第3章【2】

 魔法学研究の時間は、この日も護符の製作となった。アルヴァルドに頼まれた、エメラルドの森での実習用にクラス全員分の護符を作るのだ。しかしいくらイリーが聖女と言えど、いちから数十枚の護符を作るほどの実力はない。イリーが以前にフローティアに捧げるために作った護符は、奉書紙にいちから紋様を描き込んでいった。アルヴァルドが用意した奉書紙にはすでに紋様が描き込まれており、あとは魔力を込めた魔除けの紋様を入れるだけである。正直なところ、宮廷魔法使いの作った護符のほうが安心できるのではないかとイリーは思う。ゲームでは実際にヒロインが護符を作ったのかは、描写されていなかったのでわからない。依頼をこなすことでアルヴァルドの好感度が上がってしまうのではないかと断ろうとしたが「王族からの依頼を断る不敬」という貴族の悲しい性が発動し、強く断ることができなかった。

「イリー、大丈夫? けっこう量があるけど……」

 机の上に魔石を並べながら、リッツが心配そうに言う。イリーは息をつき、弱々しく肩をすくめた。

「お受けしちゃったものはしょうがない。あとちょっと描き込むだけで完成するみたいだし、大丈夫だよ」

「でも、アルヴァルド殿下はどうしてイリーに頼まれたんだろう」

「ヒロインだから、っていうのが確実な理由だけど、アルヴァルド殿下も優秀な魔法使いでいらっしゃるし、何か私の魔法の力に興味を持たれたのかもね」

「ふうん……」

 ゲームの設定として考えると、用意された護符の素材にヒロインが一筆を描き加えることで高い効力を得るということだろう。護符の依頼をされることはリグレットルートのフラグが立つポイントだが、イリーが聖女であることを知らないはずのアルヴァルドがイリーの魔法の力を買うこと、それはまさにゲームの抑制力なのではないか、とイリーはぼんやりとそんなことを考えた。

「護符を作っているの?」

 イリーは手元に意識を集中していたため顔を上げることができなかったが、それはリグレットの声だった。

「はい、ご覧の通りです」

「リッツは?」

「魔石の解析をしています」

「ふたりともなかなか高度なことをしているな。その気になれば、きっと優秀な魔法学研究員になれるよ」

 イリーの護符作りも学生にこなせることではないが、リッツの魔石の魔力の解析も、本来なら学生が授業で行うようなことではない。魔石は外に放出される魔力が僅かであるため、解析するには自分の魔力を注ぎ魔石の魔力に直接に触れなければならない。その魔力の制御は、魔法の勉強を本格的に始めたばかりの学生には容易なことではない。リッツの血筋による高い魔法の力によって為せる業だ。

「リッツはトロジー家の血筋から考えると妥当な能力かもしれないけど、護符を作れるなんて、やっぱりイリーはただの平民とは思えないなあ」

「護符は母とよく作っていたので、慣れているだけです」

「じゃあ、イリーの魔法の力は母君の血からきているのか」

 イリーは手を止める。まるで誘導尋問のようだ。剣呑な視線を向けると、リグレットは少したじろいで申し訳なさそうに笑って見せる。

「詮索するような真似をしたことは謝るよ。ただ、きみの魔法の力に興味があるんだ。きみの魔法の力は、平民が偶然で手に入れたものとは思えない」

 それはその通りだ、とイリーは心の中で呟く。イリーはただの平民出身ではなく、この世界のヒロインであり聖女である。魔法の力は、間違っても偶然で手に入れたものではない。

「確かに、母は魔法の力を持っていました。だけど、それ以外のことはわかりません。いまどこにいるのかも」

 半分が嘘で、半分が本当だ。母が何者なのかをイリーはもちろん知っているが、現在の居場所は知らない。母はイリーが伯爵家に引き取られる二年前までともに暮らしていたが、謎の多い女性であった。

「……ごめん、無神経だったね」

 リグレットがいつもの悪戯っぽい笑みを消して言うので、いえ、とイリーは首を横に振る。

「母のことは気にしていません。私にはフローティア様がいますから……」

 祈るようにうっとりと手を組むイリーに、リグレットは困ったように笑った。

「なぜそこまでフローティア嬢を?」

「優しいお方ですから。入学初日に、平民出身である私にお声をかけてくださる貴族は他にいません」

「フローティア嬢に説教されて礼を言ったんだって?」

「フローティア様は気に掛けてくださっているだけですから」

 リグレットは不思議そうにイリーを見ている。イリーがこれほどまでにフローティアに入れ込む理由は、イリー以外の誰も知らない。自分を叱る者を慕うのは、不可解なことに思えるだろう。しかしイリーには、それを詳しく説明してやる気はない。

「随分と達者なお口ですこと」

 呆れの色を湛えた鋭い声が降りかかるので、イリーとリグレットは顔を上げた。冷ややかな視線をイリーに向け、フローティアが澄ました顔で、ふん、と鼻を鳴らす。

「リグレット様、こんな平民出身に構う必要はありませんわ」

「ああ、フローティア様……今日もお美しい……! 眩しすぎて目が潰れてしまいそう……」

「おやめなさい。それで本当に目が潰れてしまったら、わたくしの責任になりますのよ。あなたのために責任を負いたくありませんわ」

 顔をしかめるフローティアに、たはは、とイリーが誤魔化すように笑うと、リッツがイリーの脇を小突いた。

「そうですね」イリーは言う。「他の方も見て差し上げてください、リグレット様」

「ん、そうだね。そうするよ」

 小さく頷いてリグレットが立ち上がるので、イリーは正直なところホッとしていた。フローティアのお小言は、イリーにとっては助け舟だった。

 リグレットが他の学生のもとへ行くと、フローティアもついとそっぽを向いて去って行く。その優雅な背中に、イリーは思わず両手を合わせた。

「リグレット様は随分とイリーに興味があるみたいね」

 リッツが声を潜めて言う。イリーも、詮索するほど興味を持たれているとは思っていなかった。

「リグレット様は野心家だからね。平民出身が魔法を使える仕組みを解明できれば、魔法学の向上に繋がるから」

「確かに、研究心が疼くことかもね」

「ヒロインもそれに協力することで親密度が上がっていくんだ」

「でも、イリーのお母様が魔法の力を持っているなら、イリーを調べても仕方がないんじゃない?」

 リグレットルートでは、ヒロインも宮廷魔法使いの道へ進むことになる。だが、現時点でヒロインは母の出自を知らないはずだ。リグレットとの親密度を上げていくに連れて判明していくのだ。

「そうだね。まずはお母さんの家系を辿る必要があるだろうね」

「……あなたはその理由を知っているの?」

 リッツが遠慮がちに問いかける。イリーは小さく頷いた。

「簡単なことだよ。お母さんが、お父さんと駆け落ちした貴族の娘ってだけ。お父さんは正真正銘の平民だよ」

 貴族にはありがちなことだ。家柄や地位を重視する貴族にとって、娘は政略結婚の良い手駒になる。平民のもとへ嫁いでも家の利益となることは何もない。そのため、貴族の娘が平民の男と結婚したいと望んでも、家から反対されることは間違いないだろう。そうして、貴族の娘は平民の男と駆け落ちをすることが少なくないのだ。

「……それは、確かに黙っておいたほうがいいかもね」

「きっとリグレット様はがっかりするだろうしね。だから、私がリグレット様と結ばれることはないよ」

 リグレットとの親密度が上がっていくのはあくまで、ヒロインが「平民出身なのに魔法が使える」という謎を追求していくためである。リグレットは興味を惹かれているようだが、イリーはその理由を知っているため、リグレットとは結ばれようがないのだ。

「誰とも結ばれるわけにいかないから、そういう予備知識があるのはありがたいよ。私はただ、フローティア様を愛でていたいだけだから……」

「……確かに、誰かの運命を変えてしまうことを防げるなら、必要な予備知識だったかもね」

「フローティア様の運命を変えるためにも、ね」

 イリーが明るく笑ってウインクして見せると、リッツは少し困ったように肩をすくめた。



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