続編ヒロインにだって負けません!
第8章【1】
ヒロインは悪役令嬢にいびられ、悪役令嬢はその罪を償うために破滅する。乙女ゲームにおいて、それは当然の展開である。悪役令嬢が破滅してこそ、ヒロインと攻略対象の恋は燃え上がるものだ。乙女ゲームの世界では、それが当たり前のことだった。しかし、ヒロインであるイリー・マッケンローが転生者であることは、きっとこの世界にとっては異例の事態だったことだろう。イリーの最推しが攻略対象ではなく悪役令嬢フローティア・レヴァラレン公爵令嬢であったことで、すべての物語は覆った。「蒼の瞳に星が輝く刻」に友情エンドは存在しない。有り得なかった現実を引き寄せたのは、聖女であるイリーのフローティアに対する心からの敬愛の賜物であった。
王立魔道学園に入学して二度目の六月。イリーは二年生になった。親友のリッツ・トロジーも難なく進級し、今年も同じクラスだ。もちろん、フローティア・レヴァラレン公爵令嬢もだ。
「去年はいろいろあった……。けど、フローティア様と一緒に二年生を迎えられたなんて奇跡だ」
王立魔道学園の正門。イリーは腕を組んでしみじみと呟いた。イリーが眼鏡越しに見つめる先と逆方向に歩いて行く生徒たちは、みな希望に満ちた表情をしている。新入生も進級生も、これからの学園生活に大きな期待を寄せていた。
「イリーの知識では、フローティア様は一年の秋に破滅していたのよね」
流れゆく人波を眺めながらリッツが言う。イリーがフローティアの破滅ルートを破壊することができたのは、親友であるリッツの存在も大きかった。
「そうだね。悪役令嬢を破滅させて幸せを掴むのがヒロイン……。だが、フローティア様が悪役令嬢なんかじゃないことは、このイリー・マッケンローが証明した。私はヒロインであり、ヒロインでなかった。覚醒ヒロインである私の愛の力が世界の定めた破滅ルートに勝利した瞬間であった……」
「後半なに言ってるのかよくわからないけど、フローティア様が無事で本当によかったわ」
「リッツの協力があってこそだよ」
得意のウインクをして見せるイリーに、リッツは柔らかく微笑んだ。
イリー・マッケンローが前世の記憶を取り戻したのは、フローティアが破滅を迎える王立魔道学園に入学する一ヶ月前のことだった。イリーはすぐリッツにそれを打ち明けた。リッツは妄言や冗談だと切り捨てることはなく、イリーを信じて協力してくれたのだ。リッツは、イリーにとって一生の親友であり、心強い味方だった。
生徒の波からざわめきが広がる。その中心を優雅に歩く人物に、イリーはなりふり構わず駆け出した。ウェーブのかかった美しい銀髪と陽の光を受けて儚く澄んだアメジストの瞳。高貴さの溢れるその少女こそ、イリーが心から敬愛する“元”悪役令嬢フローティア・レヴァラレン公爵令嬢である。
「おはようございます、フローティア様! ああ……今日もお美しい……! 朝から眼福の極みです……!」
「ごきげんよう、イリー、リッツさん。毎朝、待っている必要はありませんのよ」
イリーの賞賛にも、フローティアはすっかり慣れた様子である。イリーにはそれが嬉しくもあり、寂しくもあることだった。
「朝一番にフローティア様のご尊顔を拝見しなければ一日が始まりません!」
「教室でだっていいでしょう」
「朝陽を受けるフローティア様が一日の中で最もお美しいのです!」
「……ああ、そう。お好きになさい」
呆れた表情で小さく溜め息を落とすフローティアに、イリーは祈るようにうっとりと手を合わせる。フローティアは、こうなればイリーには何を言っても無駄だということもよくわかっている。それはリッツも同じことで、呆れとともに薄く微笑みながらイリーを見守っていた。
イリーが王立魔道学園でリッツに加えてフローティアとも行動をともにすることは自然になっていた。フローティアも、呆れつつも拒否することはなくなった。リッツだけでなく、イリーにとってはフローティアもかけがえのない友人だった。
「新入生が増えて、学園もさらに賑やかになりましたねえ」
「今年は新入生が多いそうですわ。卒業生も少なかったようですし、生徒数が大幅に増えましたわね」
何気ない会話も、イリーにとっては幸福感に溢れるものだ。フローティアと肩を並べ他愛もない話をする。それがイリーの人生において最大の幸運であった。
そんなささやかな幸せを噛み締めていたとき、イリーは何かの気配を感じて背後を振り返る。廊下をぐるりと見回すと、廊下の角から覗き込む女生徒の姿があった。ぱちりと合った橙色の瞳が、イリーの脳裏にある映像が浮かび上がらせる。
「あっ……!」
思わず声を上げたイリーに、リッツとフローティアが首を傾げた。
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない……」
再び女生徒に目を遣ると、女生徒は驚いた表情をしている。女生徒はフローティアに視線を向けていた。振り向いたことでその顔が見えたのだ。その表情が、イリーの直感が正しいことを証明している。
(あの子はリティカ・フェルバレート子爵令嬢……
女生徒――リティカ・フェルバレート子爵令嬢がフローティアを見て驚いているのは、前作の悪役令嬢であるフローティアが前作の
(……間違いない。あの人も転生者なんだ)
イリーの視線に気付いたリティカが、さっと廊下の角に姿を消す。ゲームで言えば、いまはエンディング後の状態だ。
* * *
「続編のヒロイン……。物語には、続きがあったということね」
昼食の席。イリーの話を聞いたリッツとマルクは、揃って複雑な表情になった。
「私も情報しか知らなかったから忘れてたよ。あんまり興味もなかったし」
「どうして?」と、マルク。「この物語が好きだったんじゃないの?」
「私が熱中していたのは、あくまでフローティア様だけですから。前世の私は続編の発売前に死んじゃいましたし」
なんでもないことのように言うイリーに、リッツとマルクはまた複雑な表情になる。前世でイリーが何歳まで生きたかという話をしたことはないが、短命だったことはなんとなくわかっているのだろう。
「じゃあ」気を取り直した様子でリッツが言う。「イリーも続編がどういう物語か知らないの?」
「そうだね。私が知ってるのは登場人物の情報だけだね」
「リティカ嬢は主人公ということになるのかな」
「はい。リティカ・フェルバレート子爵令嬢……。おそらく、私と同じ転生者です」
リッツとマルクの表情が曇る。転生者ということは、イリー同様、この世界のことを知り尽くしているということ。自分がどういう運命を辿るか知っているのだ。
「続編にも悪役令嬢はいるの?」
「もちろん。同じ一年のドロテア・ラフィット侯爵令嬢だね。続編になると私とフローティア様は登場しないから、どんな展開になるかわからないんだよね……」
「では」と、マルク。「攻略対象は?」
「それが……前作でかなり人気だったので、攻略対象は同じ五人のままなんです」
攻略対象が前作と同じという点は、五人に熱中していた乙女たちが歓喜した半面、新しい攻略対象も見たかったという声が上がっていたのも確かだ。イリーが知っているのは発表の初期のみであるため、続報では新しい攻略対象も登場していたのかもしれない。続編に関する知識がないことは、イリーにとっても不安要素だった。
「リティカ嬢が転生者である以上」と、リッツ。「リティカ嬢が五人を攻略しようとする可能性が高いってことよね」
「そうだね。ただ、私たちの関係は物語とは違う。その差異がどんな影響を及ぼすかわからないんだよね」
「それなら心配ないんじゃないかな」マルクが微笑む。「僕たちがリティカ嬢に攻略されることはきっとないよ」
「うーん……リティカ嬢にヒロイン補正がかかっていたらわからないんですよね……」
それはいわゆる「チート能力」である。イリーには効果を発揮しなかったが、ヒロイン補正がかかっていれば、その気がなくても攻略対象たちがリティカに惹かれる可能性がある。そう話すと、リッツもマルクも険しい表情になった。
「リティカ嬢の行動次第で、私たちの関係性が変わってしまう可能性もあるのね」
「うん……。私たちに……フローティア様にどう影響するかわからないね」
「せっかく秋の誕生日パーティを無事に越えられたのに……」
「でも、フローティア様は前作の悪役令嬢で、続編には登場しないから。無関係でいられるかもしれないよ。学年も違うし」
「そうだといいわね」
学年が違うのがせめてもの救いだ。授業の講師役にでも抜擢されれば関り合いになることもあるだろうが、イリーはもちろんのこと、リッツもフローティアもその役目は担っていない。リッツとフローティアは白羽の矢が立っていたが、ふたりは「イリーと授業を受けたい」と言って断ったのだ。それこそヒロイン補正ではないかとイリーは思ったが、ふたりが自分を大事な友人だと思ってくれている証明であることはよくわかっている。その実感は、イリーを幸福な気持ちにさせるのだ。
「あら、マルク様もご一緒でしたのね」
イリーの背後から聞こえた声に振り向くと、食事のトレーを手にフローティアが歩み寄って来ていた。神々しさすら感じるその姿に胸を押さえるイリーを流しつつ、フローティアは左隣の席に着く。
「難しい顔をしてどうなさったの?」
「アルヴァルド殿下とフローティア様の結婚式をどう演出するか考えていました」
某総司令さながらのポーズと表情で言うイリーに、フローティアはカッと頬を赤く染めた。
「それはあなたの役目ではありませんわ!」
「いえ、私にお任せください! きっと素敵な結婚式にしてみせます!」
「おやめなさい! す、少なくとも……学園を卒業してから、なのですから……」
美しい銀髪を指でいじりながら、フローティアの声は徐々に消え入る。口の中でごにょごにょと呟くフローティアは、悪役令嬢という肩書きからすっかり解放された、ただひとりの恋する少女である。姫りんごのような頬が、アルヴァルド王太子を想う気持ちを表している。
「ううっ……フローティア様の幸せな結婚式は私が守ってみせます……!」
顔を手で覆うイリーに、フローティアは呆れたように溜め息を落とした。
イリー・マッケンローが
(聖女の底力、見せてあげないとね……)
「イリー? 何を考えてらっしゃるの?」
首を傾げるフローティアに、イリーは拳を握り締めて見せた。
「フローティア様のウェディングドレスはプリンセスラインですよね!」
「……まあ、頭の中は自由ですものね」
フローティアは重い溜め息を落としつつ、諦めたような表情だ。イリーのことをよく理解している。フローティアと良い友人関係を築けたこと。それが、イリー・マッケンローとしての人生の最大の幸運であった。
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