エピローグ
秋、王宮で行われたアルヴァルドの誕生日パーティは、国中から貴族が集まったのではないかと思うほど盛大だった。豪華絢爛という言葉がよく似合い、イリーも伯爵家の侍女たちが気合いを入れてメイクしてくれたが、正直なところドレスも着られているようなものだ。だが、運命が変わったためか、イリーのドレスはゲームで見た水色の可愛らしいものではなく、緑色のお淑やかなものだった。
立食形式である点が唯一の救いだった、とイリーは思う。もし堅苦しい正式な食事会であれば、この多くの貴族たちの中で緊張しきりだったかもしれない。
「しかし……」
「え?」リッツが首を傾げる。「なに?」
「しまった、声に出ていた」
リッツとフローティアは美しい仕上がりである。リッツは赤色のシックなドレス、フローティアは瞳と同じ紫色の華やかなドレスを身に纏っている。自分の平凡さが浮き彫りになるお手本のような光景である、とイリーは考えていた。
「どうしたの?」
「自分のこの場での浮き具合に現実逃避していたのさ」
「何それ?」
「あなたはパーティでも相変わらずなのね」
少し呆れたように言うフローティアに、イリーはぐっと目頭をつまんだ。
「フローティア様が美しすぎて眩しすぎて目がやられそうです……! 網膜に刻みつけて終生、忘れません……!」
「……あなたも綺麗よ、イリー」
その言葉が耳に届きそれがフローティアの声であると認識した瞬間、イリーは意識が遠のくのを感じた。体が倒れる前に右手のグラスをテーブルに置いた瞬発力を褒め称えたい。慌てて手を伸ばすリッツとフローティアをよそに、イリーの肩に手を添えて転倒を防いだのはフェリクスだった。
「パートナーがお待ちかねですよ」
フェリクスが誘うように視線を向けると、アルヴァルドがフローティアに微笑みかける。フローティアはまだ慣れない様子で頬を染めつつ、しゃんと背筋を伸ばしてダンスホールへ向かって行った。
「うう……美しすぎる……」
盛装のアルヴァルドと華やかなフローティア、待ち望んでいたその光景に、鼻血が出そうだとイリーは顔を押さえた。この世界に転生してから最も願っていたエンディング。そう考えたところで、エンディングなどではない、と思い立った。これからふたりは手を取り合い、この国のために足並みを揃えて行く。むしろ、ここからがスタートである。イリーもこれで役目を終えたつもりでいたが、ここで人生が終わるわけではない。この物語は終わらないのだ。
「またフローティア嬢ばかり見ているね」
困ったように笑いながら、マルクが歩み寄って来る。マルクはイリーのマナーより、フローティアを見つめて周りが見えなくなることを案じていた。そんなヘマはしない、とイリーは誓ったのだ。
「僕たちも踊ろう」マルクはリッツに手を差し出す。「僕と踊ってくれるかな」
「はい、喜んで」
美しさを湛えた微笑みで、リッツはマルクの手を取る。そうしてふたりはダンスホールへ向かって行くが、イリーの視線はいまだフローティアのもとにあった。
「じゃあ、イリー」と、フェリクス。「僕と踊ってくれるかな」
「私はフローティア様を眺めていたいので壁の華でいます」
「おやおや……名門マッケンロー伯爵家の令嬢が、壁の華でいいのかな?」
脅すような口調のフェリクスに、うっ、とイリーは唸った。イリーがマッケンロー伯爵家の養女であることは、このパーティに参加する概ねの貴族が知っているはずだ。爵位のある家の令嬢が壁の華であることは、社交パーティにおいてはあまり良いことではない。
「僕と踊ってくれるかな?」
手を差し出すフェリクスに、イリーは唇を尖らせた。
「はーい、喜んでえ」
「こらこら、貴族の令嬢は笑顔を忘れてはいけないよ」
不貞腐れるイリーを半ば引きずるようにして、フェリクスはダンスホールへ出て行く。流れるようにエスコートし音楽に乗って自然とイリーをリードしていく様は、イリーもさすがと言わざるを得ない。しかし、イリーの視線はフローティアを捉えるとそちらに釘付けになった。アルヴァルドと見つめ合い、幸福感を湛えて微笑むフローティアは、悪役令嬢ではなく、普通の少女であった。
「ダンスの最中にパートナー以外を見つめるのは失礼だよ」
フェリクスがたしなめるように言うので、イリーはまた唇を尖らせる。
「私が見つめていたいのはフローティア様だけです」
「……やれやれ。その視線を奪うのは、骨が折れそうだね」
フェリクスの独り言のような呟きは、再びフローティアに視線を取られるイリーの耳には届いていなかった。
ややあって、音楽が止まるのに合わせてダンスホールの動きは止まった。フェリクスに辞儀をしてダンスを締めると、イリーは善は急げとばかりにフローティアに駆け寄る。
「フローティア様! 私と踊ってください!」
「はっ⁉︎」
目を丸くするフローティアに、イリーは拳を握り締める。しかしその拳はマルクによって引き下げられた。令嬢がパーティで拳を握り締めるものではない、と会場に入る前に注意されたのを忘れていた。
「私、いつかフローティア様と踊りたくて、男性パート八割で習っていたんです! 一曲目は殿下であるべきと思ってたので、二曲目は私と踊ってください!」
困った様子のフローティアに、アルヴァルドがおかしそうに笑いながら言う。
「いいんじゃないかな。今日は堅苦しい社交パーティじゃないんだ。友人同士で踊るのもいいだろう」
「……殿下がそう仰るのでしたら……」
イリーが差し出した手に、フローティアは凛と背筋を伸ばして手を重ねる。すると、周囲でも同じように友人同士で手を取り合った。アルヴァルドの一言をきっかけに、イリーのように友人とダンスを楽しみたいと思っている貴族が踏み出せたのだろう。アルヴァルドが視線を遣ると、オーケストラの指揮がおもむろに始まる。
推しに微笑まれてダンスを踊る。ゲーム画面では出会うことのないシーンで、イリーにとってはまさに夢のような時間だ。淑やかに微笑むフローティアは美しく、今日のことは死ぬまで、いや死んでも忘れない、とイリーは固く誓ったのであった。
会場のバルコニー。イリーたちは未成年であるため、給仕にもらったグラスはもちろんジュースである。しかし、前世のカクテル風味のノンアルコール飲料に引けを取らない、とイリーはそんなことを思っていた。
「……はあ……」
「どうしたの、イリー。溜め息なんてついて」
「疲れましたの?」
「先ほどのフローティア様の美しいお姿を思い出すと、それだけでため息が漏れます……」
イリーのこういった発言にフローティアが頬をひくつかせるのはお馴染みの光景となり、そして秋を迎えたいまでもそれが“いつものこと”であることに、イリーは心の底から安堵している。
「無事に秋を迎えられてよかったね」
見抜いたようにリッツが言うので、イリーは明るく笑って頷いた。
「どういうことですの?」
「フローティア様がご無事でよかったってことです!」
「ふうん……?」
フローティアは不思議そうに小首を傾げるが、イリーにとってはそれが最も重要なことである。
グラスを傾け、ひとつ息をついたあと、フローティアは小さく笑った。
「あなたには、助けられましたわ。ありがとう」
このとき、イリーはすでに意識を手放しそうだった。推しの薄い微笑み、そして感謝の言葉。寸でのところで持ち堪えたのは、リッツがイリーの腕を掴んだからだった。リッツにはあとでお礼を言っておこう、と心の片隅でそんなことを思った。
「あなたたちと友人になれて、わたくしはとても幸運ですわ」
「オーマイガッ!」
リッツの手を振り解き、イリーは顔を覆って天を仰ぐ。さすがのリッツとフローティアも肩を跳ねらせ、怪訝にイリーを見遣る。
「イリー……?」
「……いろいろごちゃごちゃになって神に祈らずにはいられませんでした……」
「そ、そう……」
「相変わらず飛ばしてるね」
楽しげな声が聞こえるので視線を遣ると、エンリケが三人に歩み寄って来る。エンリケの盛装も様になっていた。
「眼鏡をしているのは正解だよ。噂を聞きつけた者が探りを入れてる」
ドレス姿に眼鏡とはいかがなものだろう、とイリーは思ったが、マッケンロー伯爵もマルクも眼鏡の装着を許してくれた。噂を探る者がいることはイリーも承知していたため、新しい眼鏡はより性能を上げている。学園のそばの平原であれだけの騒動が起きたのだ。貴族には好奇心の旺盛な者が多い。しかし、アルヴァルド率いる生徒会の統制上、その真実に辿り着ける者はいないだろう。
「やっぱりイリーちゃんは眼鏡をつけていたほうがしっくりくるね」
「最初からずっとそうでしたもんね」
そこにリグレットが歩み寄って来るので、四人はそちらに視線を向けた。
「今日ばかりはイリーも貴族の令嬢みたいだね」
「……その返答に困る発言やめてもらっていいですかね!」
「ごめんごめん。冗談だよ。でも、あの眼鏡の子はどこのご令嬢だ? って知り合いに聞かれたよ」
「ドレスに眼鏡って異様ですもんね」
「……ま、それでもいいけど」
「なんですか?」
「イリーはイリーのままでいいってこと。ね」
リグレットが同意を求めてフローティアを見遣るので、イリーも振り向いた。フローティアは驚いて言葉に詰まったあと、ついとそっぽを向く。久々に見たフローティアのツンに、イリーはまた心臓発作を起こしそうになった。
「おおい、そろそろ閉会だ」
ジークローアが五人を呼ぶ。それぞれ返事をして立ち上がり、会場へと戻った。イリーにとって、この秋のアルヴァルドの誕生日パーティがひとつの終わりであり、そしてすべての始まりであった。
* * *
イリーは闇の悪魔を葬り去ったと確信していたが、この世界の抑制力が何かフローティアに悪戯でもしないかと少々警戒していた。しかし、フローティアにはなんの異変も見られない。そうこうしているうちに、季節は冬へと移り変わる。この国の冬は短く、深い。この東の平原も厚く雪が積もり、冬のあいだは素材採取はほとんどできないようだ。だから街の店は冬が掻き入れ時だ、とマルクが教えてくれた。そうやって商売は成り立つのか、とイリーはそんなことを思った。
林の出口、一箇所だけ、丸く雪が切り取られていた。そこに何かを置いているうちに雪が積もり、必要になって持ち運んだ、というような想像ができる。イリーはふと立ち止まると、ポケットからある物を数個ほど取り出して、子どもに戻った気分で積み重ねた。試製に試製を繰り返す闇除けの護符の結晶である。青色の結晶が雪の中で反射して、何やらとても綺麗だった。
「……お母さん……またね」
ふと、そんな言葉が零れ落ちた。おや、誰に向けた呟きだろう、と首を傾げる。
「イリー、そろそろ引き上げるよー」
リッツが呼んだ。他のメンバーも片付けに取り掛かっている。
「うん! いま行くー」
厚い雪の中を駆け抜ければ、暖かい微笑みが待っている。その美しい光景に目が眩み、燦々と照る陽が追い討ちをかけるようだった。
おわり
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