第8話 市場での出会い

* * *

 男がひとり立っている。

 足元には一面に花が咲き誇り、風がその花弁を散らしてゆくのをだだ黙って見ていた。


「私、幸せよ」


 花は男に語りかける。


「大好きなものに囲まれていけるのだから」


 男は何も言わず、ただ黙って足元の花をすくい上げた。


「けれど、あなたとあの子を残していくのはとてもさみしい……。それに、あの花が咲く姿を見られないのも悲しいわ」


 また一枚、花弁が風に飛ばされ舞ってゆく。


「きっと、あの子によく似た可愛らしい花が咲くんでしょうね……。いつかまた…――」


 その声は吹き抜ける風の中へと溶けてゆき、花は静かに眠りについた。


* * *


 まだ夜明け前の薄暗い家に明かりが灯る。

 ミレイユはベットから起き上がると、窓を開けて深呼吸をした。


「今日もいい天気になりそうね」


 洗面台で顔を洗い、手早く支度をすませると、彼女は足早に温室へと向かった。

 家の横に併設された温室のドアを開け、中へ入ると濃い緑の匂いが彼女を肺を満たした。何度か深呼吸をした後、棚に置かれた鉢植えに水を撒いていく。

 

「おはよう、今日もキレイね」


 ひとつひとつの花に声をかけながら、丁寧に手入れをし、手際よく花を仕分けてゆく。


「おはよう、ミレイユ」

「あら、アスティ。もう起きたの? 昨日はよく眠れた?」


 まだ眠たげな顔をしたアスティが温室へやってきた。


「うん、おかげさまで。……それにしても、いつもこんなに早くから仕事を?」

「今日は特別よ。花祭りの準備で、いつもより仕事が多いの。でも1人でも大丈夫だから、アスティはまだ寝てていいのよ?」

「いや、俺も何か手伝うよ」

「ふふ、ありがとう。やっぱり男手があると助かるわ~、花屋って案外体力勝負だから」

「そうなの?」

「そうなの!……そ、れ、じゃ、あ、ここにある鉢植えを荷馬車に運んでもらおうかな。お願いできる?」


 ミレイユは花のような笑顔を浮かべると、沢山の鉢植えが置かれたパレットを指差した。


「お、お安い御用さ」


 二人は手分けしながら、植木や花束を荷馬車に積んでゆく。ふと、街の方へ目をやると、遠くの山から差しはじめた朝日が街を照らしはじめ、街も徐々に動き始めていた。


「荷物、これで最後かな?」

「ありがとう、助かったわ!」

「いつもより量が多いとはいえ、毎日一人で荷運びするのは確かに体力いるね……」

「あ、普段はね、近くに住んでる幼馴染が手伝ってくれるんだけど、お祭が近いからそっちの準備で忙しいみたいで……」

「そっか。みんな祭の準備に終われて大変そうだ」

「ふふ、でも催事の準備って意外と楽しいものよ」


 ミレイユは話しながらもキッチリと手を動かし、テキパキと仕事をこなしてゆく。荷馬車に荷物を載せ終えた二人は、ミレイユが作った朝食のサンドイッチを食べながら、市場へと馬車を走らせた。

 

 朝の市場は昼とはまた違った賑わいを見せており、店の開店準備をする人や朝市の呼び込みの声で溢れていた。


「私、すぐそこのお店に花を届けてくるから、ここで待ってて」

「わかった」


 広場の端に馬車を止め、荷物を手押しの台車に載せ換えたミレイユは近くの店へと入っていった。


 荷馬車を引いてきた馬を休ませている間、アスティは街の様子を眺めていた。

 まばらに開いていた露天もいつのまにか開店し始め、朝食をとりにきた人やアイテムを買い求める冒険者達など、沢山の人々が通りを行き来してゆく。


 その光景をなんとなく眺めていると、人混みの中をかき分けて歩く1人の少女が目に入った。アスティと同じくらいの歳の少女は、あまり人混みに慣れていないのか、先程から中々前に進めず、困っている様だった。


(なんか心配だな……)


 なんとも頼りなさげな少女が気かかり声をかけようと一歩踏み出した時、彼女は男に突き飛ばされ、よろめいた。


「きゃあ!」


 後ろから突き飛ばされた少女が転ぶ直前で受け止めたのは、フードを目深に被った人物だった。


「大丈夫か?」

「あっ、ありがとうございます……」


 少女はフードの人物に支えられながら立ち上がる。どうやら怪我はしていないようで、アスティはホッと胸を撫で下ろした。


「――そこの男、止まれ」


 フードの人物がアスティへ鋭い視線を向け言い放った。フードから覗いた顔は陶器の様に白く、長めの銀色の前髪がさらりと揺れた。

 

(女の子?)


 アスティは自分に声をかけられたのかと、驚いたがすぐに自分の事ではないことに気づき、自分の横をすり抜けていく男を目の端で追った。

 呼び止められた男は小さく舌打ちをすると、足早にその場を立ち去ろうとした。アスティはその男の腕を素早く掴んで引き止めた。


「待って」


 腕を掴まれた男は驚き、すぐに腕を振り払おうと身を捻ったが、その動作は一瞬で封じられ、男は腕を背中に回した状態で地面に倒された。


「痛ぇっ! テメー! 何しやがるんだ!!」

「………」

 

 倒れた男は大声を上げながら抵抗するが、アスティは無表情のまま男を見下ろし、更に力を込めて男の動きを封じた。男は苦痛に悲鳴をあげる。


「え!? えっ!?」


 少女は目の前で何が起こっているのか理解出来ず、オロオロと戸惑っている。通行人も何事かと騒ぎ始めた。


「なかなかやるじゃないか」


 フードの人物がアスティに近づき声をかけた。

 その話し方から男性の様な気もするが、その小柄な見た目では性別は分からなかった。


「えっと…これかな?」


 アスティは男の尻ポケットから何かを取り出した。


「あ! それ、わたしのお財布!?」

「やっぱりか……。なんとなく不自然なぶつかり方をしたから気になったんだけど……。その人が声をかけてくれなかったら、見過ごしていたところだったよ」


 少女はアスティに駆け寄り、取られた財布を受け取った。


「あ、ありがとうございますっ…! 私、なんとお礼を言ったらいいか…」

「礼なんて、いいよ! 君に怪我がないならそれで」


 騒ぎを聞きつけた通行人が通報してくれたお陰で、すぐに警備隊が来てくれた。

 彼らにスリ犯を引き渡した後、少女はお礼にオレンジ色の果物を差し出した。少女は先を急いでいるようで、二人に何度も頭を下げながら、また人混みの中に飲み込まれていった。


「だ、大丈夫かな…?」


 人混みに揉みくちゃにされている少女をアスティは不安げに見送った。


「それじゃあ、オレも行くとするか」


 フードの人物はアスティに背を向け歩き出した。


「あ、じゃあ俺も」


 特に引き止める理由もないので、ただ黙って見送る。


「君とはまたどこかで会う気がするな」

「え?」


 フードの人物はそう言い残すと、人混みの中へと消えていった。


「アスティ、ごめんね待たせちゃって! 受け取り先の人と話が盛り上がっちゃって…」


 フードの人物と入れ替わるように戻ってきたミレイユがアスティに声をかける。


「………」

「アスティ? どうかしたの?」

「え、あ! ミレイユ、おかえり」

「……もしかして待ちくたびれちゃった?」


 どこかぼんやりした雰囲気のアスティにミレイユは首を傾げた。

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