第4章【1】

 エメラルドの森の実習では、イリーの名は伏せられたまま護符が配布された。イリーは一筆を加えただけであり、何より平民出身の作った護符など拒否する者が少なからずいると考えられたためだ。護符はすべて、鑑定によってその効果が立証されている。問題なく生徒たちを守ってくれるはずだ。

 生徒たちは五つのグループに分けられる。エメラルドの森には魔獣も存在するため、魔法による戦闘においては連携が重要になる。そのことを考慮し、グループは友人同士であることが多い。イリーとリッツが同じグループになるのは当然のことだが――

「なぜあなたと同じグループですの?」

 フローティアが溜め息混じりに言う。イリーとリッツのグループは、フローティアと取り巻きの令嬢ふたりで構成された。イリーにとっては発狂しそうなほど幸運なことだった。

「講師を買収しました」

 もちろん嘘だが、フローティアは剣呑な視線をイリーに向ける。

「さすが平民ですわ」と、金髪の令嬢。「やることが汚いですわね!」

「おやめなさい。そんなことを言うものではありませんわ」

 ひたいに手を当てて言うフローティアに、金髪の令嬢は不満げな表情になる。どうやら、取り巻きの令嬢はイリーの発言を鵜呑みにしてしまったようだが、フローティアは嘘だということを承知しているのだろう。

「みんな、準備はいいかな」

 聞こえて来た声に、イリーはこっそり溜め息を落とした。今日はよろしく、とにこやかに微笑むのはリグレットだった。

「よっぽど私の素性を暴きたいみたいだよ」

 イリーが声を潜めて言うと、リッツは困ったように小さく笑う。母が行方知れずだということで引き下がったと思っていたが、どうやら好奇心と向上心が抑えられないようだ。イリーは母が魔法の力を持っていたと言ったが、母が貴族の娘であることは話していない。母が魔法の力を持っている理由が気になるのだろう。

「他の生徒会メンバーも来ているんだ。頑張れば、アルヴァルドに褒めてもらえるかもしれないよ」

 そう言ってウインクをするリグレットに、フローティアは目を丸くしながら頬を染める。しかし、すぐにどこか悲しげな表情になった。

「そうですわね。優れた成績を残した者は、お褒めいただくでしょう。殿下はお優しいお方ですもの」

「じゃあ、私は褒めていただけるように頑張ります」

 はい、と手を挙げて言うイリーに、フローティアは鬼のような形相でイリーを振り向いた。

「わたくしより優れた成績を残せるとお思いですの⁉」

「思いません! ですが、頑張ったら褒めていただけるかもしれないじゃないですか!」

「頑張るのは当然のことですわ! その程度で殿下にお褒めいただくだなんて、そんなこと、このわたくしが認めなくってよ!」

「はい! じゃあ、フローティア様にも認めていただけるように、もっと頑張ります!」

 イリーが意気揚々と拳を握り締めると、フローティアは悔しそうに顔をしかめる。それから、びし、とイリーに向けて人差し指を突き立てた。

「あなたには負けませんわ!」

「はい! 応援してます!」

 フローティアは重い溜め息を落として、ついとそっぽを向く。取り巻きの令嬢たちは気圧されているもの、冷ややかな視線をイリーに向けていた。

「さ、行こうか」

 リグレットに促されて、五人はエメラルドの森へと足を踏み入れる。その名の通り、美しいエメラルドグリーンの木々が風に揺らめいている。木漏れ日が清々しく、時折、ポケットラットやグリーンウォンバットを見掛けるが、のんびり歩いており襲い掛かって来ることはない。穏やかな時の流れる森だ。

「今日の課題は、マールム晶石の採取だ」リグレットが言う。「とりあえず発見するだけでいいかな」

「……」イリーは声を潜める。「そんなことでいいの」

「簡単なことじゃないわ」と、リッツ。「少なくとも、私や他の生徒たちにとってはね」

「ふうん……」

 マールム晶石とは、魔道具の原材料となるものだ。魔石よりはるかに多くの魔力を有し、限りなく純度の高いマナの鉱石だ。その辺にいくらでもある、というわけではなく、マールム晶石を発見するにはそれなりの手順が必要となる。

「じゃあ、ズルしたって思われたくないから、リッツに合わせるよ」

「イリー、もっと真剣にやらないと。マールム晶石の発見が簡単だと思うなら、その気になれば貴族より優れていると証明することができるのよ?」

「んー……それはまだいいかな。いまはツンデレなフローティア様を愛でていたいから」

「ツンデレって何?」

「リッツ、イリー」

 穏やかな声がかけられるので、ふたりは話すのをやめる。リグレットに挨拶をしてからふたりに歩み寄って来るのは、リッツの兄フェリクス・トロジーだった。細い線の長身で、さらりと揺れる銀髪が森に映えている。攻略対象に負けず劣らずの美形で、女子生徒から熱い視線を集める人物だ。

「兄様。どうしてここに?」

「講師の補助として来たんだ。各班を見て回っているんだよ。何か気になることがあったら、なんでも聞いてくれ」

「わかった」

 それじゃあ、と朗らかに去って行くフェリクスを、イリーは口を噤んだまま見送った。そんなイリーに、リッツは不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの?」

「……ううん。なんでもない」

 明るく笑って見せたイリーに、リッツはまだ不思議そうな表情のまま、ふうん、と呟いた。

「イリー、リッツ。遅れてるぞー」

 リグレットが先頭から呼ぶので、ふたりは駆け足で四人に追いついた。ふたりの合流を確認してから、リグレットは再び歩き出す。マールム晶石の発見できる地点まではそう遠くないはずで、あと数分もすれば辿り着けるだろう。

 前方の四人をちらりと見遣ってから、リッツがイリーに身を寄せた。

「この実習って、もしかして……」

「うん。ヒロインと攻略対象の新密度を上げるためのイベントだよ」

 マールム晶石の発見は、イリーにとっては造作もないこと。それは聖女だからであるが、この時点ではその事実は本来なら判明していない。ヒロインが的確にマールム晶石を発見することで、攻略対象がヒロインの実力をひとつ認めることになる。それに加えて、ヒロインは真剣に実習に取り組む。攻略対象は、ヒロインのそんなひたむきさに惹かれていくのだ。

 その際、もちろん悪役令嬢は妨害をして来る。高潔なレヴァラレン公爵家の血を引く悪役令嬢は、ヒロインに後れを取るも、正確にマールム晶石を発見する。それによりアルヴァルド王太子の気を引こうとするが、心からの賞賛を得ることはできず、他の攻略対象も悪役令嬢にはさほど興味を持たない。そうして、悪役令嬢は心を蝕まれていくのだ。

「酷い話だよね。悪役令嬢っていう設定のためだけにフローティア様が破滅するなんて。制作陣に殴り込みに行きたいよ……!」

「でも、悪役令嬢の存在がなければ、ゲームは成り立たないんでしょ?」

「まあね。悔しいけど。でも、もうここは現実の世界だから、強制力なんかに負けない。そのためにレベルをカンストするんだ!」

 拳を天に突き上げるイリーに、フローティアが怪訝な表情で振り向いた。えへへ、とイリーが笑うと、フローティアは呆れたように鼻を鳴らしてついとそっぽを向く。

「カンストって?」

「能力を最大値まで上げることだよ。ゲームだと、能力値が数字で表されるんだ。そのすべてを最大値まで上げることで、ヒロインは何にも負けない強者になるんだ」

「ただの恋愛物かと思ってたけど、戦闘能力も必要になるのね」

「シナリオによっては、悪霊に取り憑かれた悪役令嬢と闘わなくちゃならないからね。ある程度は能力を上げておく必要があるよ。それに……私は、フローティア様を守らなければならないから」

 悪霊単体でどれほど強いのかはわからない。取り憑かれた悪役令嬢は、悪役令嬢自身の高い能力も合わさってヒロインと攻略対象を苦戦させる。もしかしたら、単体では弱いのかもしれない。だが、その実力を知らない以上、考え得る最大の備えをしておかなければならないだろう。そのために、レベルをカンストさせることが確実な手段である。

「じゃあ、私もカンストさせないとね」

 そう言ってリッツが明るく微笑むので、イリーは面食らった。

「でも、リッツは戦闘シーンには出て来ないからな~……」

「それはゲームの話でしょ。ここは現実世界。私だって戦えるわ」

「……そっか……。うん、そうだね。ありがとう、リッツ。頼りにしてる」

「ええ」

 そこでリグレットが足を止めるので、ふたりは話すのをやめる。そろそろ良い地点に到達したと思われ、本題に入るようだ。

「マールム晶石の探し方は知ってるよね」

「マナ感知の魔法です」

 取り巻きの令嬢が手を挙げて言う。正解、とリグレットがウインクすると、取り巻きの令嬢たちは頬を赤く染めた。イリーは、イケメンのウインクは破壊力が高いな、とぼんやりとそんなことを考えていた。

「マナが最も濃い場所に、マールム晶石はある。マナ感知の魔法をうまく使いこなして、マールム晶石を発見することが今回の課題だ。やってみて」

 リグレットの言葉で、リッツとフローティア、取り巻きの令嬢たちは目を瞑って意識をマナへ集中させ始めた。次第に四人から溢れ出る魔力は波を打ち、森の中へと静かに広がっていく。その洗練された魔力は、さすが最高峰の魔法学校の生徒だ、とイリーに思わせた。

「何してるの、イリー。きみもやらないと」

 不思議そうにリグレットが言う。イリーは、意識を集中させる四人と違い、のんびりと辺りを見渡していたのだ。

「いまやっ――ります。すみません」

 慌てて言い直し、イリーは四人を真似て目を瞑る。傍から見れば、マナ感知を使っていたとは思えない姿勢だっただろう。イリーは、意識を集中させなくともマナ感知の魔法を使うことができるのだ。おそらく、この中の誰よりも正確にマールム晶石の位置を特定することができるだろう。

 リッツが顔を上げるので、イリーも細めていた目を開いた。他の三人はまだマナ感知をしており、答え合わせをするのは待っていたほうがよさそうだ。

 ややあって、三人もマナ感知を終えた。その様子を見て、よし、とリグレットは手を叩く。

「それじゃあ、マールム晶石のマナを感知できた方向を指差して。せーの」

 リグレットの声に合わせ、四人は思い思いの方向に指先を向けた。リッツとフローティアは同じ方向を、取り巻きの令嬢たちはそれぞれ別の方角を指していた。

「イリーは?」

「……じゃあ、フローティア様と同じで」

 そう言ってリッツとフローティアと同じ方向を指差すイリーに、リッツは呆れた表情を浮かべ、フローティアは咎めるように、ちょっと、と声を上げた。

「真剣にやりなさい!」

「私は至って真面目です!」

 リッツとフローティアが指差した方向には、間違いなくマールム晶石が生息している。取り巻きの令嬢たちは確かにマナを感じられる方向を指していたが、そこにあるのはマールム晶石ではない。イリーにはそう確信があり、本当は取り巻きの令嬢たちのどちらかと同じ方向を選んでもよかったのだが、フローティアに認められたいという欲が出てしまった。そのためには誰よりも早く指差す必要があったと気付いたのは、四人の答えを見たあとだった。

「三人とも正解」と、リグレット。「ふたりの指した方向にもマナを発する物があるけど、マールム晶石ではないね。一年生前期と考えると、良い結果だよ」

「イリーさんはズルですわ!」

 ひとりがそう言うのに、そうですわ、ともうひとりが厳しく続ける。

「フローティア様のお手柄ですのに! 横取りですわ!」

「あは……すみません……」

 眉尻を下げるイリーに、フローティアは溜め息をついた。

「正解を知ってしまった以上、仕方ありませんわ。ただし」

 フローティアはイリーの鼻先に指を突き立てる。

「次はご自分で答えを導き出すように」

「はい! フローティア様!」

 手を組み目を輝かせてイリーは頷いた。フローティアは、うんざりしたようにまた溜め息を落とす。そんなふたりに、リッツは呆れたように目を細めていた。




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