第1章【2】

 突如として肌がピリと痺れるので、ベアトリスは前方に視線を遣った。建物の向こうにゾンビの姿が見える。崩れた顔面に埋もれる落ち窪んだ目は虚で、千鳥足でうろついている。その数は三。

「お出ましよ」ベアトリスは言った。「手本を見せてあげるわ。しっかり目に焼き付けなさい」

 制止しようとするニーラントの手を躱し、ベアトリスは家屋の陰から飛び出した。一体の背後に回り、足でバランスを取りライフルを構える。撃ち放った銃弾が、ゾンビの頭部を吹き飛ばした。その音で振り向いたもう一体がベアトリスを視認するより先に再びトリガーを引く。残りの一体はベアトリスに向かって走り出していたが、銃弾が脳天を貫くほうが早かった。倒れた三体のゾンビは、体が崩れ塵となり風に乗って消えた。

 ついでに、と弾を再装填させることを思い描くと、体は勝手にリロード行動を取る。どうやらゲームのシステムが働いているようだ。

「こんなものかしら。クリティカルが出たわね」

 ベアトリスが振り向くと、ニーラントは複雑な表情をしている。驚きと恐怖と賞賛が混ざり合ったような色だ。

「なぜそんなに手慣れているのですか?」

「私はありとあらゆるサバイバルホラーゲームをプレイして来たのよ。これくらい朝飯前ってとこかしら」

「それは物語の話ですよね。現実で銃を扱ったことはないはずでは……」

「体が勝手に動いたわ。ゲームの抑制力ね」

 本来、ベアトリスは銃を用いて戦うことはない。彼女がゲーム通りに動くとすれば、単独でゾンビとの戦闘に勝つことはできないだろう。それも、おそらく転生者だからだと思われる。ゲームの抑制力がベアトリスに味方しているのだ。

「ゾンビは頭を狙えば簡単に倒せるわ」ベアトリスは言う。「ありがたいことに、エイムアシストが効いているみたい。これならあなたでもクリティカルヒットが出しやすいわ」

「…………」

 ニーラントは言葉を失う。ベアトリスが本当にソンビを倒せるとは思っていなかったのだろう。ベアトリス自身も半信半疑の状態ではあったが、これで先に進めそうだ。

「エイムアシスト、というのは……?」

「照準を合わせる動作の補助よ。ゾンビの頭に照準が合いやすいの」

「クリティカルヒット、というのは……?」

「会心の一撃ね。通常より大きなダメージを与えられるわ」

「……なるほど……」

 ニーラントは顔をしかめる。事態に頭がついていかないのだろう。

「たぶん、いまはチュートリアル中ね。あなたも練習するといいわ」

「…………」

「チュートリアルというのは、物語の導入で行われる操作説明と練習よ。普通、チュートリアル中はハンドガンくらいしか使えないけど、ライフルがあったのはついてたわね」

 そういえば、とベアトリスは考える。ゲームの中でニーラントはどうしていたか、と。よくよく思い出してみると、ベアトリスはひとりで王子の討伐隊に参加していたような気がする。ニーラントの登場機会はほとんどなかったように思う。もしかしたら、ニーラントというイレギュラーな存在が、チュートリアル中には使えないライフルを引き寄せたのかもしれない。そう考えると、ニーラントを連れて出たことでゲームのシナリオ通りにいかないことが出てくる可能性もある。ひいては、ベアトリスの運命を変えることもあり得るのだろうか。

 ベアトリスはそこで考えるのをやめた。自分の運命がどうなろうが、それはいま考えることではない。いまやるべきことは、無事に王子の討伐隊と合流することだ。

「ニール。あなた、銃の心得は?」

「ある程度は……」

「それなら、実戦あるのみね。次に現れたら倒してみなさい」

「はあ……。私でも倒せるのでしょうか」

「そうね……。エイムアシストがあると言っても、クリティカルヒットを出すのはまだ難しいでしょうね。頭を狙うのが難しければ、体にひたすら撃ち込めばいいわ」

「……わかりました」

 ニーラントはまだ不安そうな表情をしている。だが、ゾンビを倒すことができるのはベアトリスが証明できたはず。遠距離戦が可能な銃を扱うことができればこちらのものだ。

「……お嬢様。ひとつ気になったことが」

 ニーラントが神妙な面持ちで言うので、ベアトリスは首を傾げた。

「なにかしら」

「ヒロインという子が主人公なんですよね。ということは、その主人公がゾンビと戦うということですか?」

「そうね。光の魔法で戦うわ」

「エイムアシストやクリティカルヒットは、光の魔法にも関わってくるものなのですか?」

「いいえ、銃で戦うときにのみ発揮する効果よ。……ああ。光の魔法を持つヒロインが主人公なのに、エイムアシストやクリティカルヒットがなんのために存在しているのかってこと?」

「はい」

「それは私も思ったんだけど、たぶん私のスキルなんだと思うわ」

 エイムアシストやクリティカルヒットは、サバイバルホラーゲームにおいて重要なシステムだ。ゲームでは、照準を自分で合わせる必要がある。そうしなければクリティカルヒットは出ない。それを苦手とするプレイヤーもいるだろう。だが、エイムアシストを実装しているサバイバルホラーゲームはあまりない。この「ラブサバイバル〜暁の乙女〜」にも実装されていなかったはずだ。このゲームで操作するのは主人公であるヒロインで、そのヒロインが銃で戦うことはない。エイムアシストもクリティカルヒットも必要ないのだ。前世でのラノベ知識から導き出される結論は、エイムアシストとクリティカルヒットはベアトリスに与えられた「チートスキル」である、ということだ。

「スキル……ですか。ということは、私が戦う際にはないってことですよね」

「どうかしら。ニーラントが同行者として主人公側にカウントされているなら、効果を発揮するかもしれないわ」

「はあ……そういうものですか」

 ニーラントは不思議そうにしながらも頷く。

 スキルは通常、その者が持つ魔法の力に付随するものだ。ベアトリスも魔法は多少なりとも使えるが、エイムアシストやクリティカルヒットに繋がるような魔法はない。であれば、転生ものでよく見られる「チートスキル」で間違いないだろう。この先、ゾンビと戦って行く中で非常に役立つスキルである。


 警戒しながら進んで行くと、空がずっと暗いため時間の感覚がずれそうになる。ベアトリスは度々、懐中時計を確認した。いまは昼前。旅路は順調と言える。

 ややあって、低い唸り声が聞こえてきた。瓦礫の陰から向こう側を覗き込むと、二体のゾンビがうろついている。

「ニール、失敗したら援護するからやってみなさい。ここに隠れたままでいいわ」

「わかりました」

 ニーラントは瓦礫から半身だけ乗り出し、ゾンビに向けて発砲した。ベアトリスは反対側から覗き込む。一発目はゾンビの肩に当たり、落ち窪んだ眼がこちらを捉えた。

「続けなさい」

 一瞬だけ怯んだニーラントにそう言い、ベアトリスもライフルを構える。ニーラントはさらに三発を撃ち込み一体を倒し、続けざまに連発してもう一体を撃破した。ゾンビの体が崩れていくと、ニーラントは安堵の息をついた。

「よくやったわね」

「手が震えます……」

「エイムアシストが活きてるわ。ハンドガンで三発……難易度はノーマルってとこかしら。ハードだったらどうしようかと思ってたわ」

 ゲームの抑制力が味方しているとは言え、ハードモードでは自力で進めていたかわからない。プレイヤーだったときは最高難易度のナイトメアモードでプレイしていたこともあるが、実際に自分が戦うとなるとノーマルモードであることはありがたい。欲を言えばイージーモードだったらもっとありがたかった。

「弾を無駄にしてしまいましたね」

 申し訳なさそうに言うニーラントに、ベアトリスは肩をすくめて見せる。

「問題ないわ。弾はゾンビが落とすし、その辺にいくらでも落ちているはずよ」

 ベアトリスはゾンビが崩れた場所に行くと、思っていた通りに落ちていたハンドガンの弾薬の箱を拾い、ほら、とニーラントに見せた。

「いくらでも補充できるから安心して撃つといいわ」

「……なぜかと訊くのは野暮なんでしょうね……」

 ニーラントはまた顔をしかめる。もうそれが標準の顔になってしまったのではないかとベアトリスは思った。

「弾の補充ができなかったら、ゾンビを倒せないじゃない。あとは、そうね……ガンパウダーやハーブなんかも落ちてるはずよ。銃の部品が手に入ることもあるかもしれないわね」

 ニーラントは、もう何も言えない、と言うように項垂れる。もしベアトリスがニーラントの立場であったなら、同じような顔をしたことだろう。ゾンビが弾薬を落とす、などということはシステムを知らなければ謎に包まれる事象だ。

「とにかく、これであなたも倒し方がわかったでしょう?」

「まあ、なんとなくは……。弾は気にせず使ってしまってもいいという認識でよろしいですか?」

「ええ。思う存分に撃ちなさい」

「承知しました」

 弾薬の残数を気にしながら戦ったのでは焦りが生じるかもしれない。ゾンビには決まった数を撃ち込まなければならず、弾薬を節約しようと思うと戦い方を考えなくてはならない。ナイフ一本でこの世界を生き抜くのは、ベアトリスでもさすがに不可能だろう。

 周囲を警戒しつつ、着実に進んで行く。ゾンビが現れる頻度はさほど多くないが、ニーラントは張り詰めた表情をしていた。横に居て緊張感が伝わって来る。ベアトリスは頭の中で「ラブサバ」のシナリオを思い浮かべていた。

 王子の討伐隊は、序盤でゾンビに囲まれてしまう。そこでヒロインが初めて光の魔法を発動させるのだ。そのとき、攻略対象の好感度が上がる。攻略対象は四人。王子と騎士は必ず出会うが、他のふたりは城もしくは街で出会わなければそれで終わる。初見プレイでは王子と騎士の他のふたりの攻略対象を見逃しがちだ。

 瓦礫から向こう側を覗き込むと、一体のゾンビの背中が見えた。これは、とベアトリスはニーラントを振り向く。

「ここで待っていて。ステルスキルを見せてあげるわ」

「え?」

 怪訝そうなニーラントには応えず、ベアトリスは足音を潜めてゾンビに近付いて行く。手が届いたその瞬間、ナイフをゾンビの頸に突き立てた。ぎゃあ、と短い断末魔を上げて倒れ、ゾンビは塵となって消えて行った。

 ベアトリスが手で合図すると、ニーラントは警戒したまま彼女に歩み寄る。

「いまのがステルスキルよ」

「つまり、背後からの奇襲ということですか」

「そうね。ゾンビに気付かれていないときだけ使える技よ。こうすれば弾薬の節約にもなるわ。ただ、ナイフがないと使えない技だから、いまのあなたにはできないわね」

「そうですか……」

 このゲームでは、基本的にヒロインを操作するのでプレイヤーができるのは光の魔法を使う選択のみだ。直接的にゾンビと戦うことはないため、ステルスキルも実装されていない。これもベアトリスのチートスキルだろう。

 このゲームは乙女ゲームの要素に重きを置かれているため、ホラーゲームとしての要素は薄い。銃やナイフで戦うのは攻略対象のみで、攻略対象を操作することはない。現在、ヒロインはオープニングを終えた頃だと思われる。ヒロインがいないため、ベアトリスにとっては乙女ゲームの要素がほとんどない。もしホラーゲームの知識がなければ、こうしてセーフハウスの外で戦い抜くことはできなかっただろう。実装されていないはずのスキルを使えることは、ベアトリスにとって僥倖であった。

「お嬢様、返り血が……!」

 ニーラントが焦りをはらんだ声で言うので、ああ、とベアトリスは自分の服を見る。

「大丈夫。放っておけば消えるわ」

 ベアトリスが言うが早いか、彼女の青いワンピースを染めていたゾンビの血はあっという間に消えていった。

「…………」

「ゲームの抑制力ね」

「……お嬢様、ここは現実です」

 息をつきながら言うニーラントに、ベアトリスは真剣に頷く。

「もちろん。ゲームのシステムがあるのは、私が存在している影響と思われるわ」

「ゲームのシステムとやらがなんなのかはわかりませんが、これは現実で、お嬢様も死ぬ可能性があるんです」

「そうね。もしこれがただのゲームの世界で、私もただのキャラクターだったとしたら、民を救いわいとは思わなかったわ。こうしてあなたとふたりで教会を出ることもなかったでしょうね」

「物語を知っているなら、この先どうなるかもご存知ということですよね?」

「ええ。ヒロインの物語は知ってるわ」

「それなら、お嬢様が危険を冒さずともいいのではありませんか?」

 ニーラントの言うことはもっともだ。ベアトリスはただの悪役令嬢で、ベアトリスがいなくてもヒロインと攻略対象はゾンビに勝利する。ホラーゲームとしては難易度が低いため、ホラゲ初心者でもクリアしやすい優しい設計となっている。ベアトリスが手助けに行かずとも、ヒロインと攻略対象はこの街を救うことだろう。

「私には知識と情報があるわ。ヒロインと攻略対象にはそれがない。であれば、この知識を役に立てるべきではないかしら。私がいれば、犠牲者を出さずに済むわ」

「……犠牲者が出るのですか」

「知識も情報もなく戦えばそうなるのは当然よ。ヒロインが光の魔法を使いこなすまでにも時間がかかるわ。私の知識と情報は、尊い命を守ることができるの」

 このゲームでは、いわゆるモブキャラが多く死ぬ。ホラーゲームでもモブキャラの死は必ずあることだ。だが、この世界に生きるひとりの人間になったいま、ベアトリスにとってモブキャラたちも同じ命である。失われれば悲しむ者がいるのだ。だから、ひとりとして犠牲を出したくない。

「ですが……お嬢様が戦いに出れば、お嬢様が死ぬ確率も上がるのではありませんか?」

「……そうかもしれないわね。だけど、自分可愛さのために戦いから逃げるのは卑怯よ」

「…………」

 ニーラントは顔をしかめる。彼がベアトリスを案じていることはわかるが、この世界において悪役令嬢の破滅はさほど重要ではない。もしその死が必要不可欠であるなら、大事な人を悲しませることにはなるが、ベアトリスは命を捧げるつもりでいる。できれば生きて父母のもとへ帰りたいが、民を救うために必要であるなら、自分の死も致し方ないことだと割り切るしかない。

「まあ、いま考えることではないわ。とにかく進みましょう」

「……はい」

 物語はまだ始まったばかり。ベアトリスが死ぬか生きるかは、現時点ではわからないことだ。

 道中に現れるゾンビの数はさほど多くなく、一度に三体程度だ。ベアトリスはライフルとステルスキルを駆使して次々と倒し、ニーラントはその後ろで援護する。まだチュートリアル中であると思われるため、あまり苦戦はしなかった。

 ややあって、瓦礫から向こう側を覗き込んだベアトリスは、手振りでニーラントに足を止めさせた。反対側から前方を見遣って、ニーラントは顔をしかめる。

「あのゾンビ、斧を持ってるじゃないですか」

「たまに知恵のある個体がいるのよね。でも倒し方は変わらないわ。ステルスキルでは倒せないから気を付けるのよ」

 ベアトリスが瓦礫の陰から半身を出してライフルを放つと、それはゾンビの頭に直撃するが頬を少し削っただけだった。その一撃で敵に気付き、ゾンビが近付いて来る。

「武器を持ったゾンビはヘッドショットでも一発では倒せないわ。覚えておきなさい」

「はあ……」

 冷静なベアトリスに、ニーラントはもう驚くのをやめたらしい。いちいち驚いていては身が持たないと気付いたのだろう。気のない返事をしつつ、ハンドガンを構えた。

「スナイパーライフルがあったら楽だったのにね」

 そうぼやきながら、ベアトリスは三発の銃弾を撃ち込む。ニーラントの援護射撃も受け、ゾンビは振り上げた斧がベアトリスに届くより先に地面に倒れた。さらさらと崩れていくゾンビの体を見下ろし、ベアトリスは顎に手を当てる。

「チュートリアルはこれで終わりみたいね。この先は厳しい戦いになるから、覚悟が必要よ」

「具体的には何が変わるんですか?」

「ゾンビの数が増えるわ。少し歩いたら出て来ると思っておいたほうがいいわね。弾の補充も忘れないようにするのよ」

「承知しました」

 チュートリアル中の戦闘はイベント戦のようなもので、負けることは滅多にない。だが、チュートリアルが終われば本当の戦いが始まる。攻撃を受ければ傷付くし、深手を負えば死ぬ。文字通り命を懸けた戦いが幕を開けるのだ。

 とは言え、ベアトリスはそう簡単に死ぬつもりはない。死が避けられないことであるなら、せめて命を誰かの役に立てたい。悪役令嬢の役割を全うしたいと思っている。

「セーフハウスだわ」

 斧を持っていたゾンビが背にしていた建物を見てベアトリスは言った。普通の一戸建ての家屋で、多少なりとも損傷はしているもの、隠れ場所としては充分と言えるだろう。

 セーフハウスの中に民の姿はなかった。ただの民家に見えるため、誰も逃げ込まなかったのだろう。建物内に入ると、ニーラントが深く息をついた。

「やっと安全地帯ですか」

「ええ、お疲れ様」ベアトリスは時計を見遣る。「まだもうひとつ先のセーフハウスまで進めそうね」

「まだ戦わなくちゃならないのですか……」

「なに言ってるの。元凶を滅ぼすまで戦いは続くわよ」

「まあ、そうですが……」

 ニーラントはベアトリスの数倍も多く疲労を溜めているようだが、いま手元に回復薬はない。これまでの道のりはチュートリアル中だったため、ハーブも入手できなかった。これ以上は先へ進むのが難しいのかもしれない、とベアトリスは顎に手を当てる。

「……お嬢様。私なら大丈夫です」

 その声にベアトリスが顔を上げると、ニーラントは真剣な眼差しを彼女に向けている。ベアトリスが考えていることは、ニーラントにはお見通しだったようだ。

「本当に? この先はゾンビも増えるわよ?」

「私の体力を甘く見ないでください。それより、お嬢様は平気なのですか? かなりグロテスクに思えますが……」

「私は慣れてるもの。あなたこそ平気?」

「怪物だと思えば、なんとか……」

 ニーラントの言う通り、ゾンビの撃破は血飛沫が上がるためグロテスクだ。ゲームで慣れているとは言え、実際に目の前で頭部が吹き飛ぶ様は気分の良いものではない。ベアトリスが普通の令嬢であったなら卒倒する光景だろう。ゲームのベアトリスが戦闘中にどうしているかは描かれていなかったが、おそらく目と耳の両方を塞いでいるのではないだろうか。ヒロインは特に怯えていなかったが、それもおそらくゲームのご都合主義的な描写だったのだろう。ごく一般的な令嬢である彼女たちが、このグロさに耐えられるわけがないのだ。

「無理しなくていいのよ。私はひとりでも平気だから」

「いえ、お嬢様をひとりにするわけには参りません」

 ニーラントは力強く言うが、ゾンビ戦はおろか戦闘経験すらない彼には生きた心地のしない体験だろう。

「……私が記憶を取り戻さなければ、あなたはこんな恐ろしい目に遭わずに済んだのにね」

 ニーラントはベアトリスに巻き込まれたに過ぎない。ベアトリスが教会をでなければ、ゾンビ戦に駆り出されることなどなかったはずだ。王子の討伐隊にベアトリスが参加したとき、ニーラントはそばにいなかった。おそらくベアトリスの父母について教会にいたのだろう。

「それはそうかもしれませんが、もし記憶を取り戻さなければ、お嬢様はゾンビになって射殺されていたんですよね」

「そうね。悪役令嬢の役割を全うしていたと思うわ」

「そうなるくらいなら、ゾンビと戦うほうがマシです」

 思わぬ言葉に、ベアトリスは目を丸くした。ベアトリスの破滅より自分が命を懸けるほうがいい、ということだ。

 だが、とベアトリスは思考を巡らせる。ゲームの中では、ニーラントはベアトリスを良く思っていなかったはずだ。なにせ悪役令嬢だ。使用人から嫌われていてもおかしくはない。そんな自分にかけられる言葉としては、不釣り合いに思えた。

「ありがとう、ニール。ふたりでなんとか生き延びましょう」

「はい。精一杯、務めさせていただきます」

 力強く頷くニーラントに、ベアトリスは優しく微笑んで見せた。





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