第6章【3】

 翌日。マダム・キリィの酒場に集まった勇者パーティは気力に満ちた表情だった。

 それを証明するように「タルヴィの森」をあっという間に攻略する。森の奥、主のパルツーダを越えた先に隠されていたのは剣だった。それはエリアスにお誂え向きの武器で、能力値が大幅に上がることは間違いないだろう。

「試してみてもいいか?」

 新しい武器を気に入った様子で、剣を構えるエリアスの表情は輝いていた。ロザナンドの能力が高いからこそ、武器の威力がよくわかるというものだ。

「エリアス!」ロレッタが声を上げる。「殿下は訓練の人形ではないのよ!」

「別にいいよ。僕もきみたちの能力を知りたいし」

「……殿下がそう仰るなら……」

 ロレッタのどこまでも真面目なところに感心しつつ、ロザナンドはエリアスに向き直った。エリアスは意識を研ぎ澄ませ、一気に地を蹴る。振りかざした剣を淡い光が包み込んだ。しかしその切っ先はロザナンドに届くことはなく、ロザナンドは軽く手を振ってその攻撃を受け流した。バランスを取り直したエリアスは、不満げに眉根を寄せる。

「本当にちっとも効かないな」

「俺たちはまだ鍛錬が足りないみたいだな」バルバナーシュが言う。「これでは魔王には到底、敵わない」

「魔王のもとへ行く前にそれに気付けたのだから」と、ロレッタ。「殿下には感謝するべきよ」

「僕を倒すつもりでかかって来てくれないと。いずれ戦うことになるかもしれないんだから」

 ロザナンドに手加減するつもりはない。新しい武具でロザナンドを倒せなければ、魔王には到底、届かないのだ。

「あたしたちの味方をしてくれるんじゃなかったの?」

 不満げなフローラに、ロザナンドは小さく肩をすくめた。

「味方するとは言っていない。きみたちの力を利用するだけだよ」

「殿下が一番、魔王を討伐したいのではないか」バルバナーシュが言う。「魔王を裏切るのだろう」

「失礼な言い方をしないで」と、ロレッタ。「きっと殿下には何かお考えがあるのでしょう」

 ロレッタは聡明な勇者だ、とロザナンドは考える。物事を一方的な視点で見ることはない。人間の勇者でさえなければ、宮廷に召し上げたところだ。

 そのとき、ロザナンドは左目に強烈な痛みを覚えた。この感覚は、宮廷で異常事態が起こったことを報せるものだ。

「ユトリロ、宮廷で何か起こったのかもしれない」

「は。すぐに戻りましょう」

「そういうことだ。きみたちはあとは自分たちでどうにかしてくれ」

 早口にそう捲し立て、ロザナンドは自分とユトリロに転移魔法をかける。

 いま、魔王を刺激されるのは危険だ。魔王は冷徹で残酷。人間がなんらかの干渉を魔族に与えたのだとしたら、逼迫した状況にあるのかもしれない。


 宮廷に降り立ったロザナンドとユトリロのもとに、アニタが駆け寄って来た。

「殿下、お待ちしておりました」

「何が起きた?」

「人間の勇者を名乗る者が現れたのです」

 また面倒なことが起きたものだ、とロザナンドは舌を打つ。人間の勇者として認められたのはロレッタ・カルロッテ。彼女以外の勇者が存在するはずがないのだ。

 アニタが先を走り出し、三人は王座の間に向かう。ドアを開いた先で目に入ったのは、ゆったりと王座に腰掛ける魔王に対峙する剣士と、ふたりの魔導士だった。

「あれは、ユリ・クレメッティ……!」

 ユトリロが忌々しげに呟く。勇者選抜でロレッタと競り合った相手だ。

「勇者様、いまが好機です。魔王を討伐して平和を取り戻しましょう」

 それは、千里眼が見せた夢で響いていた声だった。ユリ・クレメッティは応えないが、その手に握られた剣の切っ先は確かに魔王を捉えていた。

 魔王が重く溜め息を落とす。

「これが人間の勇者なのか。聞いていた話と違うようだが」

「ユリ・クレメッティは勇者に選ばれなかった者です」ロザナンドは言う。「そこにいる魔導士が操っているだけのこと。この魔導士が人間ではないことは、父上ならすでにお気付きのことかと思います」

 ふたりの魔導士が放つ気配は、人間のものではない。それは魔王も感じ取っているだろう。

 ラーシュ、ニクラス、ディーサが王座の間に駆け込んで来る。アニタが呼んでいたのだろう。三人はそれぞれの武器を手に、鋭い視線でユリ・クレメッティを見据えた。その気配に気付き、まるで油の切れた操り人形のようにユリ・クレメッティが振り向く。その瞳は生気を失っていた。

 ユリ・クレメッティが地を蹴ると同時にディーサが杖を振り上げる。光の槍を跳躍で躱したユリ・クレメッティにラーシュの鋭い切っ先が迫った。ユリ・クレメッティが剣の腹でそれを受け流すと、その隙を見逃さないニクラスの追撃が敵を捉えた。しかし、魔術師の火球がニクラスの足を止める。魔術師の注視がニクラスに向かった瞬間、ディーサが杖を振りかざす。光の槍がふたりの魔術師を貫いた。途端、ユリ・クレメッティは操り糸が切れたように倒れ込み、魔術師は空気が抜けたようにローブが萎む。カツン、と軽い音を立てたのは、床に落ちたふたつの魔石。魔術師は傀儡だったのだ。

 魔王が重々しく溜め息を落とす。

「どうなっている。勇者のことは一任して来たが、上手くやっているのか」

「すべて順調です」ロザナンドは言った。「最後まで僕に任せてください」

「人間は随分と好戦的のようだな。いずれ我が民に被害が出るのではないか?」

「それを防ぐために、僕の千里眼と彼らの力を使っています。結果を待ってください」

 ふむ、と顎を撫でた魔王が、また小さく息をつく。

「あと一週間だ。一週間が経っても解決しなければ、人間の国に攻め込む。いいな」

「一週間もあれば充分です」

 肩をすくめたロザナンドは、ディーサとアニタを振り向いた。

「ディーサ、魔石それを調べてくれ。アニタは人間の動向を探ってくれ」

「ええ、いいわ」

「承知いたしました」

 ここでユリ・クレメッティを利用することは、ロザナンドも予想外だった。千里眼で視ていれば予測できただろうが、勇者選抜で落ちたユリ・クレメッティは、気に掛けてすらいなかった。ユリ・クレメッティも勇者選抜で最後まで残っため、勇者の力は充分にあっただろう。しかし、わざわざ操ってまで魔王に嗾けて来るとは、人間はあまりに卑劣で愚かだと言わざるを得ない。人間はそうすることでしか魔族に勝てないという証明だった。

 問いたげな魔王の視線を断ち切るように、ロザナンドとユトリロは王座の間をあとにする。これ以上の説明は不要だ。

「七人分の武具があるなら、あと五つ」ユトリロが言う。「あと一週間もあれば充分ですね」

「そうだね。だが、急いだほうがいい」

「はい。ですが、その先はどうなさるおつもりですか? 魔王陛下を滅ぼすおつもりですか?」

「それはきみが考える必要はないよ。僕に任せておいてくれ」

「は。出過ぎた真似をしました」

 頭を下げるユトリロに、ロザナンドは薄く笑って見せた。

 ロザナンドの自室の前でユトリロは下がって行く。生真面目な騎士はどこまでも従順である。

 ソファにどかっと腰を下ろすと、ロザナンドは眼帯を外す。瞼の裏に浮かんだものは、またこれまでの映像とは違うものだった。

『――嘘つき』

 涙を流して呟くロレッタが、血塗れで佇んでいる。その足元に、自分が倒れているのが見えた。

『約束を破るのですね。魔族なんて……人間の敵でしかない……。私たちは生贄なんかじゃない。もう魔族なんて信じない。すべて滅ぼす……人間の未来のために』

 譫言のような機械的な声。あのロレッタ・カルロッテの声とは思えなかった。

(……また未来が変わった。最悪な結末だ)

 魔王が本当に一週間を待てるか、甚だ疑問だ。もしかしたら、魔王が約束の期間より前に痺れを切らせるのかもしれない。

(仲間たちに任せよう。彼らならどうにかしてくれる)

 らしくない、と小さく息をつく。

 ――仲間? 本当にそうなの?

 頭の中で声が木霊する。忌々しさに眉をひそめた。

 ――誰のことも信用していないんでしょう?

(うるさい。黙っていてくれ。出て来るな)

 ――本当は仲間だなんて思っていないんでしょう? 利用価値があるというだけでしょう?

(うるさい。何も喋るな。引っ込んでいてくれ)

 ――だって、僕は……――

 コンコンコン、と控えめなノックで顔を上げる。眼帯をもとに戻しつつ、どうぞ、と応えた。顔を覗かせたのはヘルカだった。

「殿下、なんだかお顔色が悪いですわ。どうかなさいましたか?」

「何もないよ」

「お疲れではありませんか? ここのところ、お休みなしで動いていらっしゃいますから……」

 疲れているのは確かだ。ヘルカの言う通り、顔色が悪くなっていてもおかしくはない。ひと息つく暇すらないのも確かである。

「大丈夫。すべて終われば休めるんだから」

「あと一週間もありますのに……」

「違う。あと一週間しかないんだ」

 魔王がそれまで大人しくしているとも限らない。休もうと思えば休めるが、そのあいだに魔王がどんな行動に出るかわからない。魔王の行動ひとつで、魔族の運命が変わるかもしれない。そう考えると、休んでいる暇はなかった。





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