第2話 ミナ・コンサグラド嬢のお願い

そこに魔法があった。


誰かが見せびらかしたわけじゃない。ただ当たり前のようにあったってだけの話だ。


隣のガキも使ってたし、もう一つ隣のガキも使ってた。魔法ってのは別に難しいものじゃない。マナとか呼ばれる存在を知覚できれば誰にだって使える。何でもマナはそこら中にあって、詠唱を使ってそのマナに指向性を持たせるんだとか。


誰かにやれって言われたわけじゃない。


ただ単に俺は約束を守りたかった。


ただ単に俺は──魔法を使いたかっただけだ。


──だから俺に馬鹿げた「お願い」にかまける時間はなかった。


「お願いします!!!」


目の前で小さい体をさらに縮こませて少女が土下座していた。頭を下げた勢いにコンプレックスを刺激する桃色の髪がふわりと浮く。


「帰れ」


「──っ」


「まぁまぁ、もうちょっと聞いてよヴェン。どうせ暇でしょ?」


少女の隣に立つ男が緊張感のない声を出した。


研究室に篭っている相手に暇とはどういうわけか。楽しげに揺れる赤茶けた髪の持ち主を睨みつける。


「コンサグラド嬢も土下座なんかしなくていいよ」


コンサグラド。ようやく聞いた昼飯時に現れた闖入者の名前に自然と片眉を吊り上がった。この目の前のぷるぷる震える物体が『あの』コンサグラドか。


「俺もそこのアホ面と同意見だ。顔をあげてくれ」


これ以上俺の評判が下がったら無実の罪で投獄されかねない。横目でチラチラこちらを伺う研究室の野次馬を手で追い払う。自分が野次馬側ならさぞ見応えのある構図だろう。


「コンサグラド嬢……でいいな? コンサグラド嬢、その頼みってのをもう一回言ってみてくれ」


「は、はい!」


俺の言葉に顔をあげるコンサグラド嬢。星を宿した大きな桃色の瞳がこちらを向いた。


「あ、あのですね、クライさんには進級試験の私のパーティーに加わってもらいたく──」


「やっぱり帰れ」


「ふぇっ!?」


まん丸の瞳が今度は湿り気を帯びていく。まったく、これだから子どもの相手は嫌なんだ……。


「あ、あの、ど、どうしてですか……?」


ビクビクとこちらを伺う顔は親に怒られないか怯えている顔だ。俺が聞いた噂のミナ・コンサグラドとは似ても似つかない。


曰く魔導師の最高傑作。


コンサグラドとはここオーライム魔道学院があるグラシア国の隣人、ジア国に古くから続く家名だ。国土の半分が広大な森に覆われたその土地には生きる骨董品、エルフ達の集落がある。コンサグラド家は代々エルフの住む森の防人を務めている。代々マナとの親和性が高く、優秀な魔術師も多い。

ミナ・コンサグラド嬢の肩口で切り揃えられた鮮やかな桃色の髪は、マナとの親和性が極めて高いことを表していた。


そんなエリートがなぜ俺なんかに──。


大体の予想はつく。隣でニコニコと笑う唾棄すべき悪友、アルフレッド・エイナーの手引きだろう。

こいつはいつも俺に面倒ごとをもってくる。こいつの提案でドラゴンを怒らせたときのことを俺は一生忘れないだろう。


「なぁ、コンサグラド嬢。俺の異名ぐらい知ってるんじゃないか?」


アルフレッドに殴りかかりたい衝動を抑えて務めて穏やかに話しかけると、目の前の小動物は大きな瞳をパチパチとさせていた。まじか。それなりに有名だと思っていたんだが。


未満ノーリーチ、魔導師未満。魔法が使えないんだよ俺は」


口に出すと自然と眉間の皺が深くなる。仕方がない。正確には「悪名」だからな。

真っ黒な髪を見てもらえればわかるとおり、俺はマナとの親和性が限りなく低い。どんな幼い子どもでも知覚出来るマナを俺は感じることができない。ガキの頃はみんなが揃って嘘をついているんじゃないかと疑ったほどだ。


「ようわからんが、『戦闘科』のパーティーに参加するってことは戦うってことだろ? どう足掻こうが俺は役に立てそうにない」


「え、あの──え、エイナー君!?」


振り返りアルフレッドの顔を確かめるコンサグラド嬢。この大馬鹿者が、やっぱり隠してたか。


「で、でも、どうしてこの学院に?」


当然の疑問だ。普通ならどんな大金を積んでも、俺のような存在がオーライム魔道学院に入ることはできない。


「一つだけ研究の成果を提出した。それでなんとか潜りこめた」


実際それすらどれほどの意味があったのかわからない。結局、あのババァの気持ち一つといった感じだった。研究科という制限といくつかの条件と共に魔導師の楽園に運良く滑りこむことを許された。


「そうなんですか……」


コンサグラド嬢が消え入りそう声をだす。


これでなんとなく話は落ち着きそうだったが、馬鹿がそれに「待った」をかけた。


「ヴェン、さっきから聞いてれば──魔法が使えないぐらい何さ!? 僕たちには愛と勇気があるじゃないか! 魔法が使えないくらい些細な問題さ!」


勢い良く立ち上がったアルフレッドは拳を前に突き出し、そんなことを言った。おまえは愛と勇気で一般人を戦場に連れて行こうとしてんだよ。俺の視線は魔法を使わなくたって冷気を発していたことだろう。

こいつのわけのわからん爽やかさに誤魔化されてはいけない、正体はヘドロを煮詰めて出来たナニカだ。


「愛と……勇気……」


いや揺れるなよコンサグラド嬢。確かにお子ちゃまが好きそうな言葉だけど。


「そうだとも、そうやって僕たちはいつも困難を乗り越えてきたんだ! ドラゴンに追いかけられた時もそうだった! デュラハンの首を持って逃げたときも! ──それに、例えば一年の進級の時だって! そうだろヴェン!?」


──こいつ痛いところをつきやがる。


確かに目の前の性格ドブカス男の言う通り、一年の進級試験の時、俺はこいつに助けられていた。ご存知のようにマナが欠片も扱えない俺は、理論の実証をこいつに頼むほかなかった。


「あれは危ないところだった! 危うく僕のになるところだったじゃないか!?」


わざとらしく「後輩」を立てやがるカス。塵芥の思い通りになるのは癪だが、ルールに従えばこの頼み事は断れない。『恩には恩で返せ』だ。コンサグラド嬢も期待を込めた目で見るんじゃない。


「はぁ……」


ため息一つ。言いたいことは沢山あるが、人の苦しむ様が好物の妖怪にわざわざくれてやることもない。


「わかった、わかったよ。おまえがソレを引き合いに出すなら受けてやってもいい。それで貸し借りは無しだ」


「ほんとですかっ!?」


笑顔の桃の花が咲く。あまり期待されても困るが、


「コンサグラド嬢、俺は戦いに関してはまったくの素人だぞ?」


「だ、大丈夫です! パーティー申請さえ出来れば! 大船に乗った気でいてください! あ、それとミナで大丈夫です。エイナー君も」


言外に数合わせと言いながら、薄い胸をドンと叩くミナ嬢。大船に乗った気でいる人間は常に泥舟に乗ってる気がするのは何故なのだろうか。


「ミナ嬢、僕もアルフレッドでいいよ!」


「うん、エイナー君!」


「あれ?」


渾身のスルー。

訂正、意外と頼もしいかもしれない。


「じゃあ──」


話がまとまるとミナ嬢は「今日が締め切りなんです」と申請用紙を手に慌てて研究室から出て行った。後には残ったのは子どもを拐かす悪魔と被害者。


で──、


「説明はあるんだろうな。エイナー君」


俺は相変わらず真意の見えない顔を睨みつけてやった。

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