第20話 逃げ出した少年
真夜中、簡素なベットに敷かれた毛布にくるまり、アークは窓を打ち付ける雨の音を聞いていた。いつもなら、すでに眠りについている時間帯だが、この日は何故か眠ることが出来なかった。
昼間、いつもの様に礼拝を終え、任されている鶏小屋の掃除をするために中庭へ向かったアークは一人のシスターに声をかけられたことを思い出していた。
「アーク、今日も真面目に勤めを果たしていますね」
「…メイアシスター」
メイアという名のシスターは静かな笑みを口元に浮かべ、アークに手のひらを差し出した。アークは差し出された手に、自分の手を重ねる。
アークの身長に合わせ、かがみ込んだシスターはアークの手の甲に焼き付けられた印にそっと触れた。シスターの左手にもアークと同じ刻印があったが、だいぶ昔に焼き付けたもののせいか、少し色が薄くなり消えかかっていた。
アークはシスターの意図が分からず、ただ黙って重ねられた手を見つめていた。
「……」
昼間の光景がなぜか頭から離れず、アークは無理やりに目を閉じ、眠ろうと毛布を被り直した。
その時、不意に部屋の扉が開き、誰かが中に入ってきた。
「アーク、起きなさい」
「…シスター?」
アークは驚いて体を起こした。部屋に入ってきたのはメイアだった。
メイアはいつもの穏やかな表情とは全く違う、冷たい表情をしたまま、アークの腕を掴むと強引に部屋から引きずり出した。
「…シスター? どうしたの?」
「黙ってついて来なさい」
不安げな表情を浮かべるアークに対し、メイアは眉ひとつ動かさず、アークの手を掴んだまま暗い廊下を進んでいった。
アークは自分が何か粗相をして、折檻されるのだと思い、自分の日頃の行動を振り返ったが思い当たる節がなく、ただ困惑したまま押し黙るしかなかった。
「……っ」
シスターは自身の爪が食い込むほどに強くアークの手を握った。アークは痛みに顔を歪める。いつも優しいくて温かいメイアの手は、まるで別人のように冷たかった。
メイアは裏庭に出る扉を開けると、雨の降りしきる屋外へとアークを押し出した。
背中を強く押され地面に転がされたアークは、土砂降りの雨に打たれ、その手や顔に容赦なく泥水が跳ね返った。
「…シスター?」
一瞬でずぶ濡れになったアークは、戸惑いの視線を隠せなかった。メイアはアークを見下ろしたまま、口元に歪んだ笑みを浮かべると、その腕を振り上げた。
「…どう、して」
落雷の光が二人を照らす。シスターのその手には銀色に光るナイフが握られていた。
「……!」
アークはメイアが振り下ろしたナイフを避け、そのまま一目散に裏門へと走り出した。門を開け、教会の敷地から出る際、アークは一瞬だけ教会を振り返った。
こんな事は何かの間違いであってほしい。自分がなにか粗相をしたのならば謝るから、どうか許して欲しいと、訴えればシスターは受け入れてくれるだろうか?
アークはわずかな希望にすがり、教会を見上げた。
「…っ!」
見上げたその教会の窓には、眠っているはずのシスター達が窓越しにジッとこちらの様子を伺っていた。
その冷たい無数の視線に絶望したアークはそのまま教会を後にした。
・
・
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「あ、気がついた?」
目を開けたアークに気づき、リソラが声をかけた。
「…ソラ?」
毒に侵されたアークは一時的に気を失っていたが、リソラが作った薬によりすっかり顔色もよくなっていた。しかし、教会での出来事を夢に見ていたせいか、その額には大粒の汗が浮かんでいた。
「すごくうなされてたから、心配したよ? まだ気分悪い?」
心配そうな表情でアークの額の汗を拭うリソラ。
「……」
「ん?」
問いかけに反応しないアークにリソラは首をかしげた。
「まだ刺されたところ痛い?」
リソラに言われて、アークは刺された右腕に目を落とした。丁寧にハンカチで毒消しの葉を巻きつけられている。腫れも痛みもすっかりと引いていた。
「…大丈夫。痛くない」
アークはそれだけ言うと、起き上がりズレたターバンを直した。
「そう、よかった」
リソラが安心したように笑顔をみせ、隣で様子を見ていたリサラもホッと息を吐いた。
「本当にごめんね、二人とも……」
リソラが二人に向かって頭を下げた。
「え、なにが?」
突然頭を下げられたリサラはきょとんとした。
「二人を危険な目に合わせて……」
リソラはひどく肩を落とし、反省しているようだった。リサラが慌てて、否定する。
「ソラのせいじゃないよ! アーくんが虫に刺されたのだって、私が焦って暴れまくったせいだし!」
「でも、最初に薬草取りを提案したのは私だもん……」
ソラはなおも、申し訳なさそうに頭を下げる。
「……私、何も出来ないのに、本で見た知識だけでわかった気になって……。二人にはすごく迷惑かけたし、あんな危険な目にも合わせちゃって、本当にごめんなさい」
「だから、ソラは何も悪くないよ。悪いのはテンパって暴れた私だって!」
二人のやり取りを見ていたアークが口を挟む。
「…ちがう。二人は何も悪くない。悪いのは僕だ。僕がもっと注意してたら、虫になんて刺されなかった」
「ちょっ、ここでアーくんまで入って来たら収拾つかなくなるでしょ!」
アークの乱入にリサラが思わずツッコミを入れる。
「でも、元はと言えば私が……」
「…僕が悪かった」
「あ、もー! じゃあこうしよう! 全員悪いって事で三人でごめんなさいしよう」
頭を抱えたリサラが声をあげた。
「三人で?」
「連帯責任ってやつ」
「…れんたいせきにん?」
「仲間の誰かが悪いことをしたら、みんなで反省するの」
リサラがアークに説明をする。
「…みんなで?」
「そう、私たち三人はもう仲間。いや、仲間以上の絆で結ばれた家族だから!」
「…家族」
「じゃあいくよ?」
リサラが二人に確認する。
「え? え?」
「さんはい!」
「ごめんなさい!」
「ご、ごめんなさい!」
「…ごめんなさい」
「「「……」」」
「……ふっ、タイミングバラバラだし」
締まりの悪さに、リサラは苦笑する。
「だって急すぎるから……」
リソラも釣られて笑みをこぼす。
「…これで終わり?」
「ん、もうおしまい! この件はこれで一件落着です!」
リサラはスッキリとした声でそう言った。
・
・
・
「ねぇ、ソラ。あの、
「え、どうして?」
「あれ使って、今度こそ薬草を見つけないとじゃん」
「あ、そうだ! 薬草探し、忘れてた……」
「ええ、忘れないでよー」
「…はやく探そう。もうそろそろ街へ戻らないと日が落ちる」
「そうだね、この辺に生えてるみたいだから手分けして探そう」
「オッケー」
三人はなるべく林には近づかないように気を付けながら、草むらの中を探し回った。
「さっきのは一体なんだったんだろうね? あの鳥もいつのまにかいなくなってるし」
「そういえば、あの鳥どこ行っちゃったんだろう?」
リソラが木の枝に止まってないかと思い辺りを見回すが、青い鳥の姿はどこにもなかった。
「きっと呪いの本だよソレ。さっきのソラ、死人みたいですごく怖かったもん」
「えー、やめてよ〜。あの時、私意識あったんだけど」
「え、意識あったの? 目は完全に死んでたっぽいけど……」
「ええ〜? そんなに? ……まぁ、確かに意識はあっても体は全く動かせなかったから、すごく気持ち悪かったのは覚えてる!」
リソラは
「…本がどうかしたの?」
「ああ、アーくんは見てなかったから知らないか。さっきアーくんを助けた解毒剤、ソラが作ったんだよ」
「私が作ったっていうか……、なんとも説明しづらいんだけど。この本のおかげかな」
リソラは本の入ったカバンをポンポンと叩いた。
「いやホント。高かったけど買って良かったね。この本が無かったら今頃どうなってたか」
「ほんとだね〜」
「…どうして、その本がほしかったの?」
アークが素朴な疑問をリソラにぶつけた。
「……え? そういえば、どうしてかな? 質屋に入ったとき、一番最初に目について……。理由は無いけど、どうしても欲しくなったんだ」
「やっぱ呪いの本だよ、それ」
「まぁ、呪いでもなんでも実際、助かったわけだし、なんでもいいよ」
「そ、そう? まぁ、ソラがいいなら、それで良いけど。……ねぇ、ソラ。その本、後で私にも見せてくれない?」
「え、どうして?」
「私、ちょっと反省した」
「反省? なにを?」
「ソラの言うことちゃんと聞かなかったこと。私もこの世界が、元いた世界とは違うんだって事、いい加減認めるわ」
「リサ……」
「だから、私もこの世界のこともっとちゃんと勉強して、強くならないとと思って」
「……うん、わかった。一緒に勉強して、強くなろうね!」
「うん」
双子は新たな絆の深まりを感じて互いに笑みを浮かべた。
「…薬草、なかなか見つからないね」
「さっきは一瞬で見つかったのに……。やっぱり自力で探すのは無理なのかな?」
「うーん……」
リソラは鞄から本を取り出し、薬草の記述を確認しようとページをめくった。
「……ん? あ、ここに説明が書いてる。これでスキル使えるみたい。えーと、
リソラが本の記述を指でなぞる。すると、先ほどの光の蝶が再び飛び出した。
「出た!」
「…蝶々だ」
アークはポカンとした表情で光る蝶を目で追った。
「あ、アーくん。えっとね、この蝶が止まったらそれが薬草っぽいからそれを取ってきてくれる?」
「…わかった」
アークは頷き返すとすぐさま、光る蝶を追いかけていった。
「ソラ、使い方分かるの?」
「えっと、なんとなく?」
「えー、いいなぁ。わたしの魔法もそういう風にわかりやすくなんないかな?」
「……コマンド選択したり?」
「あー、それそれ! あと、必殺技とかもワンクリックでバーンっと」
「…取ってきた」
「わ!」
「あは、ごめんごめん。話しに夢中になってた」
ほんの数分の間でアークは沢山の薬草を取ってきた。
「わー、いっぱい取ってきてくれたんだね! ありがとう」
「…色々取ってたら、途中で蝶々消えちゃった」
「あれ、そうなの?」
「本当だ。蝶々消えちゃってる」
「まぁ、こんだけあれば十分じゃない? そろそろ街に戻ろうよ」
「そだね、質屋さんが閉まらないうちに、行こうか」
リソラ達は採取した薬草類を落とさないように分け合って、急いで街へと戻る事にした。
・
・
・
「こ、これは……、特上薬草! それに、こっちは月影草じゃないか! こんな貴重な素材、一体どこで見つけたんだい?」
「え? えーっと、たまたま?」
「偶然?」
店に薬草を持ち込むや否や、店員は目を丸くして双子に詰め寄った。どうやら、薬草の中には薬草以外の貴重な植物も入っていたようで、店主は気前よく全てを買い取ってくれた。
「……三万ルキィ」
店を出た三人は驚きのあまり、しばらく放心したように店の前で立ち尽くしていた。
「え、凄すぎない? 薬草儲かりすぎない?」
「…よかったね」
「うん!」
「じゃあ、次は装備品を整えに行こう!」
すっかりテンションの上がった三人はそのままの勢いで、装備品を買うために次の店へと向かった。
店に入るなり、リサラがが展示してあったマントを見て目を輝かせた。
「あ、これいいじゃん! ねぇ、このマント、短めで可愛くない?」
「あ、良いと思う! 私もリサと同じやつがいい!」
「じゃあ、イロチにしよ! ソラはこっちの青いのが似合うと思う!」
すっかり買い物に夢中の双子を余所目にアークは手頃な服がないか物色していた。
「どう? 似合う?」
双子は何度か試着をして、そのたびにアークに意見を求めた。
「…いいと思う」
「アーくんさっきからそれしか言ってないじゃん。もっと可愛いねーとか、その色いいねーとか、言わないとモテないよ?」
アークの反応の薄さにリサラが不満げに頬をふくらませる。
「リサ、リサ! これどう? 猫耳パーカー、アーくんに!」
「…ネコミミ」
リソラが猫耳のついたフードを見つけて、アークに当てがった。
「ヤバーイ! 何それ、めちゃくちゃかわいじゃん!」
「インナーはこの色がいいよね? 下はどうしよう?」
「やっぱ、若いんだから足は出さないともったいないよね! ……このハーフパンツが良いんじゃない?」
「あ、いいかも。そしたら、靴は〜……」
双子はさらにテンションを上げてアークの装備品を揃え始めた。アークは半ば無理やり試着室に入れられ、双子達に言われるがままに装備を整えた。
「完璧!」
「どう、アーくん。着心地は?」
「…悪くは、ない」
「よし、じゃあこれで決まり!」
「じゃあ、私お会計してくるから、二人は先に外で待ってて」
「はーい」
店員に装備品を着て帰る旨と、着てきた服の処分を頼み会計をするためリソラは店の奥へと向かった。リサラとアークは先に店を出て行った。
「それではお会計、二万六千ルキィになります」
「……え?」
「?」
「あ、えと……、に、にまん……」
服に値札がついていなかったので、気に入ったものを全て身につけたのが仇となり予想以上の出費となってしまった。
(今夜も野宿決定かな……)
リソラは返品も考えたが、リサラ達は先に店を出て行ってしまったので、諦めて全額支払うことにした。
・
・
・
「リサ〜、またお金使いすぎちゃったよ〜」
「……それは困ったね」
リソラが困り顔で店を出ると、突然男が声をかけてきた。
「……あ、あなたは!?」
リソラは驚き、身構える。
声をかけて来たのは、自分たちを誘拐したトリオン・リーバーだった。
「おっと、静かに。……わかってるよね?」
「……ソ、ソラ」
トリオンの後ろには仲間に腕を掴まれ捕らえられたリサラとアークがいた。
「大人しく付いて来てくれたら、誰も傷つけたりしないよ」
笑顔の青年はリソラの耳元でそう静かに呟いた。
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