第五章

第24話 馬車の中で

「あれ、ソラどこいくの?」


 リサラは目の前を歩くリソラに声をかけた。制服姿の彼女は静かに歩みを止めたが、振り返りはしなかった。


「ちょっと、無視しないでよ」


 リサラは肩を掴み、強引に振り向かせる。


「     」

「……なに? 聞こえない」


 リソラは静かに唇を動かすが、声は聞こえなかった。


「あ、ちょっと待ってよ!」


 再び歩き出したリソラを慌てて追いかけるが、周りの空気が重く身体中にまとわりつくようで、思うように走れなかった。


「お願い待って! 私も一緒に……」

「     」


 リソラは振り返り、再び唇が言葉を紡いだ。


「――ソラ!!」


 リサラは大声を上げて飛び起きた。しかし、その視線の先にリソラの姿はなく、状況を理解するまでに少しの時間を要した。


「…リサ、大丈夫?」


 隣にいたアークが心配そうに声をかけた。


「……アーくん?」


 アークに気が付いたリサラはようやく自身の状況を理解し、改めて周りを見渡した。足元から伝わる振動に馬車に乗っているんだと理解した。


「……ソラはどこ?」

「…無事に逃げれたと思う」

「逃げた? そっか……、よかった」


 リサラはほっと胸を撫で下ろした。


「こちらとしては、あまり良い状況ではないんだけどね」


 突然、背後から声をかけられ、振り返った。

 荷台に積んだ木箱の上に腰掛けたトリオンが大袈裟にため息を吐いてみせた。


「アンタ……、私達をどこに連れて行く気?」


 リサラはトリオンを睨みつけたが、彼は特に気にする様子もなく淡々としていた。


「まぁ、安心しなよ。いずれ君の片割れも見つけ出して、二人まとめて仲良く出荷してやるからさ」

「しゅ、出荷って……」


 トリオンはくっくっと声を押し殺して嫌らしい笑みを浮かべた。


「…二人に手を出したら舌を噛んで死んでやる」

「……あ?」


 アークの言葉にトリオンは低い声で反応した。


「…僕は本気だ」

「……小賢しいガキだな。取引が済むまで手が出せない事を理解してやがる。……まぁいいさ。教会へはもうすぐだ、取引が済めば後は…」

「ファイアーッ!」


 リサラが突然、大声で呪文を唱えた。

 しかし、何も起こらなかった。


「え、なんで? ……ファ、ファイアー!! ファイア! ファイア! ファイア!!!!」


 何度も呪文を叫ぶが、炎はおろか火の粉すら現れなかった。それを見ていたトリオンは笑いを噛み殺しながら言った。


「残念だが、魔法は使えないよ。君のその首輪。それは魔導士専用の拘束具だからね」

「そ、そんな……」


 切り札を封じられたリサラは絶望に顔を歪ませる。手足は縛られ、身動きも取れず、魔法も使えない状況でどうやってここから逃げ出せばいいのか、必死で考えを巡らせるが答えは導き出せなかった。


「……ソラ、助けて」


 リサラは誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。


「きゃっ!」

 

 突然、馬車が急停車した。リサラ達は勢いにつられて倒れこむ。すぐにトリオンが外の様子を見に、荷台から降りて行った。


「いたた……、アーくん、平気?」

「…うん」

「急になんなのよ……」


 荷台に見張りがいなくなった事に気づいた二人は、荷台から逃げようと試みたが、両手足を縄で縛られていてうまく身動きが取れずもがいた。


「まずい状況になった」


 トリオンが荷台に飛び乗り、二人の足を縛っていた縄をナイフで切りつけた。


「え? なに、いきなり」


 アークも突然の事に理解できず、目を丸くした。トリオンは解いた縄をリサラの手首に結び直し、強引に引っ張り上げた。


「痛っ! な、何するのよ!」

「ここで死にたくなければ、黙ってついてこい」

「はぁ? 意味わかんないですけど……」


 リサラ達が荷台から降りると信じられない光景が目の前に広がっていた。

 あたり一面、真っ赤な水たまりが出来ていて、その上に数人の男達が呻き声を上げて倒れていた。どうやら、リサラ達が乗っていた馬車とは別の馬車に乗っていた男たちだろう。


「な、なにこれ……」

「こっちだ」


 トリオンが小声でささやき、リサラの縄を引き寄せる。二人がついて行くのを迷っていると、馬車の反対側から男の悲鳴が上がった。


「…リサ、行こう」


 アークもただことではない状況に、今はトリオンについて行くしかないと判断し、リサラに声をかける。リサラも頷き走り出した。


 走り去る際に、一瞬だけ振り返ったリサラの目に映ったのは黒い獣が男達に襲いかかる瞬間だった。



 すでに夕暮れに染まり始めた街を足早に歩きながら、リソラ達は改めて自己紹介をした。


「オレはレイン。それでこっちは……」


 レインがアスティにチラリと視線を向ける。


「あ、俺は、アスティ…アスティ・ハルハイト」


 アスティは少しだけ目線を下げ、名を名乗った。


「レインさんにアスティさんですね。私は、ええっと……リソラって言います。出来ればソラって呼んでください」

「じゃあ俺もアスでいいよ」

「オレも呼び捨てで構わない。それで、ソラ。さっそくだが、あの倉庫で何があったか簡単に説明してくれ」


 リソラはなるべく簡潔に出来事を伝えようと、多少、内容を省いて説明することにした。


「はい……。ええっと、探してるのは私の姉のリサラと一緒に旅をしてるアークって男の子なんですけど、昼にあの倉庫をアジトにしてる人達に捕まってしまって……。私はなんとか逃げ出す事が出来たんですが、睡眠薬みたいなものを嗅がされて、助けを呼ぶ途中で眠ってしまったんです。幸い嗅がされた量が少なかったみたいですぐに目は覚めたんですが、戻った時にはもう倉庫には誰もいなくて……」

「……こんな街の中で人攫いか。ずいぶん大胆な奴等だな」

「平和そうな街なのに」


 アスティが街に飾られた花を眺めて悲しそうに呟いた。


「それで、奴等がどこへ行ったか心当たりはないか?」

「たしか、教会へ行くって言ってました」

「教会? 悪党が何故そんな場所へ?」

「詳しくはわからないんですけど、一緒に旅してた男の子が教会から逃げてきたって言ってたんです。だからたぶん、その子がいた教会へ行ったんじゃないかと思います」


 リソラは必死で誘拐犯の会話を思い出そうとした。


「私達を捕まえた男の人は彼をどこかへ連れて行くような事を言っていたので……。それが確か、教会って言ってたような……」

「ちなみにその少年がいた教会の場所は分かるか?」

「ごめんなさい。そこまでは……」

「別に謝る必要はない。情報を集めて整理すれば、自ずと答えは見えてくる。教会から逃げ出した少年に、倉庫をアジトにしていた男達。青い小瓶に貼られた印……。それに、花葬病……」


 レインはブツブツと独り言を言いながら歩き続ける。アスティもリソラもただ黙って彼の後をついて行った。


「あったぞ、ここで馬車を借りよう」


 レインは立ち止まり顔を上げた。


「馬車を?」

「借りられるんですか?」


 レインの視線の先には『貸馬屋』の看板がぶら下がっていた。


「……貸馬屋を知らないのか? 二人ともどんな風に育てばそんなに物知らずに育つんだ?」


 レインは振り返り、信じられないといった表情で二人を見た。アスティとリソラは互いに顔を見合わせ、首を傾げて誤魔化すように笑った。

 そんな2人に冷ややかな視線を向け、レインは店の中へと入っていく。


「すまない、店主。この店で一番足の速いやつを頼む」

「はいはい。うちは馬しか取り扱ってないんですが、それでもいいですか?」

「ああ、構わない。あと、御者と荷台もつけてくれ」

「はいはい、それじゃあここに記名と身分証の提示をお願いしますね」


 レインは店主の差し出した帳簿にサインし、身分証を見せた。


「はい、確認しました。……はい、丁度いただきます。すぐに準備して表へ回すんで店の前で待っててくださいね」


 店主はテキパキと従業員に指示を出し、馬の準備を急がせた。馬車を待つ間、レインが店主に声をかける。


「ところで店主、この近くに教会はあるか?」

「教会ですか? はいはい、街の中にひとつありますね。それ以外だと、南東の平野にありましたが、少し前に野党に襲われましてね。今は誰もいないって話です」

「野党に? 教会が?」

「ええ、前々からあまりよい噂を聞かない教会でしたので、何かトラブルに巻き込まれたんでしょう。教会は王都とのイザコザもありますし……。この辺もだいぶ物騒になってきましたからね。街の外に出るならお客さんも気をつけてくださいね」

「わかった、ありがとう」


 店主に礼を言い、三人は店を後にした。店先にはすでに馬車が用意されており、御者の男が荷台の扉を開けて待っていた。

 レインは南東の教会跡地まで行くように頼むと御者の男は、はいと小さくうなずき御者台に乗り込んだ。三人が荷台に乗ったのを確認すると、馬車は軽快に走り出した。


「…ふぅ」


 レインは少し歩き疲れたらしく、椅子に深く腰を下ろし深く息を吐いた。荷台は小さいが、きちんと人が座れる様になっていて、乗り心地はそれほど悪くはなかった。


「これで、少しは落ち着いて話ができるな」

「は、はい……」


 ソワソワと落ち着かないリソラに対し、レインはまたも怪訝そうな顔をする。


「何だ、まさか馬車に乗るのは初めてだとか言わないよな?」

「えっ! あ、すいませんっ! 実は初めてで……」


 図星をつかれたリソラは少し恥ずかしそうに頭をかいた。


「俺は初めてじゃないけど、人がちゃんと座れる馬車に乗ったのは初めてだ」


 アスティも珍しそうに座席を叩いて、感心したようにうなずいた。


「……勘弁してくれ」


 レインは目の前に座る二人のキョトンとした顔に頭を抱え、さらに深くため息をついた。

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