第27話 黒い獣の正体

「――この国がここまで繁栄してこれたのは、全て女神の加護があったからだ」


 司祭は祭壇に飾られた女神像を見上げ、恍惚とした表情を浮かべていた。


「女神アリアテレーゼの御言葉はどれも慈愛に満ち、いついかなる時でも私達の行末を示してくれる……」


 司祭はゆっくりと振り返り、リサラとアークを見た。


「お前達も知っているだろう。神都ミコシミオールが陥落し、教団の地位も失墜した。今や野蛮な王族どもが魔導師に変わり国を統治し、女神や精霊を敬おうともせず、あまつさえ魔術を禁忌とする都市さえ出てくる始末……」


 司祭は忌々しいと言わんばかりに唇を震わせ、大袈裟に頭を振った。


 アークは目の前に立つ司祭の顔を見て思った。あれは本当に自分の知っている司祭なのだろうかと。毎日顔を合わせていた司祭はとても温厚で、いつも自分に優しかった。


「だから私は、今一度この国に女神の威光を……!!」


 自らの語りに徐々に気持ちを抑えられなくなった司祭は拳を強く握りしめると、声高に叫んだ。


「――教会の権威を取り戻さなければならないのだ!!」

「…一体、何をするつもりですか?」


 アークが恐る恐る司祭に問いかけた。


 教会にいた頃の父として慕っていた司祭の面影はもはやなく、今は得体の知れない黒い獣を従えた悪魔のようだった。


「…みんなは? ……シスター達は、どこへ?」

「ああ、アレは……」


 司祭がチラリと視線を黒い獣に向けたその時、アスティが勢いよく教会内へ飛び込んだ。


「そこまでだ!!」

「な、何だ貴様は!?」


 突然の侵入者に司祭は驚き、身構えた。


「おのれ、まだ邪魔者が残っていたのか……。私の計画を邪魔する奴は1人残らず消してやる! やれ、お前たち!」


 司祭の掛け声と共に、二匹の獣がアスティ目掛けて飛びかかった。アスティは獣の攻撃をギリギリで交わしながら応戦する。


「これ以上邪魔が入ると面倒だ……。少し早すぎるが、致し方ない……」


 一向に決着がつかない戦いに、祭司が焦りの表情を見せ始める。


「来なさい。アーク」

「ちょ、ちょっと! アーくんをどこに連れて行く気!?」


 司祭はアークの腕を強引に掴み、立ち上がらせた。


「うるさい小娘だな。アークがどうしてもと言うからから生かしておいたが……。もはや用済みだ!」


 必死の抵抗を見せるリサラだったが、両手を縛られた状態では大した攻撃も与えられず、簡単に足蹴にされてしまう。


「……きゃっ」

「…リサ!」


 冷たい床に転がされたリサラの顔を、祭司は思い切り踏みつけようと一歩前へ進み出した。だが、司祭の左足は床に凍り付いたまま動かなかった。


「な、こ、これは……!?」

「まるで司祭とは思えない立ち振る舞いだな」

「……!?」


 祭司が首だけを後ろに向けた。その視線の先には指先で氷を弄ぶ、魔法使いが立っていた。


「さあ、このまま氷漬けにされたくなければ、お前がどんな事を計画していたのか詳しく聞かせて貰おうか」


 レインは薄っすらとした笑みを浮かべる。しかし、司祭は恐怖とは別の表情で目を見開いて声を震わせた。


「これはまさか、氷魔法……? もしや貴方は、白銀魔導士様ですか?!」

「……」


 レインはその問いには答えず、酷く忌々しそうに顔を歪ませた。


「おおお、なんという事だ。まさかこんなところで伝説の生き残りにお会い出来るとは…!! 女神はまだ私を見限ってはおられなかった!!」


 身動きの取れない不利な状況にも関わらず、司祭はなぜか嬉しそうな表情でレインを見つめていた。


「魔導士様、どうか聞いていただきたい。私の崇高なる計画を……」

「……」


 レインはあえて返事を返さなかったが、司祭は構わず語り始める。少し離れた場所から様子を伺っていたリソラは、ゆっくりと司祭の背後に周りこんだ。


「我々、女神教の信徒は、今もまだあの日の栄光を忘れてはいません。貴方もそうでしょう。故郷の神都は閉ざされ、青の国が強引に神の権利を奪い去った。……こんな世界は間違っている! だから、我々はこの世界に再び清浄なる光を灯す為に立ち上がったのです!」


 祭司は胸元にかけていたペンダントを強引に引きちぎると、レインに見せつけるようにして高く掲げた。


「これはその最初の一歩」

「それは、まさか……」


 レインの表情がみるみるうちに険しいものに変わってゆく。


「さすがは白銀魔道士様。コレの存在をご存知でしたか」


 祭司は満足そうな表情を浮かべると、ペンダントの先に付いた卵形の宝石を光にかざした。鮮黄色の宝石は鈍い光を教会内に反射させる。


「それは、神都の地下に封印されていたもののはず。どうやって持ち出した?」

「これは我が同志から託された卵殻石。これを受胎させ、強大なる神秘とともに女神復活の導となるもの」

「……」

「そのために私は長年育ててきたシスター達を生贄にする計画を進めてきたのです……。しかし、ここの淫売シスターどもはことごとく洗礼に背き、その身体を醜く汚した!」


 祭司はワナワナと肩を震わせて、怒りに顔を歪ませた。


「何のために、私が身寄りのない子供を集め育て上げたと思ってるんだ! 潔き肉体と魂を神に捧げるためだ!! すべてその為に育ててきたというのに……!!」


 祭司の後ろで、静かにリサラ達に近づいたリソラは音を立てないように慎重に二人の縄を解いた。


「なんて傲慢さだ、反吐がでる」


 レインは司祭の注意を逸らさないように、煽りつづける。


「ふふふ、しかし、やはりものなのですよ、魔導士様」


 もはや、レインとの会話は成立しておらず、司祭は陶酔した様子で自らの語りに溺れていった。


「神秘性の資格を失った者たちは、卵殻の覚醒に耐えられず、みな死にました」


 司祭のその言葉にアークは足を止めた。逃げ出す寸前だったリソラ達は慌てて、アークの元へ駆け寄るが、アークは目を見開いたまま身動きひとつしなかった。


「アークくん、どうしたの? 早く逃げないと……」


 リソラが小声で語りかけるが、アークは身を固くしたまま押し黙る。


「ああ、あとは稀に姿に変わってしまいましたねぇ!」


 突如、ドガガガ!!という轟音とともに、教会の椅子をなぎ倒しながら、黒い獣が祭壇の前まで勢いよく飛ばされてきた。


「あ、あ、あああ……」


 倒れた獣を前にして、アークはその正体を知った。その大きな瞳が涙で揺らいでゆく。司祭は吐き捨てるように言い放った。


「あの黒い獣を見ましたか? あれは愚かなシスターの罪の姿なのですよ」


 アスティに倒された獣は黒い泡となって消え、残されたもう一匹が再びアスティ目掛けて飛び掛かった。


「まさか、お前……」


 レインが驚愕の表情を浮かべる。


「なんと醜い姿でしょう! もはや知性の欠片もない!! しかしだからこそ、使えるというもの。長年、共に過ごした家族シスターをも一瞬で食い殺すことができるのですからねーーーーー!!」


 司祭の高らかな笑い声に被さるように、アークの絶望が教会中にこだました。


「――あ、あああああああああああ!!!!」

「アーくん!!」


 アークは、リサラ達が引き止める声を振り切って司祭に掴みかかる。


「…なぜ!? なぜですか、司祭様!! なぜシスター達を……! うあああああああ!!」


 司祭は泣き叫ぶアークの頭を優しく撫でつける。


「……アーク、生まれ落ちてすぐに捨てられた哀れな子供よ。今こそ、お前が生かされ続けた意味を授けようじゃないか」

「…!?」


 司祭が高く掲げた宝石から禍々しいほどの黒い霧が勢いよく吹き出し始めた。


「やめろ!」


 レインがすぐさま、氷の矢を司祭に向けて放ったが、矢はまるで見えない壁に当たったかのように砕け散った。


「無駄ですよ、魔導士様。いくら白銀魔導士とはいえその程度の魔力ではこの卵殻は壊せません」


 いつのまにか足を拘束していた氷もなくなり、自由を取り戻した司祭は静かに笑みを浮かべた。


「これは、女神の眷属が残した聖遺物レリクス。――目覚めよ、”獣の王ビーストノア”!!」


 司祭はゆっくりとその宝石をアークの胸元へと押し付けた。

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