サバイバルホラー乙女ゲームの悪役令嬢に転生したのでホラゲ知識で無双します

加賀谷 依胡

第1章【1】

 夕食を終え湯浴みを済ませると、ベアトリスはいつも自室で読書に耽る。窓を少し開けておけば、心地良い風がカーテンを揺らす。涼やかな空気の中、物語に没頭するのが心を穏やかにしてくれるのだ。

 しかし、この夜はいつもと違った。

 窓の外から爆発音が響いた。不穏な風が部屋に吹き込む。遠くのほうで、人々の悲鳴と怒号が聞こえた。街で何かが起きている。ここからでは確認することができない。

「化け物だ! みんな、逃げろ!」

 部屋の外から聞こえた声に、ベアトリスはゾッと背筋が凍った。非常事態の気配がする。屋敷内が一気に騒がしくなった。

 街のあちらこちらから火の手が上がる。非常事態に手が震えた。

(まさか、他国からの侵攻……?)

 平和そのものであった街が、まるで戦場と化しているようだった。この街が戦乱に巻き込まれるほど外交が悪化しているとは聞いていない。一体、何が起こっているのだろうか。

「ビビ!」

 部屋のドアが乱暴に開け放たれた。真っ青な顔をした母が、ベアトリスの腕を強く引く。

「お母様、何があったの?」

「話はあとよ! とにかく逃げるの!」

 これほど取り乱した母は見たことがない。それだけの事態が起こっていると考えると、恐怖で心臓が悪魔に鷲掴みされるようだった。

「奥様! お嬢様!」

 ベアトリス付きの従者ニーラントが駆け寄って来る。その瞬間、ベアトリスの中に奇妙な感覚が湧いた。

(この光景……見たことがある……)

 その瞬間、ベアトリスの意識は闇に引き摺り込まれるように遠くなっていった。



   *  *  *



 美しい金髪の青年が、こちらを見遣って優しく微笑む。桃色の花びらとともに風が吹き抜けると、ピンクブロンドの少女が跳ねるように駆けて行った。その向こうで、茶髪の青年がそばかすだらけの顔に明るい笑みを浮かべ、こちらに手を差し出す。少女が手を伸ばしたところで、空色の花びらが風に乗って舞い上がった。少女がバランスを崩して立ち止まると、赤毛を後頭部で結んだ長身の青年が少女に手を伸ばす。金色の花びらに乗って青年の姿は掻き消えた。赤色の花びらの中に、気難しい表情の青年が映し出されると、少女は空を仰ぐ。心を軽やかにする晴れ渡った空。少女は希望に胸を高鳴らせていた。



   *  *  *



 ベアトリス・セランは、普通の侯爵令嬢だった。

 上流階級の貴族として高度な教育を受け、いずれ婿を取り街を統治するため治政を学び、礼儀作法やマナーを叩き込まれる毎日。貴族の淑女として忙しい日々を送っていた。

 少なくとも、数時間前までは。

「お嬢様、お目覚めになられましたか」

 従者のニーラントがベアトリスの顔を覗き込む。濃い青色の瞳に、ベアトリスを案ずる色を湛えている。その表情に、ベアトリスは自分が気を失っていたのだと思い出した。

「ここなら化け物も入って来ないはずです」

「化け物……」

 気を失う前のことが、ぼんやりと頭の中に浮かぶ。

 母が真っ青な顔でベアトリスの部屋に飛び込んで来たのは、日課の読書のときだった。母に手を引かれて廊下に出れば、異形の怪物が屋敷に次々と侵入して来ていた。両親とニーラント、使用人たちとともに屋敷を飛び出し、この教会に避難したのだ。教会には他の民の姿もあり、みな恐怖に打ち震えている。

「特徴からして、ゾンビではないかと思われます」

 街は突如として現れた異形の怪物――ゾンビで溢れ返っている。生き残った民は散り散りに避難し、いまもどこかで助けを待っていることだろう。

 外からはゾンビの唸り声が聞こえて来る。窓を叩く音が教会内に響き渡っていた。息を呑む者もいれば、啜り泣く者もいる。異常な事態に、民は神経を擦り減らしていた。

「お嬢様、教会の者が着替えを用意してくれました」

 ニーラントの言葉で、自分が寝間着のまま飛び出して来たことを思い出す。湯浴みを終えたあとだったため、すでに寝間着に着替えていたのだ。ほとんどの民も同じだが、上に立つ貴族として寝間着姿で居続けることは避けたい。ベアトリスはその厚意を受け取ることにして、教会の奥に入った。

 教会に逃げ込んだ民は五十人ほどと思われる。散り散りに避難した他の民がどこでどうしているかはわからないが、被害者が少ないことを祈らずにはいられなかった。

「……おかしいわ」

 着替えから戻ったベアトリスは、母の呟く声に顔を上げる。母は窓から空を見上げ、それから懐中時計を取り出した。

「もう六時なのに、夜が明けないなんて……」

 空は暗闇が広がっている。ベアトリスも時計を取り出して確認すると、母の言う通り朝の六時を差していた。とっくに夜は明けているはずだ。

 そのとき、ベアトリスの脳裏に何かが浮かんだ。

 ――ゾンビの出現、明けない夜……。

「お嬢様、どうなさいましたか?」

 ニーラントが腰を屈めてベアトリスを覗き込む。彼を見上げたベアトリスの脳裏に、ザッと砂嵐が横切った。

「……私、この状況を知っている……」

「え?」

「……ニール、こっちに来なさい」

「え……あ、はい」

 突然に手を引くベアトリスに、ニーラントは不思議そうについて来る。先ほど着替えのために借りた一室に入ると、他の者の姿はなかった。

 ベアトリスは眼前に広がるこの光景をよく知っている。彼女の頭の中に、ある確信が生まれていた。

 それは、自分がある世界に転生した、ということである。ここは、サバイバルホラー乙女ゲーム「ラブサバイバル〜暁の乙女〜」の世界だ。

 ベアトリスの前世は、普通のごく一般的な会社員だった。ただ淡々と仕事をこなし、無為な日々を気怠く過ごす。そんな中、家に帰ってホラーゲームと乙女ゲームをプレイすることが唯一の楽しみだった。この「ラブサバイバル〜暁の乙女〜」ももちろんプレイしており、好きなゲームのトップ3に入るほど気に入っている。

「お嬢様、どうなさいましたか?」

 ニーラントが案ずるように問いかける。ベアトリスは、ひとつ息をついて彼を振り向いた。

「頭がおかしくなったと思うのは仕方ないけれど、私の話を流さずに聞いてちょうだい」

 ニーラントは怪訝な表情で首を傾げる。

「私は、ゲームの世界に転生して来たの」

「……え……」

 ニーラントは驚いたように目を丸くしたあと、また眉根を寄せる。恐怖で頭がおかしくなったと思っているのかもしれないが、ベアトリスにとってそれは事実である。

「ゲーム、というのは……」

「わかりやすく言うと物語ね。この世界は、ゾンビが蔓延はびこるサバイバルホラー乙女ゲームの世界よ」

 確信とともに言うベアトリスに、ニーラントは複雑な表情で口を噤んだ。なんと言ったものかと決め兼ねているようだった。詳しく説明してやる必要があるだろう。

「サバイバルホラーというのは、ゾンビを倒して目的を果たすゲームよ。それから乙女ゲームというのは、主人公の女の子が攻略対象の男の子と恋をするゲームってところかしら」

 この「ラブサバイバル〜暁の乙女〜」の世界は、ゾンビが蔓延はびこる中で攻略対象の好感度を上げていくゲームだ。サバイバルホラーゲームとしては難易度が低く、乙女ゲームの要素に重きが置かれている。乙女ゲームを主に作っている企業が出した物で、サバイバルホラーゲームとしては完成度が少々低いと言える物かもしれない。

「ここが物語の中の世界ということですか?」

「私にとってはそうね。この世界は、ゾンビを倒しながら男の子との恋を成就させることを目的とした物語の中ってこと」

 ニーラントは、いよいよわけがわからない、といった様子で顔をしかめる。それは当然だろう。ニーラントにとってはここが現実世界で、その中で生きるひとりの人間なのだから。ベアトリスの言うことは、彼にとっては荒唐無稽な作り話のように感じられるかもしれない。

「お嬢様は、物語の中に入り込んだ、ということですか?」

「それは少し違うわね。さっきも言った通り、私は転生者よ。別の世界で死んで、この世界で別の人間として再び生まれたということ。だから、いまの私にとってはここが現実よ」

 ニーラントは顎に手を当て考え込む。彼はベアトリスが信用できる人物のひとり。ベアトリスの言葉を適当に流すことはせず、彼なりに噛み砕こうとしているのかもしれない。

「……ということは、この街が今後どうなっていくか、お嬢様はご存知だということですか?」

「そうなるわね」

「この非常事態の原因も……?」

「もちろん知ってるわ。私はこのゲームを隠しルートまでクリアしたんだもの」

 前世でのベアトリスは乙女ゲームが好きで、サバイバルホラーゲームも好きだった。有名どころはひと通りプレイしたし、縛りプレイをして遊ぶこともよくあった。そのため「ラブサバイバル〜暁の乙女〜」通称「ラブサバ」が出たときは心が躍ったものだ。サバイバルホラー乙女ゲームという新しいジャンルは、まさに自分のための物のようだったと彼女は思っている。だが、乙女ゲーム好きからもホラゲユーザーからも、このゲームは少々不評であった。

「始まりは、この侯爵領の街タチアナでゾンビ化ウイルスが拡散されたこと。その原因は、イェレミス研究所が不老不死の薬を作ろうとしたことよ。それがゾンビ化ウイルスになったの。ゾンビは急所を突かなければ永久に滅びないから、不老不死になったと言えばそうね」

「皮肉な話ですね……」

「そうね。夜が明けないのは、ゲームの都合としか言いようがないわ。ゾンビは夜しか生きられないもの」

 イェレミス研究所の試みは失敗に終わり、この街はゾンビ化ウイルスに冒された。そうして物語は始まる。サバイバルホラーゲームとしてはよくある導入だ。

「実際の私たちがどうかはわからないけど、物語ではすべて一晩の出来事よ」

「一晩って……すでに朝六時ですが……」

「そこはゲームのご都合主義が通らなかったみたいね」

 ゲームとは違い、現実世界であるこの世界は時間の流れが当然としてある。夜にゾンビが出現し、避難しているあいだに朝になっていたとしてもおかしいことではない。それでも夜が明けないのは、そういう世界だから、としか言いようがないだろう。

「物語では、ゾンビが湧いてすぐヒロインが討伐に向かうけれど、現実ではそうはいかないわ」

「ヒロイン……」

「物語の主人公ね。ヒロインは平民だけど、光の魔法を持つ特別な女の子よ」

 ニーラントはいまだついて来られていないという表情をしているが、のんびり詳細を説明している時間はない。こうしているあいだにも、街はゾンビの被害が広がっているはずだ。

「この情報を打開する方法はひとつだけ。ヒロインだけが使える『聖なる祈り』がこの街を救う唯一の手段よ」

「その人はいまどこに?」

「おそらくいまはオープニング中ね。隣町にいるはずよ」

 ヒロインが光の魔法を持っていると発覚するのが、オープニングで侯爵領の街タチアナがゾンビに冒されたと知らされてからだ。いまはおそらく、攻略対象と出会う前だろう。

「それじゃあ、その人がこの街に来て『聖なる祈り』を使えばすぐ解決するということですか?」

「そんな簡単な話じゃないわ。ヒロインが『聖なる祈り』を発動するには条件があるの」

 ヒロインが初めから特殊能力を使えるのでは、物語はそこで終わってしまう。ゲームとして破綻していると言えるだろう。そんなゲームでは誰もプレイしようと思わない。クリアするための条件があるからこそ、プレイヤーは攻略に奮闘するのだ。

「その条件というのは……?」

「簡単に言うと、攻略対象と恋をすることよ」

「恋……ですか」

「光魔法の原動力は心。恋で心を動かされたとき『聖なる祈り』は発動するの」

 光魔法にはいくつか種類がある。ゾンビとの戦闘ではその技を駆使し、攻略対象と協力して進んで行く。ただ、戦いだけに集中しすぎると、攻略対象の好感度を上げることができない。サバイバルホラーゲームの面を攻略しつつ、乙女ゲームとしても正しい選択をする必要がある。

「つまり」ベアトリスは人差し指を立てる。「ヒロインの恋を後押しすれば、ゾンビを一網打尽にできるということよ」

 ニーラントはようやく理解が追いついたようで、濃い青色の瞳に光が灯った。ベアトリスの手前、気丈に振る舞ってはいるが、ゾンビに怯えているのは彼も同じこと。壊れゆく街に希望を失いつつあったのかもしれない。ベアトリスには、自分にその状況を変える力があるという確信があった。この街の侯爵令嬢に生まれ変わったのは、何化運命のようなものがある。そんな気がしていた。

「ニール、武器を集めて来て」

 強い意志を宿したベアトリスの言葉に、ニーラントは怪訝に首を傾げる。

「なぜです?」

「いま、ヒロインは隣町にいるはずよ。王宮では、王太子殿下を中心にした討伐対が組まれているはず。隣町でヒロインと合流するの。だから迎えに行くわ。街の安全地帯に案内するのよ」

「待ってください。何もお嬢様が戦いに出なくても」

 ニーラントは表情に焦りの色を浮かべる。彼の言う通りだ。侯爵令嬢であるベアトリスが戦いに出ても、すぐにゾンビにやられておしまいだ。だが、ここでじっとしているなんてことはベアトリスにはできない。

「私はゾンビに関する知識があるわ。侯爵家の者として、民を救うためにそれを役立てるべきよ」

 ゲームの世界とは言え、貴族の娘であるベアトリスに実戦経験はない。戦いは厳しいものとなるだろう。だが、ゾンビに関する知識は、この世界の誰よりもあるはずだ。

「その知識を使わずに、ここで指を咥えて助けを待っているわけにはいかないわ」

「……お嬢様、ここは現実です。物語の主人公がどうなるかはわかりませんが、お嬢様にゾンビと戦うだけの力があるとは、失礼ながら思えません」

 ニーラントの言うことはもっともだとベアトリスは思う。経験のないベアトリスでは、ゲームの登場人物のように戦うことはできないだろう。それでも、ベアトリスには他に選択肢がない。

「武器を集めるのよ、ニール」

 ベアトリスは毅然と言う。彼女が言っても聞かない人間だということは、ニーラントも知っている。ニーラントは、渋々といった様子で頷いた。

「わかりました。……ここにいてくださいね」

 ニーラントが釘を差すように言うので、ベアトリスは肩をすくめる。武器を持たずに戦いに行ってしまうのではないかと思ったらしい。ベアトリスもそれほど無謀ではない。

 サバイバルホラーゲームで定番の武器は銃だ。今世では銃を扱ったことはほとんどない。果たしてそれで戦えるかはわからないが、何もせずじっとしているわけにはいかない。この世界は、サバイバルホラーゲームとしてはちぐはぐだが剣と魔法のファンタジーの世界でもある。ベアトリスも多少は魔法が使える上、幸いなことに銃以外の有効的な戦い方も知っている。前世の記憶が蘇ったいまでも、この街を守りたいと強く思っている。そのためには、自分が戦うしかないのだ。

(いまのうちに、攻略対象を思い出しておこうかしら)

 ラブサバの攻略対象は四人。屋敷を出た際に見た映像で映し出された四人だ。あれはラブサバのオープニング映像だ。

 まずはクリストバル・ヒールストラ王太子。この国の第一王子で、王位継承権を持っている。美しい金髪に青い瞳が映える爽やかイケメンだ。王宮から討伐隊を伴って隣町に来る。ヒロインとは身分差があるため、乙女ゲームとしての難易度は最も高い。ホラゲとしての難易度は低い傾向にある。なにせ討伐隊を率いている。戦闘で優位に立つことができるのだ。ただし、好感度を上げないと討伐隊を使うことはできない。初めのうちは期待しないでおいたほうがいいだろう。

 その次がクリストバルの護衛騎士ファルハーレン。気難しい雰囲気を感じる仏頂面の美男だ。クリストバルとともに隣町に来る。ヒロインのステータスを伴わなければ攻略できないルートで、乙女ゲームとしての難易度は中程度。攻略するためにステータスを上げる必要があるため、ホラゲとしての難易度は低めにできる。

 それから、魔法使いのヴィンセント。赤毛を後頭部でまとめた不思議な魅力を纏う好青年だ。この街タチアナでイベントで出会う攻略対象だ。ヴィンセントとは出会わない可能性もある。同じ街に暮らしているため、ベアトリスも面識がある。出会った場合、ホラゲとしての難易度を下げる効果を持っている。出会いに行かなければならないため、乙女ゲームとしては難易度は高い傾向にある。

 それと幼馴染みのラルフ。短い茶髪とそばかすだらけの顔が平凡な雰囲気を醸し出す少年だ。避難所から行動をともにする。最初に出会う攻略対象であるため、攻略難易度が低い王道ルートだ。一般市民であるため戦闘能力は低く、ヒロインとともにレベル上げから始まる。その分、ホラゲとしての難易度は高い傾向にある。ただ、好感度が上がりやすく「聖なる祈り」の発動条件が揃いやすい攻略対象になっている。

(どのルートも一長一短だわ。個人的には、クリストバルルートに入ってほしいところね)

 クリストバルルートに入れば、戦闘力の高い討伐隊を使用することができる。消費アイテムの量は多くなるが、戦闘が格段に楽になるのだ。

 だが、ここは現実世界。ルートというものが存在するかは判然としない。現時点では確認しようのないことだ。

 次に、ベアトリスは書き置きを用意することにした。何も言わずにいなくなると、ゾンビに食われたと思うかもしれない。だが、なんと書くのが最も効果的かが思いつかず、書いては紙を丸めてゴミ箱に放った。心配をかけさせないようにするための文言が浮かんでこない。どんな文章を残したとしても、この状況で姿を眩ませたらゾンビに食われて戻って来ないと思わせることは間違いないだろう。そう考えて結局、ベアトリスは最初に考えた文章を書くことにした。

 ややあって、ニーラントが戻って来た。彼が机に置いたのは、ハンドガン、ナイフ、ライフルだった。

「教会の備品を失敬して来ました」

「ありがとう。ふうん……初期装備にしては良いラインナップね」

 ハンドガンを手に取ると、妙にしっくりくる感覚になった。自分がこれを使って戦っているイメージが頭の中に浮かぶ。本来ならベアトリス・セランが銃を持って前線に立つことはないが、転生者となったことで能力が上がったのかもしれない。

「あなたはここでお父様とお母様についていてちょうだい」

「私も行きます」

 食い気味にそう言うニーラントに、ベアトリスは面食らった。ニーラントは強い意志を持った瞳で、真っ直ぐにベアトリスを見つめている。ベアトリスは武器を手に入れたことでゾンビに勝てるビジョンが浮かんでいるが、ニーラントはそうではないはずだ。いくら武器があっても、恐怖が消えることはないだろう。

「教会の外は危険よ。命懸けの戦いになるわ」

「だからこそです」ニーラントは語気を強める。「そんなところにお嬢様ひとりで行かせるわけには参りません」

 ベアトリスがそうであるように、ニーラントも言っても聞かない。従者として折れるべきところは折れるが、ベアトリスのこととなると一転して頑固になる。きっとこれは押し問答になり、結局いつも通りベアトリスが折れることになるだろう。

「わかったわ。あなたはハンドガンで援護しなさい」

「私が前に出ます」

「私のほうがゾンビのことを知ってるわ。あなたより戦えるはずよ。前線に出て死なれたら困るの」

「……わかりました」

 侯爵令嬢の従者であるニーラントに、高い戦闘能力は望めない。まして、ゾンビとの戦いは特殊だ。対人の戦闘であったなら、多少の負傷はやむを得ない。だが、対ゾンビ戦となると、傷を負うことは許されないのだ。

 いくつも書き直してようやく決まった書き置きは、簡素に「助けを呼んで来ます」となった。父母を混乱させてしまうかもしれないが、何も残さないよりはまし・・だろう。

「この街のセーフハウスは全部で七軒よ」

「セーフハウス、ですか?」

「ゾンビが入って来ない建物ね。この教会もそのひとつよ。他のセーフハウスにも民が取り残されているはずだわ」

「教会じゃないセーフハウスもあるのですか?」

「あるわよ。この街のセーフハウスは頭に入ってるわ。隣町を目指しながら、セーフハウスを回って民の安否を確認しましょう」

「承知しました」

 他の避難民に気付かれないように、ベアトリスとニーラントは裏口から教会を脱する。幸い近くにゾンビはおらず、速やかに教会を離れることができた。

 恐怖がまったくないと言えば嘘になる。ベアトリスの肉体が戦闘向きでないこともわかっている。それでも、民を救いたいという気持ちが強い。転生したことで知識はある。それを信じて戦うしかないのだ。

「いい? 隠れられる場所があったら、一度は隠れて周りを確認しながら進むのよ。いつゾンビが出て来るかわからないわ」

「承知しました」

 街はゾンビの襲来により、多くの建物が崩落している。あちらこちらに瓦礫が散乱し、身を隠せる場所が多いというのは不幸中の幸いだろう。慎重に進まなければならない。

 空を見上げると、真っ暗な闇に覆われていた。月は見えず、夜ではないということがよくわかる。

「サバイバルホラーゲームとしては当然だけど、夜が明けないのは厄介なことね」

「夜が明けると何かあるんですか?」

「ゾンビは陽光に弱いのよ。太陽を当てれば即死するわ」

「ライトの魔法は効かないんですか?」

「効くけど、私もあなたも使えないじゃない」

「そうでした」

 夜が明けないのは、物語の都合上、としか言えない。抑制力のようなものだろう。陽が登ればゾンビは全滅する。物語が破綻してしまうのだ。ヒロインの光の魔法が覚醒したことにも意味がなくなる。他にも用途はあるだろうが、攻略対象と恋をすることで「聖なる祈り」が発動しゾンビを全滅させる、というドラマチックな展開が物語には必要不可欠だ。

「いまはどこにいてもゾンビに襲われる可能性があると思っていなさい。セーフハウス以外に安全地帯はないわ」

「承知しました」

 夜が明けないため時間の感覚が狂いそうだ、とベアトリスは思った。標準装備である懐中時計は父母から贈られた宝物で、時間の確認のために見るたびに守りたい人々のことを思い出せそうだ。それが力になるだろう。

「ずっと気になっていたのですが」

「何かしら」

「そのゲームとやらでは、お嬢様はどういう立場なんですか?」

 ニーラントの問いに、ベアトリスはにやりと口端を上げた。

「悪役令嬢よ」

 胸を張ってベアトリスが言うと、ニーラントはぽかんと目を丸くする。どういう役割なのかは、説明しなくともわかるだろう。

 ベアトリス・セランは、普通の侯爵令嬢だ。魔法は多少は使えるという程度で、戦う能力はほとんどない。先の教会で王太子率いる討伐隊と合流し、無謀にも参加する。光の魔法を持つヒロインに嫉妬し、嫌がらせをするのだ。乙女ゲームに悪役令嬢はなくてはならない存在。そんな役割を担えたことが、ベアトリスには誇らしい気分だった。

「悪役令嬢って……」と、ニーラント。「要は悪者ってことですよね」

「そうね。悪役だもの」

「……お嬢様が、悪役……」

 譫言うわごとのように呟いて、ニーラントは黙り込んでしまう。

 ニーラントからすれば、信じられないことだろう。いまのベアトリスは、ゲームのベアトリス・セランほど捻くれていない。ゲームのベアトリス・セランは様々なコンプレックスを刺激されてヒロインに嫌がらせをするようになるが、いまのベアトリスは特段、コンプレックスに感じていることはない。おそらく転生者だからだとベアトリスは考えている。今日まで記憶が蘇ることはなかったが、前世の魂を持っていたため性格が歪むことがなかったのだろう。

「その悪役令嬢という役割は何をするんですか?」

「とにかくヒロインを虐め倒すのよ。恋路を邪魔したり、意地悪したりするの。それで、最終的にゾンビになって射殺されるわ」

「…………」

 ニーラントが苦虫を噛み潰したような表情で絶句する。当然の反応と言えるだろう。

 この「ラブサバイバル〜暁の乙女〜」の世界には、アクション要素もある。サバイバルホラーゲームの面も持っているためだ。アクションが苦手な乙女ゲームユーザーからは不評だった。ゲームのベアトリス・セランに、アクションをこなしゾンビと戦うような力はない。それでもヒロインを虐めるために王太子の討伐隊に参加するのだ。完全なる足手纏いであるため、ゾンビにやられてしまうのも当然だろう。この世界では、ヒロインがゾンビを倒しながら攻略対象の好感度を上げていく。そんな世界の悪役令嬢がそういった破滅の道を辿るのは、自然の流れと言えるだろう。

「なぜそんなに悲惨なんですか……」

「悪役令嬢の最期なんてそんなものよ。プレイヤーは『よっしゃざまあみろ』と思うのよ」

 実際に自分がその立場になってみると、ニーラントの言う通り悲惨だと思う。だが、自分も悪役令嬢ベアトリス・セランが射殺されるたびにスカッとしていた。同情を懐いたことなどない。悪役令嬢として、それが当然のことだからだ。

「……お嬢様もそうなるのですか?」

「そうかもしれないわね。それが悪役令嬢の運命だもの」

「…………」

 ニーラントは、子どもの頃からベアトリスに付いている。それなりに情も湧いているだろう。ベアトリスの死は、父母はもちろんのこと、ニーラントも悲しませることになるかもしれない。ベアトリス自身も、自分の死が防げるかどうかはわからない。大事な人たちを悲しませることは避けたいが、悪役令嬢の破滅を回避することが可能かと言うと甚だ疑問だ。

「……私が」ニーラントが言う。「私が、お嬢様をお守りします」

 その表情は真剣そのものだ。悪役令嬢に向けるにはあまりに不釣り合いな台詞に、ベアトリスはきょとんと目を丸くしてしまった。それから、ふふ、と小さく笑う。

「ありがとう。でも、たぶん私のほうが強いわよ」

「まあ……そうかもしれませんが……」

「でも、とても心強いわ」

 微笑んで見せたベアトリスに、ニーラントは力強く頷いた。

 自分が転生したと自覚したとき、ニーラントは父母のそばに付かせ、ベアトリスはひとりで戦いに行くつもりだった。それが最善だと思っていた。それがこうして共闘する味方を得たのだから、とても心強いことだ。ひとりではないという安心感は大きい。ニーラントがいれば大丈夫。そんな気がした。




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