はそれを見ているだけだった。

 全てが終わり、疲れ果てた母から四つ葉のクローバーの採取を頼まれる。妹が歩けなくなってからは、自分でやるようになったからもう慣れた。

 ストックしている四つ葉を口に含み、箒に跨がる。凍てついた風を背中に感じ、大袈裟なほどに身体が震えた。

 この寒さはおかしくないか。

 魔法で身体を温めてもまだ寒い。何故だろうと考えて、考えて、考えたら分かった。妹がいないからだ。

 もうどこにもいないからだ。

 私の背中を温めてくれる人間は、私の代わりに四つ葉のクローバーを集めてくれる人間は──私の妹は、もう、どこにもいない。


「……」


 老いた妹との時間の方が記憶に強く残っていそうなのに、頭にこびりついた妹は、少女の頃の、私に笑い掛けてくれた姿をしていた。

 ──妹が、可愛かった。

 可愛いから、箒に乗せてあげたんだ。可哀想だからじゃない。

 妹は私に大好きだと、何度も言ってくれたのに……私はこれまで一回も、そんなことを言ってあげなかった。


「──」


 妹の名前を呼んでも、姉様と返ってこない。

 もう二度と、そんな奇跡は起きない。


「……ぁ、ぁあ……」


 思いの外大きな声が出て、家の中から出てきた母が私を抱き締めても、私は叫び続けた。

 欲しい温もりはこれじゃないとばかりに。


◆◆◆


 妹の眠る場所に、草が生えた。

 どれもこれも四つ葉のクローバー。もう探しに行かなくて済む。妹の優しさに、また声を上げそうになる。

 採取しようと葉に触れるたび、指に、妹の温もりを感じた。


 もう一度私を呼んでほしい。

 姉様と、可愛らしいその声で。

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