第6章【2】
少しひとりになって考える時間がほしい、とロザナンドは書籍庫へ向かった。書籍庫はあまり人が来ることはなく、いつも静かな時間が流れている。考え事をするのにちょうどいい場所だ。
書籍庫の奥には、窓際にソファが設置されている。ロザナンドはよくそこで風に当たるが、今日は先客がいた。
「王太子殿下。ごきげんよう」
顔を上げて柔らかく微笑むのは、シェルの婚約者であるユスティーナだった。
「やあ、ユスティーナ。何か不便はしていないかな」
「とても快適に過ごさせていただいておりますわ」
ユスティーナはシェルにとって人質である。だからと言って牢獄に監禁するような気はロザナンドにはなく、不自由な思いをさせるつもりはなかった。
ロザナンドがソファの向かいに腰を下ろすと、ユスティーナは本を閉じる。その穏やかな微笑みは、どこかシェルに似ている気がした。
「シェルは殿下のお役に立てているでしょうか」
「よく働いてくれているよ。きみを人質に取られているんだから当然だけどね」
「シェルはそんなふうに思っていません」
「そうかな」
「はい」
ユスティーナの表情には確信がよく表れている。シェルを味方に引き入れたとき、ロザナンドは確かにユスティーナを人質にしていた。それがなければ、シェルがいまほどの働きを見せることはなかっただろう。
「シェルはもともと野心家でありますし、実力で勝ち上がって行くことに喜びを覚える性質です。殿下に認めていただきたいという一心ですわ」
「僕に認められることにそんな価値はあるかな」
「もちろんですわ。魔王陛下は明確に私を人質に取っておられますが……」
シェルを思い通りに動かすには、ユスティーナは恰好の人質だ。ユスティーナはシェルにとって弱みである。
「僕もそうだよ」
「いいえ。殿下は純粋にシェルの能力を買ってくださっています。いまのシェルは輝いておりますわ」
「それならいいんだけど。強制的に働かせていると思っていたよ」
「シェルは自分の能力を活かせることを喜んでいます。魔王陛下はあまりシェルを使おうとはお思いになられていないようですから」
ロザナンドの千里眼には、確かにシェルが反乱軍のひとりとして映し出された。いまはその未来は見えない。シェルがロザナンドを信用し、ロザナンドのために戦うと決意しているのだろう。
「もちろん任務の内容は聞いておりませんが、殿下にはシェルを使っていただけて感謝しておりますわ」
「感謝されることなんてないよ。ただ利用しているだけなんだから」
ユスティーナはまた柔らかく微笑む。それがロザナンドの本心と多少の差異を含んだ言葉であると気付いているようだった。
「人間の勇者はどこまで侵攻して来ているのでしょう」
「まだ侵攻まではいっていないよ。ただ、人間の中に勇者が生まれると、魔族は毎度、負けて来たことになる」
魔族と人間の勇者の歴史は深い。人間の勇者はたびたび生まれている。そのたびに魔王討伐を繰り返しているのだとしたら、魔族はそのたびに戦いに敗れているということだ。
「それはどうでしょう……。魔王陛下は戦いに敗れても復活することを繰り返しているとされています。現王もそうなのでしょうか」
「現王に関してはまだそれはないようだけど、現魔王には前魔王という親がいるからね」
「そうでしたね。魔族の王となると何百年と生きていらっしゃいますから、そういった伝承を信じてしましそうです」
「父は三百何歳だったっけな……。だから、退屈して勇者の出現を楽しんでいるんだよ」
「勇者の出現は百年に一度とされています。好奇心の疼くことでしょう」
人間の伝承通りに勇者が百年に一度、生まれているのなら、現魔王と勇者はいままで二度ほど戦ったことになる。だが、ロザナンドは父が戦いに敗れて封印されたという話は聞いていない。しかし、戦いに勝ったという話も聞いていない。伝承の不確定さを表しているようだった。
「だが、あの程度の能力の人間に魔王が敗れるとは思えない」
「勇者に備わる特別な力があるのでしょう? もし魔王が敗れたというのが人間の作り話だとしたら、魔族にもそう伝わっているはずですわ」
「それもそうだ。魔王が人間の勇者との戦いに敗れたのは本当のことなのかな……」
人間の勇者が百年に一度、生まれているとされているというのが人間の作り話なのであれば、そもそも戦いがなかったことになる。そうであれば、人間が勇者を信用することはないだろう。
「殿下は人間の勇者に魔王陛下が敗れることを防ごうとなさっているのですよね」
「シェルから聞いてるの?」
「詳しくは聞いておりません。シェルは任務のことは話しませんから。口が堅いのは信用していただいても問題ありませんわ」
であれば、とロザナンドは考える。人間の中に勇者が生まれたこと、魔族との戦いを始めようとしていること、その狙いが魔王であることを魔族たちは勘付いているということだ。それに対してロザナンドが手をこまねいていることはないと考えているのだろう。
「僕もどうするのが正解か、正直なところ、いまでもよくわかっていないよ」
「千里眼でも正解はお視えにならないのですか?」
「千里眼で視えるものは、いまの自分の行動で結果が変わるからね。変わらないのは過去だけだよ」
「視えたことに対して正解だと思う行動をお取りになられても、また別の未来がお視えになるのですね」
「それが厄介なところだね」
そう呟いたロザナンドは、ハッとして顔を上げた。
「初対面の人なのに愚痴をこぼしてしまったね」
「普段はそばにいない者だからこぼせるものもあります。私は光栄ですわ」
ユスティーナは穏やかに微笑む。どの表情は、どこか母に似ているような気がした。
「けれど、殿下に視えているものが未来なのだとすれば、行動
「うーん……それはそうだけど」
「未来はいまの自分の行動により、いくつもの道に枝分かれしています。そう考えると、本当の未来は誰にも視えないのでしょう」
「そうだね。それなら、いまの自分が正しいと思える行動を取るしかないってことだね」
「はい。千里眼は中途半端にヒントを与えられているようなもの……と申し上げると、大変に不敬ですが……」
「いや、そうかもしれない。どうせなら正解を教えてくれればいいのに」
「私たちにはヒントすら視えませんわ」
なるほど、とロザナンドは呟く。ロザナンドは千里眼が備わっているため、いくら中途半端であってもヒントを視ることができる。しかし、千里眼を持たない者は、自分の行動がどう未来を変えるのかわからないのだ。
「いくら中途半端といっても、ヒントがあるだけマシってことだね」
「殿下ならきっと、魔族をより良い未来へお導きくださるはずですわ」
「ありがとう。きみのおかげでシェルの株が上がったな」
「光栄ですわ」
さすがシェルの婚約者だ、とロザナンドは考える。シェルの任務の内容を知らずにこれだけの推測ができるなら、彼女もまた高い能力の持ち主なのだろう。ユスティーナも女官として働かせればきっと良い功績を残すことだろう。
* * *
ロザナンドがベッドに入ると、ヘルカは辞儀をして引き上げていく。月明かりだけが照らす中、ロザナンドは眼帯を外した。視えたのは、血に塗れる勇者たちだった。倒れる魔王を見下ろして笑うのは自分。勇者パーティはこのままでは魔王に敗れる。ロザナンドだけが魔王に勝利するのだ。勇者パーティが魔王を弱体化すれば、ロザナンドでも魔王に勝ることができるだろう。
(僕が魔族を統治すれば、三百年戦争には繋がらないはずだ)
勇者パーティの敗北はともかく、ロザナンドは、自分が魔族を率いて人間の国へ侵攻することはあり得ないと考えている。反乱の芽が自分だとしても、勇者パーティを犠牲にすることで戦争を防ぐことはできる。勇者たちの「聖なる力」がどれほどの力を持っているかはわからないが、そういった道も魔族にとっては利となる。
(あの七人には悪いけど、魔族を守ることを考えたら、それもひとつの手、ということか……)
ロザナンドはひとつ息をついて眼帯を戻す。それから、深く溜め息をついた。
(中途半端なヒント、か……。魔族はもちろんのこと、勇者パーティの命運も僕にかかっているということか)
果たして自分の行動が正しいかどうか。それは未来になってみなければわからない。そうであれば、千里眼は意味を為さない能力と成り果てるだろう。
とにかく寝よう、とロザナンドは布団を被る。考えたところで、正しい未来が視えるわけでもない。それより、さっさと寝て明日に備えたほうが有益というものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます