第32話 優しい記憶

 レインが用意してくれた馬車に乗り込んだ三人は、緊張の糸が切れたかの様にダラリと身体を弛緩させ、放心状態となっていた。


「アーくん、本当に体調は大丈夫なの?」


 リサラがアークに声をかけた。リソラの太ももを枕にして倒れ込んでいたアークは目線をリサラに向けて答えた。


「…平気、ちょっと眠いくらいでなんともない」

「髪、ここだけ黒くなってるね」


 アークの灰色の髪の一部が黒く変色していることに気付いたリソラが心配そうにアークの髪を撫でた。


「あの、石の影響かな?」

「うーん、メッシュみたいで悪くないと思うけど。髪が伸びたら元に戻るんじゃない?」


 リサラもアークの黒くなった毛先を指で突いて言った。


「…ソラも無事でよかった」

「うん、私も二人が無事で安心した。あ、リサも平気? 怪我とかしてない? ……リサ?」

「……うぅっ! 怖かったよぉー!」


 リサラが突然、大声で叫びながらリソラに抱きついた。


「わたし絶対、ソラは助けに来てくれるって信じてた……! 信じてたよー!」

「リサ……。うっ、うううっ〜! 遅くなってごめんね〜!! みんな無事でホントによかったぁ〜!」


 リサラにつられてリソラも大声で泣き出してしまい、アークは慌てて起き上がると双子の頭を撫でて慰めた。



「教会、見えなくなっちゃったね……」


 リサラが馬車の後ろの窓を覗きながら、つぶやいた。


「うん」

「…あの日、教会から逃げ出した日。僕は捨てられたんだと思ったんだ」


 眠たげな眼を擦りながら、アークは静かに語り始めた。


「…シスターは僕を殺そうとしたんだ」

「アーくん……」

「でも、殺されなかった」


 双子は黙ってアークの話を聞いていた。


「…みんな司祭の計画を知っていて、どうにかしようとして、きっといっぱい悩んだんだと思う」


 アークはあの雨の日の出来事を思い出していた。


『ここから出て行きなさい! もう、二度と戻ってこないで!』


 夜中にシスターに連れ出され、ナイフで斬りつけられたあの時、彼女がどんな表情をしていたのか思い出そうと目を閉じる。


「…きっと、殺せなかったんだ。みんな優しい人たちだったから」


 あの日、必死で逃げ出した教会の窓から見えたシスター達の視線を、ひとつひとつ思い出していた。


「…みんな、僕の家族で、僕のお母さんだったから」


 窓に立つシスター達の視線はアークが思っていたような冷たいものではなかった。その事にようやく気がついたアークは静かに涙をこぼしたのだった。



 三人を乗せた馬車が突然ガタリと揺れた。


「わっ! びっくりした」

「小石か何かを踏んだのかな」


 アークが窓から後方を覗き込むが、特に変わった様子は見られなかった。


 馬車が去った遠くの道で、不自然に盛り上がった土の中から人の手が這い出していた。しばらくすると手はまた土の中に元に戻っていったのだが、三人がこの事に気付くのはまだしばらく先の話になるだろう――。

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