第6章【3】

 東の平原に出ると、マルクとフェリクスはレッドバイソンを探しに向かう。イリーとリッツは草むらで薬草を採取し、途中で出くわしたポケットラットやグリーンウォンバットを討伐して爪を削り採った。

「レッドバイソンの角の他は、採取が楽な素材でよかったわ」

 リッツがしみじみと言うので、イリーは顔を上げる。

「そうだね。呪詛魔具でも他の魔具と基礎は同じだから、基礎の部分は楽な素材で作れるよ」

「なるほどね。基礎以外のところに、レッドバイソンの角みたいな面倒な素材を使うってことね」

「うん。だから、マルク兄様とフェリクス様が手を貸してくれるのは本当にありがたいよ」

 そう話しているとき、レッドバイソンが咆哮を上げながら平原を駆け抜けて行った。その行く手を阻むように瞬間移動で姿を現したフェリクスが、レッドバイソンの喉元に剣の切っ先を突き立てる。その向こうで杖を振り上げたマルクの雷が、剣先に落ちてレッドバイソンの体を貫いた。レッドバイソンの巨体が地面に倒れた衝撃が、イリーとリッツのもとへ響き渡る。

「ひえ~、すごい」イリーは思わず感嘆を上げた。「レッドバイソン相手に一撃ずつで終わるとは……」

「どう? うちの兄」と、リッツ。「カッコいいでしょ?」

「え、まあ……カッコいいと思うけど……。レッドバイソンの首をあんな細い剣で一撃で貫くって、ほんのちょっとだけ恐怖を覚えるな……」

「ええ……そんなあ……」

 無念そうなリッツの向こうで、マルクとフェリクスはレッドバイソンの角の採取に取りかかっている。イリーが薬草の採取に戻ると、リッツも視線を手元に落とした。

「……ねえ、イリー。もし悪霊が立ち向かって来たら、どうするの?」

 声の調子を落として言うリッツに、イリーは小さく頷く。その可能性もずっと考えてきたが、イリーの答えはただひとつである。

「もちろん戦うよ。私は負けない。絶対に」

「随分と自信があるのね」

「私に何かあったら、フローティア様が悲しまれるでしょ」

「ああ、そういうこと。原動力はいつでもフローティア様なのね」

「当然だよ。フローティア様には笑っていてほしいから」

 フローティアを笑顔にできるのは、おそらく自分ではない、とイリーは思っている。そうだとしても、イリーが傷付けばフローティアの笑顔を失う要因となり得る。それはなんとしても避けなければならない。とは言え、イリーは簡単には負けない自信があった。フローティアを悲しませることは絶対に許さない。それだけは変わらない。


 日が傾き始めた頃、最後のポケットラットの爪を採取したところで素材収集は終わった。

「お疲れ様でございました」イリーは言う。「ありがとうございます。助かりました」

「力になれて何よりだよ」

 優しく微笑んだフェリクスが、イリーの頭にぽんと手を置く。

「何をするかは知らないが、あまり無茶はしないように。きみに何かあったら、悲しむのはフローティア嬢だけじゃないよ」

「……はい。心に留めておきます」

 小さく頷くイリーに、フェリクスは満足げに微笑んだ。

 マルクとフェリクスと別れると、イリーとリッツは寮の自室へ向かった。さっそく製作に取り掛からなければならないが、その前に食事を取らなければ食堂が閉まってしまう。イリーは、前世だったらコンビニの弁当や総菜で適当に済ませているところだったな、とそんなことを考えた。

 食堂に入ったところで、おや、とイリーは首を傾げる。

「フローティア様!」

 いつもの辺りの席で、フローティアが食事を取っていた。周りに他の学生の姿はない。

 イリーとリッツが歩み寄ると、フローティアはちらりと視線を向ける。

「具合はもう良いんですの?」

「はい! もうすっかり腹ペコです」

「そう」

 小さく応えて食事に戻るフローティアに、イリーとリッツは顔を見合わせた。それから、示し合わせたように制服の上着をフローティアの向かいの席の椅子にかける。

「じゃあ、私たちももらって来ますね!」

 明るく笑うイリーとリッツを見送ると、フローティアはひとつ息をついた。リッツという舵がなければひとりで突っ走って行くような系統の子だ、となんとなくそんなことを考える。くすりと小さく笑ったところに、歩み寄って来る者があった。

「フローティア様、おとなりよろしいですか?」

 それは、いつも行動をともにしていたふたりの令嬢だった。先の食堂での一件以来、距離を取っていたはずだが、と首を傾げる。

「……先約がございますの。他を当たってくださいませ」

 冷ややかに言うフローティアに、ふたりの令嬢は怯んで言葉を失ったあと、そそくさと去って行った。

(……こんなに簡単なことだったのね)


 今日ばかりはイリーにも迷っている時間はなかった。前世の定食屋の「客がいたら閉店時間を過ぎても店を閉めない」という暗黙のルールのようなものは貴族社会には存在せず、この王立魔導学園も例外ではない。特に王立魔導学園では生徒の自助自立を育てる一環として、基本的に時間厳守である。つまり、学生食堂は食事の途中でも閉まるのである。

 イリーとリッツが席に戻ると、フローティアの食事は終わりつつあった。

「フローティア様、今日はお屋敷にお帰りにならなくて大丈夫なんですか?」

「これをいただいたら帰りますわ」

 おや、とイリーは首を傾げた。フローティアは街にある公爵邸から学園に通っており、夕食は屋敷で用意されているはずだ。いままで学生食堂で夕食を取っている姿は見たことがない。

「フローティアはイリーちゃんのことが心配で帰るに帰れなかったんだよ」

 少し悪戯っぽい声が聞こえて振り向くと、エンリケがにこにこと微笑んでいた。その声に、フローティアの頬がカッと赤くなる。

「フローティア様……!」

「かっ、勘違いしないでいただけます⁉ たまたま迎えの馬車と時間が合わなかっただけですわ!」

「じゃあそういうことにしておこうか」

 目を輝かせるイリーと悪戯っぽく笑うエンリケを前に、フローティアはただ無力であった。

「フローティアだけじゃないよ」

 エンリケが声色を変えて覗き込むので、イリーは促すように見遣った。

「僕を含めた生徒会メンバーだってそうだよ。あんまり心配させないでね?」

「……はい。ごめんなさい」

 しょんぼりと肩を落とすイリーに、エンリケは満足げに微笑んで頷いた。

 エンリケを見送ったあと、イリーとリッツはいかに上品に速く食事を終えるかという挑戦を始めた。急がなければならないが、ふたりとも貴族の令嬢である以上、ある程度の品は保っていなければならない。そうしているあいだに、優雅に食事を終えたフローティアが席を立つ。イリーが慌てて追おうとするのを、フローティアは手振りで制した。

「見送りは結構ですわ。……どうせ、明日また会うのだから」

 そう言って、フローティアはついとそっぽを向く。イリーは少し呆けたあと、はい、と頷いた。

「フローティア様、また明日!」

 返事代わりに肩の髪を払い、フローティアは去って行く。その後ろ姿を見送ると、イリーは頬が緩むのを堪えきれなかった。そんなイリーを、リッツは微笑ましく見守っていた。


   *  *  *


 寮の自室に戻ると、さて、とイリーは部屋着の袖を捲った。

「さっそく製作に取り掛かろう。リッツは素材の下拵えをお願いしてもいい?」

「ええ。任せて」

 素材の下拵えは、そう難しいことではない。どんな魔具を作ろうとも、ほとんどの素材は同じ加工で済むのだ。薬草は磨り潰せばいいし、ポケットラットの爪は粉状になるまで削ればいい。重要なのは、混ぜる量や順番となる。そういったところで完成品を分けるのだ。

 イリーが作製する呪詛魔具は、最終的に結晶になるはずだ。ペンダントにして身に着けておけば、必要なときに効果を発揮するだろう。

 結晶に魔力を注ぐための魔法陣の製作に取り掛かっていたイリーは、そういえば、と顔を上げる。

「いまさらだけど、リッツも寮暮らしを選んだんだね」

 トロジー家の屋敷は本邸がこの街にある。登下校の際に馬車は必要になるが、充分に通える距離だ。

「私は兄様の補佐になることが決まっているから、なるべく自力で生活できるようになりたいの。寮暮らしで得られる見聞もあるはずだしね。それに、近くで監視していないと、あなたは何をしでかすかわからないもの」

「ええー、信用ないなあ。そんな無鉄砲じゃないよ」

「どうかしらね」

 そう言って悪戯っぽく笑うリッツに、イリーは唇を尖らせた。

 それからしばらく、ふたりは各々の作業に集中した。ポケットラットの小さい爪を削り終えたリッツがひとつ息をつくので、イリーは手元に視線を落としたまま口を開く。

「言うかどうかずっと考えていたんだけど」

「うん」

「フェリクス様は隠し攻略対象なんだ」

 リッツは怪訝に首を傾げた。

「隠し攻略対象って?」

「条件を揃えないと登場しない攻略対象のこと。ゲームの中では、何もしなければフェリクス様は登場しないんだ」

 イリーはもちろんフェリクスルートまで攻略した。その条件が何であるかは記憶している。いま現在、この世界はイリーにとって現実となったため、親友リッツの兄であるフェリクスと関わり合いになっても不思議はない。だが、フェリクスが隠し攻略対象であるという認識は変わっていない。

「じゃあ、あなたが兄様と結ばれる可能性もあるということ?」

「昔から関わりがある以上、可能性はあるだろうね」

「私としては大歓迎だけど」

 リッツがにこやかに言うので、イリーは肩をすくめた。

「フェリクス様はもちろん素敵なお方だよ。場合が場合なら、そういう話になって悪い気のする人はいないはず。でも、ここは現実世界で、私は貴族。攻略対象だから結ばれる可能性がある……なんて、そんな簡単な話じゃないと思うんだ」

 真剣に言うイリーに、リッツはくすりと小さく笑う。

「イリーのそういうところ好きよ」

「からかわないで」

 ふたりは穏やかな空気のまま、遅い時間に差し掛かっても作業を続けた。先に寝ていいよ、とイリーは何度か言ったが、きりの良いところまでやりたいの、とリッツは微笑む。そうして、ふたりは日付が変わった頃にようやくベッドへと潜り込んだ。




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