第3章【3】

 数日後、寮の部屋で夜のお茶を楽しんでいたイリーとリッツのもとに報せ鳥が来た。魔法の力で練り上げた鳥に言伝を織り込んだ物だ。それによると、明日の放課後、生徒会室に来るように、ということである。

「なんだろう」イリーは首を傾げる。「生徒会室に呼び出されるなんて」

「生徒会って言うと」と、リッツ。「アルヴァルド殿下も、ジークローア様も、リグレット様も、マルク様もメンバーよね。なんだか嫌な予感がしない?」

「あは、たぶん同じこと考えてる」

 おそらく予想は当たっているだろうし、避け得ないことだろう。せめてできる限りの抵抗はしてみよう、とイリーはそんなことを考えた。


 翌日の放課後、授業を終えたイリーとリッツは、報せ鳥の指示通りに生徒会室へ向かう。リッツも予想しているだろうが、物語の序盤でヒロインは生徒会に加わることになる。攻略対象の全員が生徒会に所属しており、好感度を上げるためのイベントが生徒会にもいくつも用意されているのだ。そうであれば当然――

「フローティア様!」

 向かいから歩いて来る令嬢に、イリーは思わず駆け寄った。フローティアは顔をしかめ、扇で口元を隠す。

「相変わらず犬みたいですわね、あなたは」

「フローティア様に飼っていただけたら百年は生きます!」

「寿命が長ければいいという問題ではありませんわ」

「フローティア様、ごきげんよう」

「ごきげんよう、リッツさん。では、わたくしは用がありますので」

「はい!」

 つんと澄まし、ノックをしてから生徒会室のドアを開けたフローティアが、その場から動かないイリーとリッツに気付いて怪訝な表情で振り返る。

「まだ何か?」

「いえ、私たちも呼ばれていますので!」

 満面の笑みで言うイリーにフローティアの表情が凍り付いたとき、生徒会室内から声がかけられた。

「三人とも、よく来てくれたね」

 朗らかに微笑むアルヴァルドの背後に、ジークローア、リグレット、マルクに加えエンリケの姿もある。エンリケはイリーと同じ一年生だが、すでに生徒会入りを決めているということだろう。

「きみたちに是非、生徒会に入ってほしくてね」

 やっぱり、とイリーとリッツは視線を交わした。ゲームでは、ヒロインは平民出身でありながら高い魔法の力を持つという理由で、リッツはヒロインの友人であることと家柄で選ばれ生徒会に加入する。フローティアも優秀な能力を買われ選出されるのだ。ヒロインは生徒会の活動を通して攻略対象との新密度を上げていく。最終的な好感度は、ほとんど生徒会の活動によるものだと言っても過言ではない。

「はい!」イリーは手を挙げた。「私は辞退させていただきます!」

「イリー!」

 マルクが慌てて呼ぶのに対して、イリーはにこりと笑って見せる。他の四人も面食らっていた。

「賢明な判断ですわ」フローティアが言う。「平民出身がこの学園の生徒会に入るなんて、身の丈に合いませんもの」

「えへ、フローティア様に褒められた」

 イリーが照れくさくて頬を掻くと、フローティアは呆れたように目を細める。つんと澄まして、それから優雅な仕草でスカートをつまみ上げた。

「わたくしは謹んでお受けいたしますわ」

「えっ! フローティア様がお受けになられるなら私もお受けします!」

「なんですって⁉」

 また真っ直ぐに手を挙げるイリーに、フローティアの声が上擦った。リッツは呆れたようにイリーを小突く。そんなリッツにイリーは、へらりと笑って見せた。

「あなた、いまお断りしたじゃない!」

「放課後の時間、同じ目的のため一緒に過ごす……。そんなの仲良くならないわけがないじゃないですか! 生徒会の活動を通じて、フローティア様と愛を深め合いたいです」

「おやめなさい! ちょっと気色悪いですわよ⁉ それに、平民出身がこの学園の生徒会に入るなんて、身のほど知らずもいいところですわ!」

「じゃあ、生徒会に入ってフローティア様に身のほどを教えていただきたいです」

 祈るように手を組み、瞳を潤ませながら言うイリーに、フローティアは深く溜め息を落とした。

「あなたは相変わらず話が通じませんのね」

「もっと親睦を深めたら通じるようになるかもしれません」

「……勝手になさい」

 もう何も言えない、といった様子でフローティアはひたいに手を当てる。そんなふたりを、アルヴァルドとマルクは苦笑いを浮かべて、エンリケは楽しげに笑って見ていた。

「リッツ」と、ジークローア。「きみはどうする?」

 その問いかけに、リッツがちらりとイリーを見遣った。イリーが首を傾げると、リッツはすぐに五人に視線を戻す。それから、優雅な仕草でスカートをつまみ上げた。

「謹んでお受けいたします」

「では、手続きを進めておくよ」アルヴァルドが言う。「きみたちには、来週から参加してもらうことになる。それまでに、生徒会の活動がどのようなものか把握しておいてくれ」

「承知いたしました」

 五人に辞儀をして、イリーとリッツ、フローティアは生徒会室をあとにする。ドアを閉めると、フローティアが重い溜め息を落とした。

「平民出身を生徒会に入れるだなんて、どうかしてますわ」

「私、一生懸命に頑張ります!」

 攻略対象との関わりを最小限に抑えるために生徒会加入は避けたかったが、イリーはフローティアに対する理性を持ち合わせていなかった。フローティアの破滅を防げるなら、生徒会活動も必要なことだろう。イリーはそう思うことにした。

「いいこと?」と、フローティア。「生徒会のみなさまはあなたのことをお認めになられているようだけれど、生徒会は甘くなくてよ。貴族の子息子女の上に立つことになりますわ。そのことをよく理解しておいでかしら?」

「はい! 貴族の子息子女の上に立たれるフローティア様のお役にってるよう頑張ります!」

 拳を握り締めるイリーに、フローティアはがくりと項垂れる。すぐに気を取り直して、イリーの鼻先に人差し指を突き立てた。

「あなたはきっと嫌がらせを受けると言っているのですわ。伯爵令嬢と言えど平民出身。貴族の子息子女は、きっとそれを認めなくてよ」

「心配してくださるのですか?」

 イリーがあっけらかんと笑うと、フローティアはぽかんを目を丸くする。それからカッと顔を赤くして、眉をつり上げた。

「その甘ったれた根性を叩き直して差し上げますわ!」

「フローティア様から直々にご指導いただけるなんて……。生徒会が俄然、楽しみになってきました!」

「……こんなにも打っても響かない方は初めてですわ」

 気を削がれた様子で、ごきげんよう、と力なく言ってフローティアはイリーとリッツに背を向ける。今日も余すところなく愛を伝えられたと満足するイリーに、リッツが案ずるような表情で言った。

「ほんとに大丈夫? フローティア様の仰る通り、嫌がらせを受けると思うわ」

「平気だよ。フローティア様と一緒に過ごせるなら、嫌がらせなんて、どうってことないよ。……慣れてるしね」

 ぽそっと呟いたイリーの言葉にリッツが口を開くより先に、それより、とイリーは拳を握り締める。

「五人との接点を減らしたいから生徒会には入りたくなかったんだけど、失敗した……!」

「フローティア様が選ばれるのも、それをお受けになられるのも当然のことのように思えるけど。フローティア様につられてあなたがお受けするのもね」

「まあね。五人の好感度を上げないように、尚且つフローティア様との新密度を上げるために頑張るしかないね」

「……ねえ、イリー」

 静かな声でリッツが口を開くので、イリーは促すように首を傾げた。

「あなたにとってここは物語の中の世界かもしれないけど、私にとってはここが現実なの。それは五人とフローティア様にとってもそうよ。だから、五人が本当にあなたに惹かれるかどうか、それはわからないんじゃない?」

「……そうだね。もちろん、みんな、自分の意思で生きている人間だから。でも私は『補正』がかかるのが怖いの」

「補正?」

「ゲームのヒロインは、悪役令嬢の嫌がらせを受ける。もし私が転生して来なかったら、その通りになってたと思う。それは、この世界に付与された運命みたいなものなんじゃないかと思うんだ。だけど、私は前世の記憶を持っていて、フローティア様の嫌がらせを受けることはない。その差異を、この世界の運命が強制的に捻じ曲げてシナリオ通りに私たちを操るんじゃないかって、そう考えると怖いんだ」

 もしゲームの抑制力が働けば、フローティアは断罪され破滅し、五人のうちの誰かの運命が変わることになる。イリーが誰にも惹かれていなくても、自ら運命を変えてしまう者が出るかもしれない。何より、フローティアが断罪される可能性は、いまはゼロではないのだ。

「私は、その強制力からフローティア様を守りたい。そのために、すべての可能性を排除したいの」

「……そっか。うん、わかった。それなら、五人がイリーに惹かれるのを阻止したほうがよさそうね」

「そう! 私の目的は、ただそれだけだから!」

 拳を握り締めて明るく笑って見せたイリーに、リッツは少し呆れたように微笑んで肩をすくめた。

「あ、いたいた。イリーちゃん、リッツちゃーん」

 駆け寄って来る足音とともに声をかけられるので、イリーとリッツは振り向いた。大きく手を振るのは、エンリケだった。

「エンリケ様。どうなさったんですか?」

「ちょっとイリーちゃんに話があって」

「では」と、リッツ。「私は外したほうがよろしいですか?」

「ううん。むしろ、リッツちゃんにも一緒に聞いてほしい話だから」

 いつもの明るく朗らかな笑みを湛えたまま言うエンリケに、イリーとリッツは顔を見合わせる。良い話でないのは確かなことのように思えた。

「この学園は、国中の貴族の子息子女が集まってる。その中で平民出身のイリーちゃんが生徒会に選ばれたということは、貴族の子息子女にとっては不思議なことのはずだよ。その理由を探ろうとする者も出て来ると思う。充分に気を付けて」

 イリーは一瞬だけ言葉に詰まったあと、小さく頷いた。エンリケは満足げに微笑んで、それじゃ、とふたりに手を振る。離れて行く後ろ姿を見送りながら、イリーはひとつ息をついた。

「鋭いお方だね」

 エンリケはとても穏やかな青年だ。いつもにこにこと微笑んでいるが、その実、内心がよく見えない。腹黒というわけではなさそうだとイリーは思っている。この世界ではおそらく有り得ないだろうが、敵に回したら怖いタイプの人物だ。

「あなたの出自をご存知なのかしら」

「ううん、たぶん知らないと思うけど、平民出身の娘が魔法を使えるって時点で、何か理由があるということはわかってらっしゃるんだと思う」

「……もし、あなたの素性が知られれば、その家系が注目されることになる」

「私がなぜ平民出身と偽ってこの学園に入学したか、とかね」

「あなたのお母様の家にあなたの存在が知れたら……」

「家の恥で済めばいいけど、最悪、汚点として消される可能性はあるね」

 あっけらかんと笑って言うイリーに、リッツは痛々しく顔をしかめる。イリーにはたとえ追手が来ようが負けない自信があるが、リッツはそれを知らないのである。

「誰かと結ばれて、保護してもらうべきよ」

 リッツが真剣な表情で言うので、イリーは思わず目を丸くした。先ほどまでの決意を覆すほど、リッツはイリーの身を案じているのだ。

「そんなわけにいかないよ。その人の運命を変えてしまうことになるし、そんな利用するようなことはできない。ずっとそう言って来たじゃない」

 イリーが五人のうちの誰かと結ばれれば、イリーの立場や地位は安定したものとなる。五人とも王族や貴族だ。その夫人となってしまえば、簡単に手を出すことはできなくなるだろう。

「私は大丈夫。ひとりでなんとかできるから」

「……それなら、イリーは私が守るわ」

 強い意志を湛えた瞳で、凛とした声でリッツが言う。イリーは少しのあいだ呆気に取られたあと、小さく息をついた。

「リッツは攻略対象じゃないから、できればそういう言動は控えてほしいかな~」

「……ああ、そう」

 リッツががくりと項垂れるので、あはは、とイリーは明るく笑った。

 リッツが心からそう思ってくれていることはよくわかる。だからこそ、もし母の実家との抗争が始まったときに巻き込むわけにはいかない。親友だからこそ、頼るべきではないときがある。親友を守りたいという気持ちは、イリーも同じである。




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