第4話 オーマンの条件

「やぁやぁ、ミナ嬢! よく来てくれた!」


資料の整理やら機材の確認をしていたら、放課後はすぐにやってきた。何故か青ざめた顔をしたミナ嬢を迎え入れる。


「し、失礼します」


初めて会ったときと同じように、小動物を思わせる動きでミナ嬢は夕暮れの研究室へ足を踏み入れた。血の気が引いた顔に夕焼けの赤は良く映えた。ちなみにアルフレッドはまだ来ていない。同じ戦闘科とはいえどフリーになるタイミングはまちまちらしい。


「さぁ、座ってくれ! さっきはお茶の一つも出さないで悪かったな、ミナ嬢はココアでいいか?」


「は、はい!」


俺のテンションにつられて大きな声で返事をするミナ嬢。


そうだとも、ココアが嫌いな子どもはいない。任せてくれ、これでもココアを作るのは一家言ある口だ。えーと、専用のカップはあったかな……? 研究室の戸棚を開けて中身を確認してみる。ミナ嬢はお湯が沸く間もずっと落ち着かなそうにしていた。


「ほい、おに……コホン、ヴェン特性のミルクココアだ」


「ありがとうございます」


机の上に大きめのマグカップを置く。


危なく昔の癖が出そうになってしまった。幼いミナ嬢にこんなことを言ったらどんな噂が立つかはココアの湯気より明らかだ。


「おいしい──」


ココアに舌を浸す度、ミナ嬢の顔に生気が戻ってくる。

そうだろうそうだろう、俺の特性ココアはクリームとお砂糖たっぷりだからな。お子さまの舌にはドストライクだ。


「少しはまともな顔色になったな」


「あっ──!す、すいません……」


自覚が無かったらしい。幼いとはいえ女性に言うことではないが、さっきまではなかなかひどい顔をしていた。これで少しは話しやすくなるというものだ。


「ミナ嬢。来てすぐのところ悪いが、アルフレッドが来る前に本題を済ませたい」


俺の言葉に子リスのように首を傾げるミナ嬢。いかんな、まん丸なこの子の目を見ていると擦れきったはずの色々な感情が蘇ってくる。


「ミナ嬢」


相手に心の準備の時間を与えるため、わざと言葉を区切る。


「俺は君の秘密を知っている」


言うや否や、与えた時間も虚しくミナ嬢の反応は劇的だった。


「──っ!?」


びくりと体を跳ねさせたかと思うと、右へ左へと視線が泳ぎ、内心を表すようにワタワタと腕は空中を掻き(それでもココアはこぼさなかった)口を開けたり閉じたりして、そこから無理やり押し出されたような息だけが飛び出た。


──こんな子どもに秘密など抱えさせるな。


正直な俺の感想だった。


「落ち着けミナ嬢。言いふらすつもりはない、アルフレッドも気が付いているが同じ考えだ。それに、どうせ学院長あたりは知ってるんだろう?」


人間の生命の歩みに喧嘩を売ってるババァが小娘の隠し事の一つや二つ見抜けないわけがない。


「それは本題じゃない。いや俺にとってはかなり重要だが──そのためにももう一つの疑問を解消したい」


ミナ嬢の一つ目の秘密は俺の研究を飛躍的に前進させる。よだれが出るほど飛びつきたい話だが、そのためには信頼関係を築く必要がある。今の俺は言葉通りパーティーの数合わせでしかなく、それではルールに抵触してしまう。解消するためにはミナ嬢の抱えるもう一つの秘密を聞き出さなければならなかった。


「学院長が出した条件は?」


揺れていた小さい体が止まる。どうやら予想が当たったようだ。


「これでも口は固いつもりだ。友達もいないからな」


俺の軽口にしばらく黙って俯いていたミナ嬢だったが、ようやく意を決したように──それでもごく僅かだが、顔をあげて口を開いた。


「英雄たる証を示せ……と」


「──英雄。」


なるほどあのババァの好きそうな言葉だ。


「オーマン様は次のトーナメントで私に優勝するように言いました。そしたら退学は撤回すると──」


隠し事をした自分を恥じるような口調だった。固く拳を握る姿は、幼いながらもコンサグラドだ。

俺は腕を組んで、しばし目を閉じる。考えるべきは恐るべきババァ、オーライム魔道学院の学院長のことだ。


大魔導師オーマン。


熟練の魔導師から子どもまで、その名を知らない者はいない。かつて勇者グラドと共にこの学院を拓いた現世を代表する大英雄であり、世紀の骨董品。エルフらしい決して衰えない美貌に民からは「女神の使徒」と呼ばれることもある。だが、少し聡い者ならすぐに気付くだろうがそんな綺麗な代物じゃない。


勇者グラド亡き後、戦争と政治が深く結びついた時代に単身でグラシア国とオーライム学院の独立を保ち続けた手腕は並大抵のものじゃない。魔導師としての力量、国を手玉にとる権謀術数。オーマンは怪物の域に達していると言っていい。でなければ、複数の国々と隣接したグラシア国が今日まで中立を保てる訳がない。


「優勝出来なければ退学か」


誤射のペナルティといったところか。正直、事情を知るあのババァがミナ嬢のような歴史に残る才を手放すとはおもえないが……、


「それが私に課せられた条件です」


幼い瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。夕焼けに染まった瞳には今もマナは映っているのだろうか。ついそんなことを考えてしまう。


「嫌なことを話させてしまったな」


「いえ、そのうち分かることでしたから」


その笑顔は決して強がりではない。幼くはあったが、弱くはない。自分自身の責任と誇りを備えた魔導師の顔だ。


「良い機会だ……」


「え?」


意味がよくわからなったのか、それとも聞き取れなかったのか、ミナ嬢の頭に?が浮かんでいる。


当然ミナ嬢は知らないことだが、俺とあのババァにも相応の因縁がある。大魔導師にどんな思惑があるかは知らないが、鼻を明かす機会と思えばそれなりに心がそそられた。


「力の限り協力しよう。俺もあのババァをギャフンと言わせたいからな」


「ば、ババァ……!?」


大英雄のババァ呼びが気に入ったのか、ミナ嬢は体を丸めてぷるぷると笑っていた。それでいい、子どもは笑っているに限る。しかし、


「話の後に淹れれば良かったな、ココア」


これは失敗だった。

少し前から机に貼りついたカップは、もう湯気を立てていなかった。

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