第4章【2】

 それじゃあ行こうか、と先を歩き出すリグレットに三人が続くと、リッツがイリーに身を寄せた。

「そんな調子じゃ、成績が落ちるわよ」

「うーん……正直なとこ、成績はどうでもいいんだ」

 ぽそりと言うイリーに、リッツは怪訝に眉をひそめる。

「私が欲しいのは、フローティア様を守るための実力。たとえ学校を卒業できないとしても、それだけでいいんだ」

「……あなたはマッケンロー伯爵家の一員よ」

 静かな声でリッツが言うので、イリーは彼女を窺い見た。

「家の恥になるようなことをしてはいけないわ」

「……確かに、そうだね」

 魔導学園を卒業できなければ、落ちこぼれのレッテルを貼られる可能性がある。卒業できなかった落ちこぼれとして、そんな子どもを養子に取った伯爵家には汚点となるかもしれない。留年でもすれば職に就くことも厳しくなるだろう。伯爵家に恩を返したいイリーにとって、それは回避しなければならないことだ。伯爵家に恩を返すためには、魔導学園を優れた成績で卒業する必要があるだろう。フローティアを救うことだけに集中せず、勉学に励む必要があるのだ。そうしなければ、伯爵家に恩を仇で返すことになる。リッツは、それに気付かせてくれたのだ。


 しばらく歩いて行った先に、真っ赤な鉱石が地面から突き出している場所に出た。ガラスのように透き通り、陽の光を受けキラキラと輝いている。マナの鉱石「マールム晶石」だ。

「みんな、このマナを覚えておいてね」リグレットが言う。「マールム晶石は何かと使うことが多いから、確実に見つけられるようになると、後々、役に立つと思うよ」

 はい、と五人が声を揃えると、リグレットは満足げに頷いた。

 マールム晶石の用途は幅広い。魔道具に使えば通常の魔石より高い効果を発揮し、回復薬にすればより良い効能を得られる。人間の体にマナを吸収する仕組みはないが、マールム晶石を使うことでそれを可能にするのだ。マナによる魔法の力の回復は、魔石より倍以上の早さや量を誇っている。

 五人がマールム晶石に見惚れていると、あ、とリグレットが呟いた。

「ちょっとここで待ってて」

 そう言ってリグレットが元来た道を戻って行くので、五人は顔を見合わせる。課題としては発見だけで完了だが、まだ時間が残っているため採取も可能である。イリーはそのつもりだったし、他の四人も同じことだろう。

 ややあって、お待たせ、と声が聞こえてきて振り向くと、歩み寄って来るのはアルヴァルドだった。

「これから採取するところかな?」

 イリーはちらりとフローティアを見遣った。フローティアはなんでもないような表情をしているが、姿勢よく体の前で合わせた手を強く握り締めている。平静を装っているだけであることが、イリーにはよくわかった。

「マールム晶石は」と、アルヴァルド。「基本的に、鑿を使って根本から削って採取する。だが、我々のような魔法を使える者は、魔法による採取も可能だ。先端を傷付けないために、魔法の調整にはコツがいるけどね。今回は発見の時点で課題は合格だから、失敗しても構わない。代表者、採取して見せてくれるかな」

 アルヴァルドの言葉に、取り巻きの令嬢たちは不安げに顔を見合わせる。それからイリーたちを見遣るので、自信がないから三人のうちの誰かに任せたい、ということだろう。

 イリーは少しだけフローティアに身を寄せ、声を潜めて言った。

「フローティア様、これは絶好の機会ですよ!」

「なんですの?」

「アルヴァルド殿下にフローティア様のご活躍を御覧に入れる好機です!」

 フローティアの頬がカッと紅潮するのでイリーは、心臓発作で死ぬところだった、と胸を押さえた。

「わ、わたくしは結構です。あなたかリッツさんがおやりなさい」

「私もフローティア様のカッコいいところが見たいです」

 手を組んで目を潤ませるイリーに、フローティアは気圧される。助けを求めるようにリッツに視線を向けるが、リッツもにこにこと微笑んでいるので、諦めた様子でひとつ息をついた。

「わかりましたわ」

 フローティアが前に進み出ると、アルヴァルドが笑みを深める。フローティアは平静を装いつつといった様子で背筋を伸ばし、愛用の杖をマールム晶石に向けた。その瞬間、辺りを泳いでいた穏やかな風が杖の先に集い、フローティアの動きに合わせて刃となりマールム晶石の根元へ降り掛かった。斬り落とさたマールム晶石が、ごとりと地面に倒れる。マールム晶石の理想的な採取だった。

「素晴らしい」

 賞賛の拍手を贈るアルヴァルドに、フローティアは堪えきれずといった様子で頬を染める。

「表面や先端を一切、傷付けずに採取できたね。魔法の力も安定していた。手本になるような魔法だったよ」

「……ありがとうございます」

 スカートをつまみ上げ辞儀をしアルヴァルドに背を向けたフローティアが、目を輝かせるイリーにたじろいだ。

「素敵です……フローティア様……! 殿下の賞賛に照れられるところまで、完璧な満点です!」

「もうっ、おやめなさい!」

 眉をつり上げるフローティアに、アルヴァルドがくすりと笑う。

「きみたちは良い友達なんだね」

「なっ……!」

 フローティアが顔を真っ赤にして言葉に詰まるので、はいっ、とイリーは真っ直ぐに手を挙げた。

「私はフローティア様の愛の下僕です!」

「下僕という名の友達です」

 リッツが朗らかに補足すると、アルヴァルドは優しく笑みを深めた。どこか安堵したような微笑みだ、とイリーは思った。

「わ、わたくしが平民出身の方とお友達になるわけがないでしょう?」

「私だって、フローティア様以外の貴族の方の下僕になんてならないです!」

「どこに張り合ってるの」

 取り巻きの令嬢たちが悔しげな表情を浮かべる中、さて、とアルヴァルドが手を叩いたとき、草むらがガサッと大きく揺れた。

「アルヴァルド! 手を貸してくれ!」

 焦りを湛えた表情で草むらから飛び出すのは、ジークローアだった。肩で息をし、ひたいに汗を滲ませている。

「何があった?」

「サラマンダーだ。一年生たちは避難させている」

「わかった。すぐ行く」

 頷きかけたアルヴァルドは、険しい表情で五人を振り向いた。

「きみたちは、すみやかに集合場所に戻るように」

 取り巻きの令嬢たちが頷くと、アルヴァルドはジークローアとともにその場を離れて行く。イリーは胸元の愛用の杖を確認し、そのあとに続いた。

「ちょっと、イリー!」

 伸ばした手が間に合わず、ああもう、と苛立たしげに呟いたリッツが、イリーを追って駆け出す。

「あなたたちは集合場所にお戻りなさい」

 取り巻きの令嬢たちにそう声をかけ、フローティアもふたりのあとを追った。取り残されたふたりが顔を見合わせているうちに、イリーたちはあっという間に遠ざかって行った。

 アルヴァルドに追いついて三人が草むらを抜け出すと、ジークローア、リグレット、マルク、エンリケが三体のサラマンダーを囲んでいた。赤い鱗で体中を覆った大きな炎蜥蜴で、剣戟はほとんど通さない。炎を噴くため防御型の魔法が必要で、一年生前期の生徒たちが戦うには難しい相手だ。

 まずは、とイリーは杖を大きく振りかざした。身体能力強化と攻撃耐性強化の魔法をその場にいる全員にかける。それによりアルヴァルドが三人に気付くが、いまは咎めている時間はない。アルヴァルドはすぐ戦闘に戻って行った。

 サラマンダーが火を噴くと、フローティアが風魔法でそれを防ぎ、リッツは雷魔法をその装甲に叩き込む。イリーは水魔法を変換し氷の矢として、サラマンダーの鱗を貫いた。

 三体のサラマンダーが、同時に灼熱の炎を噴く。それが八人のもとへ辿り着くより早く、マルクが振りかざした杖から溢れた光が盾となって攻撃を防いだ。その一瞬の隙を見逃さず、アルヴァルドの光の矢が降り注ぎ、ジークローアの土魔法によって地面から突出した岩がサラマンダーの体を突き上げる。それでも向かって来る巨体に、エンリケが蔦の魔法で拘束し動きを止めた。それと同時に、イリーは再び杖を振りかざす。

「フローティア様!」

 イリーの呼び掛けに、フローティアが杖を振り上げる。フローティアが巻き上げた風を氷の矢にまとわせ、イリーは一気にサラマンダーへと注いだ。風により勢いを増した矢に、三体のサラマンダーはついに動きを止めた。

「やったー! やりましたね、フローティア様!」

 拳を握り締めるイリーに、ふん、とフローティアは鼻を鳴らす。

「まあ、良い働きと言ってもよろしいでしょう」

「うっ……フローティア様に褒められた……」

 イリーが胸を押さえ呼吸を整えていると、アルヴァルドが三人のもとへと歩み寄って来た。

「集合場所に戻っているように言っただろう?」

 ごめんなさい、と肩をすぼめながら、イリーはフローティアの背後に身を隠す。

「フローティア様に免じて許してください……」

「ちょっと、わたくしを盾にしないでいただけます⁉」

 アルヴァルドが困ったように小さく笑うので、フローティアは目を逸らしながら頬を赤くした。

「イリーちゃんは強化魔法を使えるんだね」

 同意を求めるようにしながら言ったエンリケに、マルクは肩をすくめる。

「僕も初めて知りました」

「護符も作れるし」と、リグレット。「強化系が得意なのかもしれないね」

「私は確かに強化魔法を使いましたが、とどめを差したのはフローティア様ですから!」

「……いや。みんな素晴らしかったよ」

 朗らかに微笑むアルヴァルドに、イリーとリッツは、ありがとうございます、と声を揃えた。それからイリーは、ぷるぷると肩を震わせるフローティアに気付いて、ハッと息を呑む。それに気付いたフローティアが、いち早くイリーの口をハンカチで塞いだ。

「ほんとにすごかったよ」と、エンリケ。「フローティアが王妃になって、イリーちゃんが宮廷女官になれば、王家は安泰だねえ」

「いえ」イリーは首を振る。「ですから……、……あ」

「ん?」

「もしかして……私、宮廷女官になったら……正式にフローティア様の下僕になれるということですか⁉」

「何を喜んでいますの!」

 肩を怒らせるフローティアに苦笑いを浮かべたアルヴァルドが、さて、と手を叩く。

「他の生徒のもとへ戻ろう。無事を確認しなくては」

 ジークローアとリグレットが先に歩き出し、六人もそれに続いた。他の生徒のところには講師と二年生が数人いるはずだ、とイリーは考える。そこで、はて、と首を傾げた。

(サラマンダー討伐のイベントなんて……あったっけ?)

 攻略対象に加え親友と悪役令嬢も巻き込んだイベントがあれば、もっと印象に残っていたはずだ。エメラルドの森での実習のことは覚えているが、サラマンダー討伐のイベントを攻略した記憶はない。ヒロインが討伐のために魔法を使うことで攻略対象の好感度を上げることは可能だろうが、攻略対象が同時に登場しては誰の好感度に繋がるのかが判然としない。況してや、この状況では悪役令嬢も悪役を全うすることができない。この「蒼の瞳に星が輝く刻」の世界では成り立たないイベントのようにイリーには思えた。

「みんな、無事か!」

 前方からフェリクスが駆け寄って来る。ジークローアとリグレットが足を止め、アルヴァルドが前に進み出た。

「私たちは大丈夫だ。他の生徒は?」

「全員、集合場所に戻って無事を確認している。駆けつけられなくて申し訳ない」

「いいや、生徒の安全が第一だ」

「……ところで……」

 声を低くしたフェリクスが、イリーとリッツ、フローティアに剣吞な視線を向ける。

「きみたちは、どうしてここにいるのかな?」

 フェリクスが凍てついた微笑みに影を落とすので、イリーとリッツはヒッと喉を引きつらせた。そんなふたりの前に、毅然とした表情でフローティアが飛び出す。

「わたくしが勝手に残ったので、イリーさんとリッツさんがついて来てくださっただけですわ!」

 イリーは思わず言葉を失った。

悪役令嬢フローティア様が……ヒロインわたしを庇った……?)

 その衝撃に、フェリクスの鋭い視線が一瞬だけ視界から消える。しかし、へえ、と低い声が発せられるので、リッツとフローティア同様、思わず肩を震わせた。

「そう……。三人とも、あとで生徒会室に来てくれるかな」

「……は、はい……」

 声を合わせる三人に満足げに微笑み、フェリクスはきびすを返す。ガタガタと震えながら身を寄せ合う三人に、生徒会メンバーは苦笑しながら眺めていた。


   *  *  *


 放課後、生徒会室を出たイリーとリッツ、フローティアは、三人揃って深い溜め息を落とした。

「あんなに怒られるとは……」

 がくりと肩を落とすイリーに、フローティアは小さく息をついて肩をすくめる。

「当然のことですわ。わたくしたちは勝手な行動をしたのですから」

「うちの兄がすみません……」

 はあ、と三人の溜め息が重なる。そうして少しのあいだ床を見続けたあと、ぷっ、とイリーは吹き出した。

「ふ、ふひひ……」

「なに?」

 リッツとフローティアが怪訝に見遣るのに対し、イリーは堪えきれずに肩を震わせる。

「悪さして……叱られた子どもみたい……」

 うくく、と喉の奥で笑うイリーに、リッツとフローティアは顔を見合わせる。それから、ふたりもつられたように吹き出した。

「懐かしいですわね、この感覚……」

「うちは昔から、お母様より兄様のほうが怖いんですよ」

 三人で声を立てて笑いながら、イリーは前世の母のことを思い出していた。母は優しく穏やかな人だったが、悪さをしたときは鬼のような形相で叱られた。母はどんなときでも真剣に向き合ってくれた。そんな母が好きだった。

 そのとき、生徒会室のドアが無機質に開くので、三人の背筋が凍り付いた。

「みんな、早く帰るようにね」

「は、はいっ!」

 声を合わせて脱兎の如く駆け出す三人に、フェリクスは満足げにその背中を見送った。




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