第26話 朽ちた教会

 馬車を降りた三人は、教会を目指して歩み出した。しばらく道なりに進むと、アスティが突然立ち止まって言った。


「人がいる」

「どこだ?」


 道の脇に視線を向けると、茂みの中に男が1人、うずくまっているのが見えた。リソラはその男の顔を見て驚いた。


「あの人、倉庫にいた見張りの人……!」


 男はアスティ達に気がついても逃げ出したり、威嚇する様な様子はなく、酷く怯えた顔をしていた。よく見ると男の身体には何かに引っ掻かれたような傷が無数にあり、うううっと苦しそうな呻き声をあげた。


「おい、何があった?」


 レインが男に声をかける。男は随分と怯えた様子で、震えながら呟いた。


「ば、馬車が襲われて……く、黒い狼みたいな化け物が突然……!」

「黒い狼?」


 それを聞いたアスティが何かを思い出したかのように呟いた。


「妖魔だ」

「妖魔だと?」


 レインが眉を潜めて聞き返した。


「俺も、あの街に来る途中で黒い狼みたいな獣に襲われたんだ。一緒にいたマルタさんが、アレは妖魔だって言ってた」

「まさかこんなところに妖魔が出るはずが……」


 レインはさらに眉間にシワを寄せ独り言ちた。


「とにかく気をつけて進むぞ」

「ああ」

「え、この人は?」


 リソラが傷を負った男を心配そうに見た。


「そいつはお前の家族を拐った奴等の仲間だぞ。助けるのか?」

「そ、それは……」


 レインはそれ以上何も言わず、さっさと一人で歩き出してしまった。リソラがどうするべきか迷っているとアスティが男に声をかけた。


「おい、この道を戻ったところに馬車が止めてある。助かりたければ自力でそこまで歩いていけ」

「あ、ああ……た、たすかる……」


 男はフラフラとよろめきながら、自らの力で馬車のある方へと歩き出した。


「アスティ……」

「大丈夫、あれくらいの傷じゃ死なないさ。それより早く教会へ行こう」

「……うん」


 リソラは頷き、アスティの後に続いた。

 しばらく歩くと、少し小高い場所に建てられた古びた教会が見えた。三人は裏口と思われる鉄扉を開けて、中の様子を窺った。


「……静かだな」

「噂通りだとすれば、もう人はいないはずだ」


 どのくらい放置されていたのか、人の手入れがなくなった教会は荒れ放題でひどい有様だった。


「ここから中に入れそうだ。行くぞ」


 レインが鍵の開いたままになっている扉を見つけて中へと入っていった。


「これは……」

「な、なにこれ……」


 建物の中へ足を踏み入れた三人は、その異様な光景に息を飲んだ。

 扉から続く薄暗い廊下の壁には無数の爪痕があり、その壁や床には血痕の様な赤黒い染みがいくつも出来ていた。


「この傷、獣の爪痕みたい……」


 廊下の壁に付けられた大きな傷を見ながら、リソラが震えた声で呟いた。


「妖魔の仕業かな?」

「……」


 アスティの言葉にレインは何も返さなかった。


 三人はいくつかの部屋を通り向けたが、どこもかしこも似たような状況だった。ただ、これだけ荒らされているにもかかわらず、死体などは一切見つからず、ただおびただしい量の血痕だけが壁や床を汚していた。


「……たぶんこの先が教会だ」


 アスティが最後の扉に手をかけた瞬間、ドクンと心臓が脈打った。強い目眩と共に見たことのない光景が脳裏に浮かびあがってくる。


 それは、ここで過ごしたシスター達の日々の様子だった。


「どうした?」


 突然、膝をついたアスティに驚き、レインが声をかける。


「わ、わからないけど、何か……嫌な感じがする」


 アスティ自身も何が起こったのか理解出来なかった。扉を開けると、その先は中庭へと続いていた。どうやら教会は中庭を超えたその先にあるようだった。


「……話し声がきこえる」


 三人は中庭を横切り、教会へと続く廊下を進んだ。


 リソラが何気なく中庭へ視線を向けると、幾つもの白い木の棒が地面に突き立てられているのに気がついた。あれは何だろうと、アスティに声をかけようとした時、レインが振り返り人差し指立てて後ろにいる二人に静かにするよう合図した。


 アスティが扉の横にある窓を指さし、リソラと共にゆっくりと窓まで近づいた。


「誰かいる」


 最初にアスティが中の様子を伺い、囁いた。中は想像していた通り教会になってた。中を覗いたリソラが「あっ……!」っと言葉を発し、慌てて自分の口を抑えた。


「あの二人?」


 アスティの言葉にリソラはこくこくと首を縦に振った。部屋の中央にいたのは、縄で縛られたリサラとアークだった。


「もう一人いるな。あの祭壇の前にいるのは、司祭か?」


 レインも窓の外から中を確認する。祭壇の前に立つ男は濃紺の服を身にまとい、何か話をしている様だった。


「二人とも、あれ見て!」


 リソラが司祭らしき男の後ろを指さした。そこには黒い獣が二匹いるのが見えた。


「妖魔か。まさか本当にいるとはな。しかもあの男が従えているのか? にわかには信じられんが……」


 レインが怪訝そうな顔をして呟く。


「どうする?」


 アスティがレインに声をかけた。


「そうだな。状況からして、あの司祭が二人を保護しているとは考え難い。話をするにしても、問題はあの妖魔だ」

「なら俺が妖魔の気をひいて囮になる」

「……できるのか? 相手は二匹。しかも妖魔だぞ」

「大丈夫。やるよ」


 アスティは腰に下げたの剣に手をかけ頷いた。


「だが、相手の手の内が分からずに挑むのも分が悪い。何が目眩しになるようなものがあれば……」

「目眩し……。煙幕とかそういうのですか? それなら私、作れるかもしれません」

「なんだ、君は薬術師ケミスターなのか?」


 レインが意外そうな顔でリソラを見た。


「ケミスタ? ……それが何かは分かりませんけど、えっと、確かこの本に煙幕とかの作り方が書いてあった気が……」


 リソラは聴き慣れない言葉に首を傾げながら、背負っていた鞄から青い本を取り出した。


「その本、まさか……、”デミウルゴスの書”か?」

「え?」


 リソラが取り出した本を見た瞬間、レインが信じられないと言った顔で呟いた。


「勘弁してくれ、なんだってそんな物がここにあるんだ……」


 レインは額を押さえて、深いため息と共に頭を振った。


「冥府の剣に続いて、デミウルゴスの書とは……。頭が痛くなる」

「え、俺の剣も?」


 アスティが不思議そうな顔で聞き返した。


「レイン、この本のこと何か知ってるんですか?」

「……とりあえず、その本はしまっておけ。使う必要はない」

「え? ……あ、はい」


 レインはリソラの問いには答えず、強引に話を戻した。


「仕方ない。ならば、オレがあの司祭の相手をしよう。ソラは隙をみてあの二人を連れ出せ」

「……は、はい! 分かりました」


 リソラは鞄に本を仕舞い、もう一度、窓の外からリサラとアークの姿を確かめた。


「今、助けるからね。2人とも」


 自らの震える手をギュッと握り締め、リソラは静かに立ち上がった。


「2人とも準備はいいか?」


 レインの言葉にアスティとリソラは黙って頷く。


「アスティ、気をつけて」


 リソラの言葉にアスティは口角を上げ笑い返すと、勢いよく扉を開けて教会の中へと飛び込んで行った。

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